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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

羽黒(はぐろ)神社 in 福島県福島市御山谷

2024年08月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

福島市御山谷に鎮座される「羽黒(はぐろ)神社」。御祭神は『渟中太命(ぬなかふとのみこと)』

「福島市御山堂殿に鎮座される黒沼神社の摂社とされる。古くは稲倉魂命を祀ったものとされていたが、神仏習合した羽黒権現として信夫山伏の中核をなしてきた。古くは羽黒大権現と言われ、信夫、伊達一帯の総鎮守として信仰を集めてきた。弘化二年上棟の流造本殿は昭和52年の火災で焼失。」

駐車場を出てほんの少し坂道を上がり、石段を登って・・唐突に展開される石の道・・・に、しばし呆然。それでも福島県は遠い・・・ここまで来て引きかえせば多分二度目は無いだろう・・横に鎮座されていた山神社のお社に頭を下げ、私には危なっかし過ぎる石の道を登ります。

追い越し先を行くご亭主殿は、この道が間違っていない事を確認し、半ば不安そうに何度も立ち止まってはふり返り、私が来るのを待っています。

名月や  物にさわらぬ  牛の角 明月】、御神坂の途中に見かけた歌碑は、江戸後期の信夫山の御山村名主で、高名な俳人でもあった『西坂珠屑(しゅせつ)』の句。嘉永6年、珠屑の弟子達によって羽黒権現の下の大石に刻んで奉納されました。

大変だなと覚悟を決めた参道も、途次途次に奉納された碑などを見ながら、気が付けば石段参道。少し明るく開けた先に朱の色が見えてきました。

広い境内の中央。朱塗りの美しい拝殿に無事に辿り着く事が出来ました。現代医学&ご亭主殿と御祭神のお陰でこうして参拝できた事に深く感謝🙏。

参拝を終えて改めて見渡す境内。中でもひときわ異彩を放つのが、鉄塔から吊り下げられた「日本一の大わらじ」。長さ12m、幅1.2、重さ2t。もうこの単位自体に現実味がわきませんが、これを担ぐのに成人男性100人ほどの力が必要との事😅 とにかく巨大です。

江戸時代から400年にわたって受け継がれ、毎年2月に開催される羽黒神社の例祭「信夫三山暁まいり」。その昔、羽黒神社の仁王門に安置されていた仁王様の足の大きさに合わせた大わらじを奉納したことが由来とされ、稲わら約3,000束を使い、2週間かけて作られます。

「大わらじ奉納の鉄塔建立」の碑。奉納された大わらじは神社脇の大杉に吊るされていましたが、昭和51年8月の羽黒神社の焼失と共に大杉も焼けてしまっい、代わりとなる鉄塔を建立した事が記されています。

境内に奉納されている石祠、二十三夜塔などに並んで中央に、寛永元年(1624)建立の「安江繁家公徳碑」。上杉時代の福島奉行を勤め、良政によって郷民に慕われた人物と伝えられています。

「道祖神碑」「石祠」等々・・

無事に参拝を終えて元来た道を引きかえした所で、最初は目につかなかった「仁王門跡」の碑を見つけました。羽黒神社の仁王門が建っていたのはこのあたりで、いつの頃からか、このわずかな土地を仁王門平とよぶようになったそうです。

駐車場近くまで戻り、見慣れたクロネコさんに何故かしらホッとして、改めて気が付く「一の宮明神」😲。ねぇ・・来るときに見かけた??いや、どうだっただろう?? 礼を失しないように、改めて拝礼🙏🙏。

今更に気が付いて唖然としたこと・・福島県護国神社参拝の際、偶然お見掛けして画像に残した神社の社号標に「縣社 黒沼神社」。権力闘争に敗れ『渟中太命』と共にこの地に逃れてきた『石姫皇后』が配祀されている神社だったという事実😱😱 なぜ、鳥居を潜らなかったのか!!😭

参拝日:2015年6月23日

🌸🍀明日は奥州三名湯に数えられる「飯坂温泉」の紹介です。


ご当地マンホール ~規格蓋~ in 福島県福島市

2024年08月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

福島の地名は、安土桃山時代に信夫郡・伊達郡が蒲生氏郷支配になったとき、蒲生氏郷の下で城主となった木村吉清が、それまでの杉妻を福島と改名したという説が有力とされています。江戸時代以前より、福島城(杉妻城、大仏城)の城下町として町並みを形成。福島藩時代には幕府直轄領、徳川四天王本多忠勝の一族である「本多家」、老中を多く輩出した「堀田家」と藩主が変わり、江戸中期になると徳川将軍家との関係が深い「重昌流の板倉家」が治めることになり、会津藩に次ぐ石高を有していました。

明治以降の福島は蚕種、生糸、織物の集散地として栄え、日本銀行の支店を函館に続き全国で7番目に開設。福島競馬場の誘致にも成功し、現在に続く福島市の経済を支えています。

明治40年(1907)4月1日制定の市章は「「フ」の字を9字、「マ」の字を4字組み合わせて「フクシマ」を表し、四囲に大きく発展することを表現しています。」公式HPより

雨水用マンホール

制水弁

仕切弁

空気弁

消火栓

「消防用貯水槽・福島市消防本部」

規格蓋はコアなファンには秘かに人気があるのですが、地味さがまさって一般的には無視されがち💦。ラストは意外と綺麗なデザインが多い側溝蓋で花を添えます。お花見の名所信夫山の側溝蓋には「桜」がデザインされています。

桜のようにも見えますが花の先が丸いので「市の花:桃」と推測。

あぶくま親水公園のオオハクチョウ(コハクチョウ)がデザインされた側溝蓋。

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旧伊達郡飯野町(いいのまち)は阿武隈高地北部の丘陵地域に位置した町です。福島市、二本松市、伊達市、川俣町に隣接。福島県内では湯川村、中島村に次いで3番目に面積が小さく、北部に天井山 (532.2m)、千貫森 (462.5m) があるほか、比較的小さな山丘が連なっており、中心市街地を除く集落はその山裾に沿って点在しています。古くから農業とともに養蚕業が盛んで絹織物業の町として発展してきました。

明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡飯野村・立木村が発足。

1893年、立木村が青木村、立子山村に分村。

1930年、飯野村が飯野村と明治村に分村。

1937年、飯野村が町制を施行し、伊達郡飯野町(第一次)となる。

1955年、飯野町、青木村、大久保村、明治村が合併、伊達郡飯野町(第二次)となる。

2008年、福島市に編入し、福島市飯野町となりました。

昭和34年(1959)4月制定の町章は「「いいの」の文字を図案化して組み合わせたもので、4つの花弁は合併した1町3ケ村がお互いに手をとり合って飯野町が発展することを意味しています。」旧公式HPより

撮影日:2015年6月23日

 


ご当地マンホール ~デザイン編~ in 福島県福島市

2024年08月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

多くの観光名所を擁する福島市。国立公園の指定を受けている浄土平から福島のシンボルともいえる吾妻小富士のお鉢巡り。市街地からほど近くで福島盆地を見渡せる信夫山。花見の名所でもあり「福島に桃源郷あり」とも唄われる花見山公園など、季節ごとに多くの観光客で賑わいます。また市内には、ヤマトタケルの伝説が残る古湯「飯坂温泉」、全国有数の高濃度硫黄泉で知られる「高湯温泉」、市を代表する伝統工芸品のこけし発祥地として有名な「土湯温泉」があり、それぞれに長い歴史を誇っています。

マンホールには中央に「市の花と書いた星型」五分割で「きく」「もも」「さざんか」「さつき」「やまぶき」がデザインされています。

「市の木:ケヤキ」を中央に、左右に「市の鳥:シジュウカラ」「市の花:モモ」がデザインされています。

飯坂温泉地区のマンホールには、中央に日本最古の共同浴場「鯖湖湯」と「 鯖湖湯・飯坂温泉発祥の地」の文字、周囲に「リンゴ・モモ・サクランボ・梨」がデザインされています。

大阪府池田市「マンホールサミット」展示マンホール

「 鯖湖湯」

飯坂温泉PRキャラクター『もとはるくん』『乙和ちゃん』。二人の詳細は何故か不明😥

土湯温泉地区のマンホールには、歴史と伝統ある「土湯こけし」と「水芭蕉」がデザインされています。

「土湯こけし」

土湯こけしをモチーフに誕生したマスコットキャラクター『きぼっこちゃん』。昔はこけしを「きぼっこ」と呼んでいたそうです。

ラストは、「市の花:モモ」が一枝デザインされたマンホール。

撮影日:2015年6月23日&2015年6月24日

🌸明日はコアなマンホールファン向けの規格蓋の紹介です。


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県福島市

2024年08月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

福島市(ふくしまし)は福島県の北東部に位置する市です。福島県の県庁所在地で、西側の奥羽山脈と東側の阿武隈高地に挟まれた福島盆地の南西部分とその周辺の山岳・丘陵地域が主な市域となっています。中核市、保健所政令市、中枢中核都市に指定されており、二本松市、伊達市、桑折町、川俣町、猪苗代町に、また県を跨いで山形県:米沢市、高畠町、更に宮城県:白石市、七ヶ宿町に隣接。「市の木:ケヤキ」「市の花:モモ」「市の鳥:シジュウカラ」を制定。

キャッチフレーズは「実・湧・満・彩(みわくまんさい)福島市

明治22年(1889)、町村制の施行により信夫郡福島町・浜辺村・飯坂町・渡利村・鎌田村・岡山村・瀬上村・余目村・平野村・清水村・大笹生村・笹谷村・庭坂村・庭塚村・野田村・水保村・佐倉村・吉井田村・大森村・平田村・金谷川村・杉妻村・荒井村・土湯村・松川村・水原村が発足。

1892年、大森村上鳥渡・下鳥渡・成川が分立、信夫郡鳥川村が発足

1902年、瀬上村が町制を施行、信夫郡瀬上町となる。

1904年、福島町が信夫郡浜辺村および清水村の一部を編入。

1907年、福島町が市制を施行、福島市となる。

1936年、松川村が町制を施行、信夫郡松川町となる。

1947年、福島市が、信夫郡渡利村・杉妻村・瀬上町・清水村・岡山村・鎌田村および吉井田村方木田地区を編入。

1954年、福島市が、信夫郡余目村を編入。

1954年、庭坂村・庭塚村が合併、信夫郡大庭村が発足。

1955年、大森村・鳥川村・平田村が合併、信夫郡信夫村が発足。飯坂町が、信夫郡平野村・中野村、伊達郡湯野町・東湯野村・茂庭村と合併、改めて信夫郡飯坂町が発足。

1955年、松川町・水原村・金谷川村が合併、改めて信夫郡松川町が発足。さらに安達郡下川崎村を編入。

1955年、福島市が信夫郡大笹生村・荒井村・土湯村・笹谷村・吉井田村および伊達郡霊山町大波地区を編入。

1956年、大庭村・野田村・水保村が合併、信夫郡吾妻村が発足。

1956年、福島市が信夫郡佐倉村を編入。

1957年、福島市が吾妻村八島田・笹木野・下野寺の各一部を編入。

1962年、吾妻村が町制を施行、信夫郡吾妻町となる。

1964年、福島市が信夫郡飯坂町を編入。

1966年、福島市が信夫郡松川町・信夫村を編入。

1968年、福島市が信夫郡吾妻町を編入。

2008年、伊達郡飯野町を編入、現在に至っています。

マンホールには「福島わらじまつり」で長さ12m、 重さ約2tの大わらじを曳く様子が描かれています。

「羽黒神社・奉納大わらじ」

「市の木:ケヤキ」がデザインされた側溝蓋

「市の花:モモ」がデザインされた側溝蓋

「市の鳥:シジュウカラ」がデザインされた側溝蓋

信夫山のPRキャラクター『わらじい』。本名は『羽黒護佐衛門藁介(はぐろごんざえもんわらすけ)』。信夫山の羽黒神社に奉納された「日本一の大わらじ」から生まれました。信夫山の観光大使として、地元のイベントなどに参加しています。

雪どけの季節、吾妻連峰にウサギのように見える雪形、通称「雪うさぎ」から生まれた、福島市観光PRキャラクター『ももりん』。長い耳とつぶらな瞳で、福島の良いところを日々探しています。

JA新ふくしまの合併20周年を記念して誕生した『おらほの味方!!桃之介』。生みの親は、JA新ふくしまの職員さん。特産品の桃がモチーフで、背中のカゴにも特産品のリンゴ、ナシ、キュウリが入っています。

デザインマンホール、規格蓋の枚数が意外と多く、三日に分けての紹介。明日は「ご当地マンホール~デザイン編~」です。

撮影日:2015年6月23日

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マンホールカード、頂きました。

2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「福島市」のマンホールカードは、「福島市下水道建設課(休日:福島市観光コンベンション協会 観光案内所)」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「福島わらじまつり」の様子がデザインされています。

「江戸時代から300余年の伝統を有する「信夫三山暁まいり」(12月)に由来し、毎年8月に開催される「福島わらじまつり」を デザインしたマンホール蓋です。信夫三山暁まいりはその昔、旅に出る人々が道中の無事を祈願し、羽黒神社に安置されていた仁王様の足に 合わせて作られた「大わらじ」を奉納したのが始まりとされています。大わらじの大きさは、長さ12メートル、幅1、4メートル、 重さ約2トンもあり、これを担ぐには成人男性100人ほどの力が必要です。まつりは市民総参加で二日間にわたって開催され、大わらじの 奉納のほか、わらじ競争や踊りなどが興じられます。」

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県

2024年08月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

福島県(ふくしまけん)は日本の東北地方に位置する県です。県内には13市31町15村の自治体が属しており、県庁所在地は福島市。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」。県域は2015年の国勢調査では、北海道、岩手県に次ぐ全国3位。県内は越後山脈と奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸の県西部に位置する「会津」、奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸の県中央部に位置する「中通り」、阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸の県東部に位置する「浜通り」に大別されます。宮城県、山形県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県に隣接。「県の木:ケヤキ」「県の花:ネモトシャクナゲ」「県の鳥:キビタキ」を制定。

県名は、当初県庁所在地だった福島町から取ったものですが、文禄2年(1593)ごろに木村吉清によって「福島城」として使われたのが最初といわれています。安達太良山や磐梯山、猪苗代湖、五色沼などの自然景観を、また会津若松城、須賀川の牡丹園、白河の関、大内宿を始めとした多くの観光資源を有しています。

キャッチフレーズは「うつくしま、ふくしま。」

明治2年(1869)、福島藩が消滅し、福島県(第1次)が設置。安達郡二本松藩領37村、伊達郡幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡幕府領1村を管轄。

1871年、廃藩置県により旧制の福島県(信夫郡、伊達郡、安達郡)が成立。

1876年、旧福島県、若松県(会津地方)、磐前県(浜通り)が合併、福島県が成立。その際、磐前県北部が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管。

1886年、東蒲原郡が新潟県へ移管され、現在の福島県域になる。

あだたら流域下水道マンホールには、「あだたら流域 あぶくまがわ あだたら幹線」の文字。県章の中に「阿武隈川」「安達太良山」「福島県の花:ネモトシャクナゲ」「県の鳥:キビタキ」がデザインされています。

「県の花:ネモトシャクナゲ」

「県の鳥:キビタキ」

県章の中に「磐梯山」「猪苗代湖と白鳥」「AIZU うすい」の文字がデザインされたマンホール。

昭和43年(1968)10月23日制定の県章は「福島県のかしら文字「ふ」の字を図案化したもので、県民の融和と団結を表し、県勢の着実な前進を象徴するものです。明治100年記念行事の一環として制定されました。」公式HPより

消雪用マンホール

「第50回国民体育大会(ふくしま国体)」マスコットとして誕生した『キビタン』。 福島県の鳥「キビタキ」がモチーフになっています。 愛らしい姿から広く県民に親しまれ、国体終了後も県内外のイベントなどで活躍しています。

某局大河ドラマ「八重の桜」の主人公「新島八重」をモチーフに、八重のふるさと「福島県」をPRするために誕生した『八重たん』。観光の魅力がいっぱいの福島県に来ていただくため、県内外で元気いっぱい活動しています。

撮影日:2015年6月18日~2015年7月4日

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マンホールカード、頂きました。

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「福島県流域下水道」のマンホールカードは「福島県あだたら清流センター(休日は二本松市観光案内所)」でいただけます。

1998年に設置開始されたマンホールには「安達太良山」と「キビタキ」と「しゃくなげ」がデザインされています。

「福島県の鳥「キビタキ」、花「しゃくなげ」、二本松市の山「安達太良山」の3つをデザインしたマンホール蓋です。 安達太良山は日本の百名山および花の百名山に選ばれた名峰で、春夏はしゃくなげなどの高山植物、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の装いを見せてくれます。 明治から昭和にかけて活躍した詩人・高村幸太郎は妻・智恵子への愛を記した「智恵子抄」の中で、彼女が生まれ育った福島県(油井村)への想いを「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が、智恵子のほんとの空だといふ」と綴りました。 本デザインには、当時と変わらぬ美しい自然を守りたいといの想いが込められています。」

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相馬市・南相馬市・朝川町・石川町・泉崎村・飯館村・小野町・大熊町・葛尾村・鏡石町・川内村・鮫川村・西郷村・新地町・玉川村・棚倉村・豊岡町・中島村・楢葉町・浪江町・塙町・広野町・平田村・古殿町・双葉町・矢奈町・矢吹町の2市15町10村は未訪問の為、マンホール画像はありません。