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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県旧二本松市(二本松市)

2024年09月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧二本松市(にほんまつし)は福島県の中通りに位置した町です。福島市、岩代町、大玉村、白沢村、猪苗代町、郡山市、安達町、東和町に隣接。主な産業として「二本松伝統家具」があり、これは丹羽光重の二本松城大改修の際に、宮大工が家具や建具を作ったことが起源と言われています。

江戸時代に二本松藩の政庁だった二本松城下は福島県を代表する城下町の一つに数えられており、日本最大級の菊人形展「二本松の菊人形」が開催される事から「菊の城下町」とも称されています。「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:鶯」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により安達郡二本松町・石井村・大平村・塩沢村・杉田村・岳下村が発足。

1955年、二本松町・石井村・大平村・塩沢村・杉田村・岳下村が合併し、改めて二本松町が発足。

1958年、二本松町が市制を施行、二本松市が発足。

マンホールには市章を中心に「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:鶯」がデザインされています。

昭和33年(1958)10月1日制定の市章は「二本の松葉の組合せによって市名をあらわし、協和融合の市政と産業の発展を念じ、歴史と観光の市の前途を象徴しています」私たちの郷土二本松より

撮影日:2015年6月24日

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旧安達郡岩代町・東和町は未訪問の為、マンホール画像はありません。


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県二本松市

2024年09月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

二本松市(にほんまつし)は福島県の中通り、北部に位置する市です。2005年12月1日、旧二本松市・安達町・岩代町・東和町が合併、改めて二本松市が発足しました。川俣町、福島市、田村市、浪江町、葛尾村、大玉村、本宮市、三春町、猪苗代町、郡山市に隣接。地名の由来は旅人の目印となった二本の松があった事からとも、また古城・四本松城から二本の松を移植したことからとする説もあります。

市の西方には二本松市のシンボルでもあり「智恵子抄」に詠われた安達太良山があり、東部の市街地付近を阿武隈川が北進しています。安達太良山の中腹には、昭和30年(1955)に国民保養温泉の一つに指定された「岳温泉」や塩沢温泉などが点在。「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:鶯」を制定。

キャッチフレーズは「いま拓く 豊かな未来 二本松」

マンホールには市章を中心に「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:鶯」がデザインされています。

岳温泉のマンホールには「♨マークとリス」、背景に「ドングリ」が市松にデザインされています。

岳温泉地区の深堀川に架かるニコニコ橋には、ドングリを食べるリスのブロンズとレリーフ。

2005年12月1日制定の市章は「二本松のイニシャル「N」をモチーフに躍動感あるフォルムでシンボライズ。中心に集まる形は安達地方の中心都市であることの象徴と新市民の調和と団結を表し、未来へ向かい躍進する市の未来像をデザイン化。緑は美しい自然、安達太良と阿武隈の山なみ、青は市の中心を流れる阿武隈川を表しています。」公式HPより

東北・福島の秋を彩る、二本松の菊人形。『菊松くん』は二本松の菊人形マスコットキャラクター。二本松のシンボルの花、菊をモチーフにした髪型がとっても個性的!

撮影日:2015年6月24日

旧安達郡岩代町・東和町は未訪問の為、マンホール画像はありません。

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マンホールカード、頂きました。

2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(累計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「二本松市A」のマンホールカードは、「二本松市 市民交流センター」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには市章を中心に「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:鶯」がデザインされています。

「二本松市の花「菊」、木「桜」、鳥「うぐいす」の3つをデザインしたマンホール蓋です。 菊は二本松藩政時代から愛好者が多く、毎年秋になると二本最大級の「二本松の菊人形」が町を彩ります。 また、「二本松の提灯祭り」などのにぎわいも加わり、二本松の秋は「菊」と「祭」なしには語れません。 桜は、日本百名城の霞ヶ城、合戦場のしだれ桜、中島の地蔵桜などが有名です。 うぐいすは春告鳥とも呼ばれ、桜のシーズンに霞ヶ城本丸跡から雪の残る安達太良山を望むと、淡いピンクに彩られた二本松に春の訪れを告げるように歌い、市民から慈しまれています。」

 


ご当地マンホール in 福島県川俣町

2024年09月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

伊達郡川俣町(かわまたまち)は福島県の中通り、阿武隈高地に位置する町です。福島市、二本松市、伊達市、浪江町、飯舘村に隣接。町の中心部を広瀬川が流れ、東は花塚山、南に口太山、北西に女神山があり、平安時代から始まった養蚕業・絹織物業により「絹の里」として知られ、養蚕を伝え広めたとされる小手姫伝説が残されています。「町の木:かえで」「町の花:ツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

近年、新たな特産物として「川俣シャモ」が評判を呼んでおり、PR事業として始めた「世界一長い焼き鳥」の記録争いを、山口県長門市・和歌山県日高川町と繰り広げており、2009年に「24.24m」で世界一に。その後、2015年に長門市が達成した「25.05m」が世界記録だそうです。

キャッチフレーズは「みどりの中に光る絹の町 川俣」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村・安達郡山木屋村が発足。

1955年、川俣町・富田村・福田村・小島村・飯坂村・小綱木村・大綱木村・安達郡山木屋村が合併、伊達郡川俣町となる。

昭和40年(1965)10月10日制定の町章は「川俣町の「力」の字を図案化。飛鳥を形どり、町民の和と町の発展を象徴する。」公式HPより

公共下水道は未整備の為、マンホールはすべて上水道関連の小型蓋のみですが、自治体章があるだけで良しとします。まず定番の「仕切弁」

「空気弁」

「排水弁」

「消火栓」

撮影日:2015年6月23日


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県桑折町

2024年09月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

伊達郡桑折町(こおりまち)は福島県中通り地方の北端部に位置する町です。伊達市、福島市、伊達郡国見町。さらに県を跨いで宮城県白石市に隣接。地名の由来は、奈良・平安時代、 東山道に駅家(うまや)が設置され、郡家がおかれたところから桑折となったのが由来とされます。仙台藩伊達氏発祥の地として知られており、江戸時代以前は奥州街道と羽州街道の追分「桑折宿」として栄えてきました。

安永8年(1779)に建てられた句碑【 夕暮れに  心の通う 柳かな 】

また果物の生産が盛んな点が特徴で、リンゴの品種「王林」発祥の地であり、桃の一大産地福島県の中でも特に高品質な桃を提供することで知られています。「町の木:カヤ&赤松」「町の花:桃」「町の鳥:カッコウ」を制定。

キャッチフレーズは「献上桃の郷」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡桑折町・睦合村(むつあいむら)・伊達崎村(だんざきむら)・半田村が発足。

1955年、桑折町、睦合村、伊達崎村、半田村が合併、新たに桑折町となりました。

マンホールには「旧伊達郡役所」と「町章」。周囲に「町の花:桃」がデザインされています。

マンホールコースター

昭和40年制定の町章は「上半円で「コ」下で「オ」中の白地で「リ」を表す。全体に弧を描く鵬は町の和と飛躍を示し、平仮名の「こ」は半田山を象徴しています。」公式HPより

桑折町観光大使『ホタピー』。 町の特産である「桃(ピーチ)」と「蛍(ホタル)」にちなんで名付けられた10歳の男の子。桑折町の良い所を全国に紹介 する為、2008年から飛び回っています。

撮影日:2015年6月23日

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マンホールカード、頂きました。

2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「桑折町」のマンホールカードは、「種徳美術館(旧伊達郡役所隣)」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「旧伊達郡役所」と「町の花:桃」がデザインされています。

「桑折町のシンボル「旧伊達郡役所」を中央に配置し、周りに町の花「桃」を散りばめて「献上桃の郷」の桃源郷を表現しました。 旧伊達郡役所は、明治16年に建てられた擬洋風建築物で、約43年間にわたって郡行政の中心的役割を担ったのちに閉所。 昭和52年、国の重要文化財に指定されました。 町の特産品の桃(あかつき)は献上桃の指定を受け、平成6年から連続して天皇家・宮家へ献上されています。 町はこの地域ブランド確立のため、「献上桃の郷」を標章登録し、PRを展開しています。 毎年4月中旬になると訪れる桃の開花シーズン。 桑折のまちはピンク一色に染まり、まさに桃源郷のようです。」

 


ご当地マンホール in 福島県国見町

2024年09月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

伊達郡国見町(くにみまち)は福島県の最北端、中通りの北部に位置する町です。東は阿武隈川を挟んで伊達市、南は桑折町に、北は県を跨いで宮城県白石市に隣接。町名は、古戦場で知られる国見山・国見峠の名をとり、国見町と命名。町の南には阿武隈川が流れ、信達盆地の肥沃な土地では稲作や果物の栽培が盛ん。西端付近は半田山や馬頭山があり、そこから連続する山地が町の北端に沿って続き、小坂峠など、宮城県に向かう峠がいくつかあり、また南北に国道4号線が走り、さらに東北縦貫自動車道の国見インターチェンジを有し、交通の便にきわめて恵まれています。「町の木:赤松」「町の花:桃」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「コシヒカリと果物のさと」

明治22年(1889)、町村制の施行により、伊達郡藤田村・小坂村・森江野村・大木戸村・大枝村が発足。

1915年、藤田村が町制を施行、伊達郡藤田町となる。

1954年、藤田町、小坂村、森江野村、大木戸村、大枝村が新設合併、伊達郡国見町が発足。翌月、東大枝地区を梁川町に編入。

マンホールには中心に町章を配し、周囲に「町の花:桃」が放射状にデザインされています。

昭和30年(1955)9月19日制定の町章は国見の国を三つ組合せ「融和の精神」をあらわす」公式HPより

 国見町マスコットキャラクター『くにみももたん』。9月23日“くにみの日”生まれの男の子。趣味はおいしい果物を研究すること。阿津賀志山防塁などの史跡めぐりも大好き!チャームポイントは、ほんわかした桃色のほっぺ。着ているのはモチロン義経公の鎧です。

国見町に入ってすぐに目についた「吉田果樹園」さんの「不ぞろいサクランボ販売」の文字。速攻で車を止めてもらって速攻で店内に。結構深めの透明ケースにビー玉のような大粒のサクランボが一杯入って400円!。お・・・お安い!!。速攻で購入して、車を出す前に一口😍・・・速攻でもう一度お店に駆け込み、もう一パック購入。ああ、あのお値段とあの味が忘れられない。

撮影日:2015年6月22日

 


ご当地マンホール in 福島県旧月舘町(伊達市)

2024年08月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡月舘町(つきだてまち)は福島県の東北部に位置した町です。伊達郡霊山町、川俣町、相馬郡飯舘村に隣接。福島市から車で約30分のところに位置し、自然が豊かで住環境に恵まれていることから、将来は福島市のベットタウンとしての発展が期待されていました。「町の木:ケヤキ」「町の花:山百合」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「花と笑顔あふれ 夢ひろがる緑のまち月舘を」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡小手川村・小手村が発足。

1893年、伊達郡小手村から小島村が分立。

1928年、小手川村が町制を施行、伊達郡月舘町となる。

1955年、月舘町と小手村が合併、伊達郡月舘町となる。

2006年、伊達町、梁川町、霊山町、保原町と合併、伊達市となりました。

昭和40年(1965)7月17日制定の町章は「月舘町の「月」を図案化したもので、両翼は限りない飛躍を表し、円は融和と協調の願いがこめられている。」伊達市公式HPより

旧月舘地区には独自のマンホールも上水道関連の蓋も見つけられませんでした。唯一見つけられた右書きの制水弁です。

撮影日:2015年6月22日

 


ご当地マンホール in 福島県旧霊山町(伊達市)

2024年08月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡霊山町(りょうぜんまち)は阿武隈山系の最北端に位置した町です。福島市、相馬市、保原町、梁川町、月舘町、川俣町、飯舘村、飯野町に隣接。

霊山の825mを最高峰に、四方を300~500mの山々に囲まれた丘陵地から形成され、町のほぼ中央を北流する広瀬川と、これに注ぐ石田川・小国川・祓川からなっており、これら中小河川の流域に平地が形成され耕地となっています。「町の木:赤松」「町の花:りんどう」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡掛田村・霊山村・石戸村・小国村が発足。

1898年、掛田村が町制を施行、伊達郡掛田町となる。

1955年、 掛田町、霊山村、石戸村、小国村が合併、伊達郡霊山町となる。霊山町大波地区が福島市に編入。

「昭和30年:町村合併記念碑」「伊達郡・霊山町碑」

2006年、伊達町、梁川町、保原町、月舘町と合併、伊達市となりました。

昭和39年(1964)5月制定の町章は「りょうぜんの「り」を図案化しながら山を表現し、将来への発展向上と円満なる団結・協力と平和をあらわしています。」伊達市公式HPより

霊山町には、独自のデザインマンホールはありませんが自治体章の有る上水道関連の蓋は幾つか見つける事ができました。

撮影日:2015年6月22日

 


ご当地マンホール in 福島県旧梁川町(伊達市)

2024年08月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡梁川町(やながわまち)は福島県中通りの東北端に位置した町です。伊達郡保原町、霊山町、国見町、桑折町、また県を跨いで宮城県白石市、丸森町に隣接。南西部より阿武隈川が入り、宮城県丸森町に北流。町の中央部に市街地が形成され、北東部山間をぬって阿武隈川に流れ込む広瀬川・塩野川・山舟生川などの流域に集落と耕地がひらけ、山間丘陵地帯にも集落が点在しています。

古くは伊達家の祖朝宗がこの地方を支配し、以来伊達家の居城となっていましたが、近世は養蚕が盛んで昭和初期まで蚕都梁川として栄えていました。町名は、町を流れる阿武隈川・広瀬川が、かつて格好の「鮭簗場」であったことから「簗川」と呼ばれ、江戸時代中期から「梁川」となったと云われています。「町の木:柿」「町の花:桜」「町の鳥:セキレイ」を制定。

梁川駅前の「三浦弥平翁記念碑」。第7回・8回オリンピック大会にマラソン選手として出場した人物です。

「第四代梁川町長:池田善治」胸像と「梁川町閉町記念碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡梁川町・五十沢村・富野村・山舟生村・白根村・堰本村・粟野村が発足。

1954年、東大枝村が梁川町に編入。

1955年、梁川町、五十沢村、富野村、山舟生村、白根村、堰本村、粟野村が合併して梁川町となる。

2006年、伊達町、霊山町、保原町、月舘町と合併、伊達市となりました。

マンホールには「町の木:柿」に止まる「町の鳥:セキレイ」と、上に「町の花:桜」、下に「水のひかるまち やながわ」の文字がデザインされています。

昭和40年(1965)10月1日制定の町章は「「やながわ」の「や」の字を図案化したものであるが、町村合併により新しい町となった旧梁川町、粟野村、堰本村、白根村、山舟生村、富野村、五十沢村のほか、境界変更によって編入された旧大枝村のうち東大枝の8地区の固い結びつきと、町民の円満性を表すとともに、道路交通網の整備拡充による町発展を表現したものである。」伊達市公式HPより

撮影日:2015年6月22日


ご当地マンホール in 福島県旧伊達町(伊達市)

2024年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡伊達町(だてまち)は福島市の北東に位置した町です。福島市、伊達郡保原町、桑折町に隣接。福島県内では面積が最小、人口密度が最も高く、町域は阿武隈川で東西に二分。伊達市細谷にある、東北本線「伊達駅舎」。霊山神社をモデルに改築された木造武家造の珍しい駅舎で、町名は駅名に由来します。「町の木:りんご」「町の花:桃」「町の鳥:かっこう」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑萌え、笑顔輝く、結いのまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡伏黒村(ふしぐろむら)、長岡村が発足。

1940年、長岡村が町制を施行、伊達郡伊達町となる。

1955年 伊達町が伊達郡伏黒村に編入される。

1957年、伏黒村が町制を施行、伊達郡伊達町となる。

マンホールには町章を中心に「町の花:桃」がデザインされています。

昭和41年(1966)11月6日制定の町章伊達町「ダテ」の「ダ」を力強く表現。未来に向かって発展、躍進する活力ある町であることを表しています。」伊達市公式HPより

撮影日:2015年6月23日


ご当地マンホール in 福島県旧保原町(伊達市)

2024年08月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧伊達郡保原町(ほばらまち)は福島県の北部、信達(しんたつ)平野の東部に位置した町です。福島市、桑折町、伊達町、梁川町、霊山町に隣接。東に阿武隈山系の霊山、西には吾妻連峰、北方には宮城県境の山々が遠望され、町の北西部を阿武隈川が北流、流域がひらけ町土のほぼ半分が平坦地となっています。

保原の地名はヨシの穂原が転じた、又は古くから呼称された「保土原」の地名が転じたとも云われます。町内の各地からは縄文時代の土器が出土しており、山沿い地帯に残る集落の形成は、約1000年前に上保原、高成田、金原田地内で金銀の鉱脈が発見されたのがはじまりといわれています。「町の木:赤松」「町の花:桃」「町の鳥:カッコウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「くだものの里 保原」

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡保原町・大田村・柱沢村・富成村・上保原村が発足。

1955年、保原町、大田村、柱沢村、富成村、上保原村が合併、伊達郡保原町となる。

2006年、伊達町、梁川町、霊山町、月舘町と合併、伊達市となりました。

マンホールには図案化した保原町行政区域と、特産の桃が二個。下に「くだものの里」「ほばら」の文字が有ります。

町章を中心に「町の鳥:カッコウ」「町の花:桃」「町の木:赤松」がデザインされています。

昭和32年(1957)12月制定の町章は「ホバラの「ホ」を図案化し、円は円満を示し、両翼は躍進・発展を象徴します。」伊達市公式HPより

保原町商業組合マスコットキャラクター『ククルス』・・・そも、何物??😓

撮影日:2015年6月22日