goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県宍粟市&旧一宮町

2023年11月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

宍粟市(しそうし)は兵庫県の中西部、神戸市から約100km、姫路市から約30kmに位置する市です。2005年4月1日に、宍粟郡山崎町、一宮町、波賀町、千種町が合併して誕生しました。養父市、朝来市、たつの市、姫路市、神河町、佐用町、また県を跨いで西は岡山県美作市、西粟倉村、北は鳥取県若桜町に隣接。市域の大部分が山地である事から「宍粟50名山」を指定。県内最高峰:氷ノ山、第二峰:三室山、第三峰:後山を擁し、「しそう森林王国」を謳い、森林セラピー基地にも認定されています。「市の木:ブナ」「市の花:笹百合」を制定。

キャッチフレーズは「人と自然が輝き みんなで創る 夢のまち」

2005年4月1日制定の市章は「宍粟市の頭文字「宍」を図案化し、播磨の豊かな緑に包まれて、明るく輝き、元気に育っていく子どもの姿をイメージし、人と自然がともに響き合いながら発展していく新市の様子を表現しています。」公式HPより

宍粟市キャラクター『しーたん』は、宍粟の豊かな森林(もり)に住んでいる「ささゆり」の帽子をかぶった女の子です。

訪問日:2014年12月6日

------------------------00----------------------

旧宍粟郡一宮町(いちのみやちょう)は兵庫県中西部、西播磨を南流する揖保川上流に位置し、宍粟郡の最も山深い地域にあった町です。養父市、安富町、朝来町、生野町、大河内町、夢前町に隣接。町名は播磨国一宮・伊和神社に由来します。「町の木:杉」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により宍粟郡神戸村・染河内村・下三方村・三方村・繁盛村(はんせむら)が発足。

1956年、神戸村・染河内村・下三方村が合併、宍粟郡一宮町が発足。

1956年、宍粟郡三方村・繁盛村と合併、改めて一宮町が発足。

マンホールには町章を中心に「町の木:スギ」「町の花:キク」、横山神社に奉納される「チャンチャコ踊り(神子踊り)」「福地渓谷」がデザインされています。(画像提供:義姉)

昭和41年9月4日制定の町章は「「一宮」を図案化したもの」

淡路市旧一宮町にあった宍粟市旧一宮町の越境蓋

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧加美町(多可町)

2023年11月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡加美町(かみちょう)は兵庫県中部、加古川水系の杉原川河谷に沿う、静かな山間に位置した町です。丹波市、朝来市、中町、八千代町、神崎町に隣接。ミツマタを用いた高級和紙「杉原紙発祥の地」として知られており昭和58年(1983)に兵庫県無形文化財に、1993年には兵庫県伝統的工芸品と指定されました。「町の木:杉」「町の花:春蘭」を制定。

1300年の歴史と伝統を持つ杉原和紙。残念ながら大正14年(1925)に杉原谷での紙すきの永い歴史は幕を閉じましたが、新たに設立された町立杉原紙研究所の前には、約半世紀ぶりに杉原紙の紙漉き再現に成功した事を記念した「杉原紙 復元の碑」が建立されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多可郡杉原谷村・松井庄村が発足。

1955年、杉原谷村・松井庄村が合併、多可郡加美村が発足。

1960年、加美村が町制を施行、多可郡加美町となる。

2005年、多可郡中町・八千代町と合併して多可町が発足。多可町加美区となりました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザインマンホールは無い様です。

昭和31年4月1日制定の町章は「加美町の「カ」をデフォルメし、町勢の伸展と町民の団結和合を象徴しています。」合併協議会資料より

復元された杉原紙は、杉原谷にある「道の駅:R427 かみ」に隣接する「杉原紙研究所」で作られています。

撮影日:2014年11月20日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧八千代町(多可町)

2023年11月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡八千代町(やちよちょう)は兵庫県中部に位置した町です。西脇市、加西市、中町、加美町、神神崎町、市川町に隣接。かっては播州織の一大産地として昭和の半ばまで活況を呈し、高野豆腐を日本で初めて量産化させ、また「お年寄りを大切にして村の発展のための知恵を借りよう」と提唱し、敬老会を開催したことから「敬老の日:発祥の地」として知られています。画像は旧八千代町仕出原ヶ谷に所在する「四季酒造KK」の工場風景。「町の木:桧」「町の花:笹百合」「町の鳥:雉」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多可郡野間谷村・加西郡大和村が発足。

1954年、多可郡野間谷村・加西郡大和村が合併、多可郡八千代村が発足。

1960年、八千代村が町制を施行、多可郡八千代町となる。

2005年、多可郡中町・加美町と合併して多可町が発足。多可町八千代区となりました。

マンホールには「町の花:ささゆり」「町の鳥 :キジ」がデザインされています。

昭和38年3月26日制定の町章は「八千代町の頭文字「八」は野間川と大和川の両流域を表し、かつ円満性を示し、翼を大きく開き、雄飛する姿を象徴す。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月20日

 


ご当地マンホール in 兵庫県多可町&旧中町

2023年11月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

多可郡多可町(たかちょう)は兵庫県東播磨地域の内陸部に位置する町です。2005年11月1日に多可郡の中町・加美町・八千代町の3町が合併して新設されました。北は丹波市、朝来市、東は丹波市、南は西脇市、 加西市、西は神河町、市川町に隣接。周囲を中国山地(三国岳、千ヶ峰、笠形山、竜ヶ岳、篠ヶ峰) の山々に囲まれ、三国岳を源とする杉原川が加美区、中区の中央部を貫流し、笠形山を源とする野間川が八千代区の中央部を南流 し、県下最長の加古川と合流して瀬戸内海に流れています。町では生産量の8割を兵庫県産が占める酒米「「山田錦」の発祥の地」を標榜。「町の木:欅・杉・桧」「町の花:野菊・春蘭・笹百合」「町の鳥:雉」を制定。

キャッチフレーズは「天たかく 元気ひろがる 美しいまち」

2005年11月1日制定の町章は「緑色:みどり広がる。大地赤丸:想像・発見を表し、豊かな自然との共生、躍動する人の姿を織り込み、新しい時代への飛翔・新生「多可町」の飛躍と発展をイメージしています。」公式HPより

多可町に伝承される民話「播磨国風土記」に登場する大男「多可のあまんじゃこ」がモチーフの、多可町観光PRマスコット『たか坊』。チャームポイントは2本(しか無い)歯と赤いほっぺだそうです。

多可町内の見所、美味しいものをみんなに知ってもらう為、町内のどこにでも出現しますよ(⌒∇⌒)

---------------------------------00-------------------------

旧多可郡中町(なかちょう)は兵庫県の中部、播磨地区の北東側に位置した町です。西脇市、丹波市、加美町、八千代町に隣接。妙見山の麓を流れる杉原川の流域沿いに町域が広がり、播磨の奥座敷とも呼ばれ、また「山田錦」発祥の地としても知られています。旧町内には約300年前に始まった「高室芝居」をルーツとする地歌舞伎「播州歌舞伎」の伝統を、唯一伝えてきた「嵐獅山一座」の本拠地があります。「町の木:ケヤキ」「町の花:野菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多可郡中村が発足。

1924年、中村が町制を施行、多可郡中町となる。

2005年、多可郡加美町・八千代町と合併、多可町が発足。多可町中区となりました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザイン物は存在していないようです。

昭和40年12月25日制定の町章は「円満の中に、若さと動きをたたえ、躍進する中町の姿を象徴しています。白地に明るい緑の色合いは、明るく豊かな田園都市”中町”の緑の山河と限りない発展性をアレンジしたものです。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月20日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧黒田庄町(西脇市)

2023年11月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡黒田庄町(くろだしょうちょう)は兵庫県のほぼ中央に位置し、東経135度の子午線が通り、田園風景が広がるのどかな町です。西脇市、丹波市、中町に隣接。播磨風土記には「黒田里」と記され、鎌倉時代以降「黒田庄」と呼ばれた荘園があった事が町名の由来と云われます。 「式内社:兵主神社」 を擁し、また黒田庄町黒田地区は「播磨:黒田氏発祥の地」としても知られています。「町の木:黒松」「町の花:菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然が元気になる こころのふるさとづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、多可郡黒田庄村が発足。

1960年、黒田庄村が町制を施行、多可郡黒田庄町となります。

2005年、西脇市と合併、西脇市黒田庄町となりました。

マンホールには、中央に大きく「町の花:菊」、周囲に「町の木:黒松」が描かれています。(黒田庄駅付近に設置)

昭和36年12月18日制定の町章は、「クロダショウ」の「クロ」を、組み合わせて図案化したものです。」

撮影日:2009年5月3日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県西脇市

2023年11月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

西脇市(にしわきし)は兵庫県の中央やや東、北播磨地区の北側に位置する市です。加西市、加東市、丹波篠山市、丹波市、多可町に隣接。市域を東経135度線、北緯35度線が交差しており、経緯度で日本列島の中心点に位置することから「日本のへそ」を標榜。中国山地の東南端が播磨平野に接する地点にあり、西光寺山(712.9m)を最高峰に、標高200~600mの山地や丘陵に囲まれています。市名の由来は、中心市街地を形成する西脇区が古来この地の呼び名であった「都麻(津万:つま)郷」の西側であること、あるいは、室町時代に当地を治めていた城の西側に位置していた事から名付けられたとの説が有力です。「市の木:桜」「市の花:芝桜」を制定。

また寛政4年(1792)に比延庄村の『宮大工:飛田安兵衛』が京都西陣から織物の技術を持ち帰ったのが起源と伝えられる「播州織」は、加古川・杉原川・野間川の3つの河川という染色に不可欠の水資源に恵まれた事で全国に名を馳せ、現在も地場産業として様々な製品が生み出されています。

「日本へそ公園」にある不思議な顔の造詣は、1992年に開館された「地球・宇宙」がテーマの「にしわき経緯度地球科学館」愛称「テラ・ドーム」。東経135度線・北緯35度線の交点にあります。

キャッチフレーズは「人輝き 未来広がる 田園協奏都市」

1889年、町村制の施行により多可郡津万村・日野村・重春村・比延庄村、加西郡芳田村が発足。

1917年、津万村が町制を施行・改称し多可郡西脇町となります。

1952年、多可郡日野村・重春村・比延庄村と合併、西脇市が発足。

1954年、加西郡芳田村を編入。

2005年、多可郡黒田庄町と合併、新たに西脇市となりました。

マンホールには「西脇市シンボルマーク」と、「市の花:芝桜」がデザインされています。

西脇市市役所下水道課展示マンホール

野間川:平野橋歩道橋の展示マンホール

昭和53年3月11日制定の旧西脇市シンボルマークは「『みなおそうふるさと』運動の中で、東経135度(日本標準時子午線)と北緯35度が交差し、日本列島の中心にあたることから、本市を「日本のへそ」と宣言。日本列島をかたどった小鳥に経緯度の交点である本市を示したシンボルマークで、豊かな自然を表現しています。」公式HPより

雨水用マンホール

昭和39年4月1日制定の市章は「旧西脇市の市章を継承しています。2つの「シ」を図案化して「ニシ」を表し、市内を流れる2つの川(加古川・杉原川)の合流地にひらける西脇市の飛躍と調和を象徴しています。」公式HPより

中央に「廣」の文字がある蓋は、西脇市市役所の敷地にあったものですが、意味するものが何なのかは不明。

西脇TMOオリジナルキャラクター『にっしー』。2010年4月9日、市役所市民課窓口で、西脇市の住民として特別住民票を市長から交付されました。新しく誕生した妹の『さくら』と一緒に、西脇市の中心市街地の活性化に取り組んでいます。

『さくら』のイメージが違いすぎるとご指摘いただいたので(笑)、加東市の「伝の助」・多可町の「たか坊」との記念撮影の画像を(^^;)

寺内字天神池にある「道の駅・北はりまエコミュージアム」で来店者をお迎えしてくれるのは、北はりま田園空間博物館のマスコット『でんくる君』。

2014年11月の丹波~播磨の旅の際にはこちらの道の駅で車中泊をさせて頂きました。お土産や果物などと一緒に、特にご亭主殿の希望で購入した「新田酒店の辛口:那珂の唄」。山田錦発祥の地で生まれた生粋のお酒だそうで、もちろん帰宅するまでお預け(笑)

車で旅をする者にとってこうした道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて「その節は、本当にありがとうございました」

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日&2017年12月27日

------------------------00----------------------

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「西脇市」のマンホールカードは、「平日:西脇市役所・上下水道部」「土日祝:テラ・ドーム」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「へそシンボル」と「市の花:芝桜」がデザインされています。

「東経135度・北緯35度が交差するまち、西脇市。本市は昭和52年、「みなおそうふるさと運動」によって、日本列島の中心に位置する「日本のへそ」を高らかに宣言いたしました。 市民投票で決まった本デザインの中心には、日本列島をかたどった小鳥に経緯度の交点である本市を示した「日本のへそシンボルマーク」が描かれています。また、周囲を市花「しばざくら」で囲うことにより、自然との調和を図る「田園協奏都市」の下水道が表現されています。西脇市で道に迷ったら、足元に注目してください。 蓋の絵柄と日本列島の向き・方角が一致するように設置されていますので、解決の糸口になるかもしれません。」

訪問日:2017年12月27日

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県加西市

2023年11月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加西市(かさいし)は兵庫県の南部、播磨平野のほぼ中央に位置する市です。東は小野市、加東市、西は姫路市、福崎町、南は加古川市、北は西脇市、多可町、市川町に隣接。市の中心部を流れる万願寺川の東側には広大な青野ケ原台地が、西側には鶉野台地が広がり、播磨内陸地域最大の平坦地を形成しています。特に、この一帯は、ため池が数多く点在し、県下でも有数の密集地帯となっています。

加西市豊倉町飯森地区には大型の植物園「兵庫県立フラワーセンター」が有り、丸山総合公園の山頂には、ギネスブックに認定された【直径5m、総重量14t】の世界一大きな地球儀時計などもあります。「市の木:樫」「市の花:サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「花、ゆめ、根日女(ねひめ)」

明治22年(1889)、町村制の施行により加西郡九会村・富合村・在田村・西在田村・多加野村・北条町・富田村・賀茂村・下里村が発足。

1955年、九会村・富合村が合併、加西郡加西町が発足。在田村・西在田村・多加野村が合併、加西郡泉町が発足。北条町・富田村・賀茂村・下里村が合併、加西郡北条町が発足。

1967年、加西郡加西町・泉町・北条町が合併し加西市が発足

マンホールには市章を中心に、「市の花:サルビア」がデザインされています。(加西市役所付近に設置)

集排マンホールに描かれているのも「市の花:サルビア」ですが、形が微妙に違っています。

昭和42年5月6日制定の市章は「加西の「力」を二つ組み合わせて円形に図案化し、「西」をかたどった市章で「和と団結」および明るく豊かに躍進する「平和都市」加西を象徴しています。」公式HPより

1989.年11月28日制定のキャラクターマークは「文化・健康・人間といったヒューマニティあふれる総合的文化環境を醸成するため、市の歴史資源、人的資源、花と緑の美しい自然的資源を総合した「花、ゆめ、根日女」のキャッチフレーズに基づいて播磨国風土記による根日女の恋伝説をモチーフに、花のまち、夢のまち、はずむ未来を表現しています。」公式HPより

ふるさと加西観光大使を勤める、加西商工会議所マスコットキャラクター『ねっぴ~』。播磨国風土記に記された悲恋の物語り「根日女(ねひめ)伝説」のヒロインから生まれました。

加西市観光まちづくり協会イメージキャラクター『またべえくん』。大坂五人衆のひとり『後藤又兵衛』の生まれ変わり。加西市には又兵衛の菩提寺や末裔の方が多く存在します。義理人情に厚く槍の達人。またべえくんに槍でつかれると幸せになるとか(⌒∇⌒)

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日&2018年12月14日

------------------------00----------------------

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「加西市」のマンホールカードは、「平日:加西市生活環境部 上下水道課」「休日:加西市民会館」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「市章」と「市の花:サルビア」がデザインされています。

「市民公募で選ばれたデザイン蓋です。 選考に当たっては、「水を大切に、水を美しく、活力ある加西市のために」をテーマとしました。 下水道を流れる水は浄化の命であるとともに、市の活性の源でもあります。 本デザインは、市の花「サルビア」を四方八方に咲きほこるように描き、その外周に合併以前の北条町、加西町、泉町の団結を意味する三本の線を引くことによって、未来に向けて活躍する市の姿を表現しています。 サルビアは、真紅と緑が美しく調和する花。 その群生はしばしば燃えるような情熱に例えられ、「花と緑につつまれた田園文化都市」を目指して邁進する加西市を象徴しています。」

訪問日:2018年5月1日

 


ご当地マンホール in 兵庫県小野市

2023年11月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

小野市(おのし)は兵庫県の中南部・東播磨のほぼ中心に位置する市です。加古川市、加西市、三木市、加東市に隣接。県庁所在地でもある神戸市と、播磨地方の中心都市である姫路市という兵庫県下における二大都市のほぼ中間に位置し、両市のベッドタウンとしての機能を持っています。兵庫県でも有数の伝統工芸都市として知られており、特に天正8年(1580)を起源とする「そろばん」は、全国シェアの70%を占めており、1976年に国の伝統工芸品に指定されました。また隣接する三木市と共に金物、特に家庭刃物(はさみ、包丁、鎌)の生産でも知られ、「播州鎌」は兵庫県の伝統的工芸品に指定されています。「市の木:柳」「市の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「ハートフルシティ おの」

明治22年(1889)、町村制の施行により、加東郡小野村・河合村・来住村・市場村・大部村・下東条村が発足。

1915年、小野村が町制を施行、加東郡小野町となる。

1954年、加東郡河合村・来住村・市場村・大部村・下東条村と合併、市制を施行し小野市が発足。

1956年、加東郡社町久保木、古川を編入、現在に至っています。

マンホールには中央に大きく「はさみ」、上に「市章」、周囲に「播州そろばん」がデザインされています。

集落排水用のマンホールには、中央に大きく「市の花:ひまわり」、周囲に「播州そろばん」と「市章」がデザインされています。

昭和29年12月1日制定の市章は「「小」を図案化し、ひらがなの「の」で囲ったもの。円形は市民の融和と団結を意味し、将来の飛躍と発展を象徴しています。」公式HPより

撮影日:2010年5月4日

 


ご当地マンホールとマンホールカードB in 兵庫県旧吉川町(三木市)

2023年11月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧美嚢郡吉川町(よかわちょう)は兵庫県の南部、東播磨地区の最東部に位置した町です。口吉川町、細川町に隣接。全体的に起伏の少ない丘陵地の間に盆地が広がっており、中部を美嚢川が西流、北部からの北谷川を併せる田園地帯として発展してきました。粘土質の土壌に加え、朝夕の気温の落差という良好な条件から、酒米である山田錦の産地としても有名。また「村米制度発祥の地」としても知られています。「町の木:松」「町の花:サザンカ」を制定。

三木市との合併で「日本一の酒米 山田錦の里」の地域名は三木市に代わりましたが、日本一の生産量は今も吉川地区が担っています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美嚢郡奥吉川村・中吉川村・北谷村が発足。

1955年、奥吉川村、中吉川村、北谷村が合併、美嚢郡吉川町が発足。

2005年、三木市と合併、三木市吉川町となりました。

マンホールは「文字から上の部分は、空の雲と遠く六甲の山なみ、下の部分は、美囊川の清流が日本一の酒米「山田錦」の黄金の穂波を潤し、やがて瀬戸内海の波間にそそぐ様子を描いています。中央下段の「1991」は、旧吉川町の公共下水道の供用開始年度を示しています。」公式HPより

三木市上下水道局展示マンホール

昭和31年12月1日制定の町章は、吉川の頭文字「よ」を図案化し、希望と発展を表したものです。

撮影日:2009年5月3日

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました

2023年4月28日、第19弾として全国7自治体プラス特別版で61種類(累計941種類656自治体&団体)の マンホールカードの配布が 開始されました。「三木市B」のマンホールカードは、「山田錦の館」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「YOKAWA」の文字を中心に上に「空と六甲山」、下に「瀬戸内海に注ぐ美囊(みのう)川の水面を」が抽象的にデザインされています。

「三木市と合併した旧吉川(よかわ)町で設置されたマンホール蓋です。 抽象的なデザインは、上部に空と六甲山を、下部に瀬戸内海に注ぐ美囊(みのう)川の水面をイメージしています。 町名の背景には、日本一の酒米・山田錦の穂波が黄金色に光り輝く様子をデザインしています。 山田錦は、大正末期から県立農事試験場で行われた品種改良事業により、 昭和11年に酒米のエースとしてデビューしました。 緩やかな丘陵に囲まれ、肥沃な大地を有し、一日の気温差が大きい三木市吉川地区は、心白が大きく、大粒で光沢のある「山田錦」の産地として全国的に名声を馳せています。 ぜひ三木市を訪れてみて下さい。」

 


ご当地マンホールとマンホールカードA in 兵庫県三木市

2023年11月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

三木市(みきし)は兵庫県の中南部、神戸市の北西に位置し、東経135度線:日本標準時子午線上に位置する都市です。神戸市、三田市、加古川市、小野市、加東市、稲美町に隣接。市名の由来は神功皇后が君が峰で休憩時に土地の者が壷に入れた酒を献上したことから、御酒(みき)→三木(みき)美壷(みつぼ)→美嚢(みのう)となったと伝えられています。「市の木:松」「市の花:サツキ」を制定。

美嚢川沿いに設置された三木城を中心に城下町が形成。戦国時代には三木合戦の戦地に、江戸時代からは三木地区を中心に金物の本格的な生産が開始され、今日の金物産業発展の基礎がつくられました。山陽自動車道三木SA下り線の記念スタンプには、「金物古式鍛錬場」で金物を鍛える古式鍛錬の様子がデザインされています。

キャッチフレーズは「日本一美しいまち三木」

明治22年(1889)、町村制の施行により美嚢郡三木町・久留美村・志染(しじみ)村・口吉川村・別所村・細川村が発足。

1951年、美嚢郡三木町が久留美村を編入。

1954年、美嚢郡三木町が口吉川村・別所村・細川村と合併、三木市が発足。

1954年、三木市が美嚢郡志染村と合併、改めて三木市が発足。

2005年、美嚢郡吉川町を編入、現在に至っています。

マンホールは「市章を中心に特産物である三木金物の鋸(のこぎり)、包丁、鎚(つち)を、下水道整備の拡充を願い放射状に配置しています。また、金物の数や鋸の歯の数は、全て市の頭文字である三の倍数となっています。」公式HPより

三木市上下水道課展示マンホール

(三木城址近く滑原(なめら)商店街に設置)

モノクロに見えますが全体が薄いグリーンで彩色されています。

雨水用小型マンホール

農集落排水のマンホールは「三木市の農村地域の特産品である「ぶどう」と里山の味覚の王様である「栗」をデザイン化し、緑の黄色は黄金の稲穂に囲まれている農村地域をイメージしています。」公式HPより

昭和29年7月1日制定の市章は「「木」または「キ」を3つ組み合わせて図案化し、ハート形にして心臓部を表し、三方に出る動脈により活動の旺盛さを表しています。三方同形により天・地・人の三体の調和をとり、将来の発展、円満和合を意味しています。町章として制定され市制施行後に継承されました」公式HPより

ガス遮断弁

三木市の頭文字「M」をデザインしたシンボルマーク

「日本一の酒米・山田錦の里」、「三木金物(大工道具)の町」として有名な三木市のイメージキャラクターは『いなたろう』『かんなどん』。

撮影日:2010年5月4日&2019年8月16日

------------------------00----------------------

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計539種類455自治体)の マンホールカードの配布が 開始されました。「三木市」のマンホールカードは、「平日:三木市上下水道庁舎内 1階」「休日:三木市観光協会」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには市章を中心にと「包丁と鑿」「のこぎり」がデザインされています。

「デザインは公募されたもので、市章を中心に特産物である三木金物の鋸・包丁・鎚を、下水道整備の拡充を願い、市の頭文字である三の倍数にて放射状に配置しています。 三木金物の由来は、羽柴秀吉が三木城主別所長治を攻めた三木合戦に遡ります。 別所氏を滅ぼした秀吉は、まちの復興を図るため免税政策をとりました。 これにより大工職人や鍛冶職人が各地から集まり「金物のまち」の基礎ができたといわれています。 写真下はデザイン同様に金物を組み合わせた翼長5mの金物鷲です。 三木市は最高級酒米山田錦の生産量が日本一、ゴルフ場が西日本一多いことでも有名です。」

訪問日:2019年8月7日