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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 徳島県旧那賀川町(阿南市)

2020年09月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

旧那賀郡那賀川町(なかがわちょう)は徳島県の東部、那賀川平野とも呼ばれる阿南平野に位置した町です。小松島市、阿南市、那賀郡羽ノ浦町に隣接。町域は那賀川の河口部、那賀川によって運ばれた肥沃な大地の上にあり、平安の昔から開けてきました。足利氏が270年間、この地に「阿波公方」として居を構えたことでも有名です。2005年11月2日に那賀川の中州に現れたメスのアゴヒゲアザラシ、特別住民票上の氏名は「那賀川 ナカちゃん」が有名でした。「町の木:松」「町の花:水仙」「町の鳥:ゆりかもめ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、那賀郡今津浦村・平島村が発足。

1915年、今津浦村が改称、那賀郡今津村が発足。

1956年、旧那賀郡今津村、平島村が合併、那賀郡那賀川町が発足。

2006年、阿南市に編入され、阿南市那賀川町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の木:松 」と「町の花:水仙」「 町の鳥: ゆりかもめ」がデザインされています。

昭和43年制定の町章は「町の発展の動脈である那賀川を中心とし、周囲をなかがわのナとカの2文字で丸く囲んだデザインは円満な町の和を、そして上に開いたつばさは、町の無限の飛躍を表しており、豊かで住み良い平和な町を象徴しています。」旧公式HPより

「道の駅:公方の郷なかがわ」のアイドル『ナカちゃん』。アゴヒゲアザラシの「ナカちゃん」をモチーフに誕生しました。

撮影日:2013年3月17日

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「道の駅:公方の郷なかがわ」では、2013年、2014年の車泊の旅で車中泊をさせて頂きました。物産館には新鮮な野菜やお魚が一杯並び、ああ、近くにあったらと思わず嘆息しつつ、ついついお野菜を買い込んでしまい、帰るまでどうしようと悩んだことが懐かしく思いだされます。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 徳島県阿南市

2020年09月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

阿南市(あなんし)は四国最東端、徳島県東部の中央海岸線に位置する市です。小松島市、勝浦郡勝浦町、那賀郡那賀町、海部郡美波町に隣接。東は紀伊水道、南は太平洋に臨み、西は四国山系の東端に連なる山地と沖積平野からなっています。古くから城下町であった富岡町周辺には中心市街地が、 また、阿波3港のひとつとして栄えてきた橘港を擁する橘町には、副都心的市街地がそれぞれ形成。さらに臨海部は、古代から漁業の根拠地でしたが、今日では工業開発の拠点として、 また海洋レクリエーション地帯として脚光を浴びるようになっています。「市の木:梅」「市の花:ヒマワリ」「市の鳥:ツバメ」を制定。

四国で最初に太陽が昇る町である事から、キャッチフレーズは「四国最東端 光のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、那賀郡富岡村・橘浦村・新野村・桑野村・椿村・中野島村・宝田村・長生村・大野村・加茂谷村・見能林村・福井村が発足。

1905年、富岡村が町制を施行、那賀郡富岡町となる。

1912年、橘浦村が町制を施行、改称し那賀郡橘町となる。

1915年、新野村が町制を施行、那賀郡新野町となる。

1940年、桑野村、椿村が町制施を施行、那賀郡桑野町、椿町が発足。

1954年、富岡町、中野島村、宝田村、長生村、大野村の一部が合併、那賀郡富岡町が発足。

1955年、加茂谷村・見能林村・桑野町が富岡町に編入。橘町、新野町、椿町、福井村が合併、那賀郡橘町が発足。

1958年、那賀郡富岡町と橘町が合併、市制を施行、阿南市が発足。

2006年、那賀郡那賀川町、羽ノ浦町を編入。

マンホールには市章を中心に「市の花:ヒマワリ」と「市の木:ウメ」がデザインされています。

雨水用のデザインマンホールには、「市の花:ヒマワリ」を中心に、「市の木:ウメ」がデザインされています。

昭和33年(1958)9月制定の市章は「市の歴史と伝統を背景として創造・飛躍・発展を期し、理想に向って前進しようとする阿南市を「あ南」として、合体図案化しています。 」公式HPより

阿南市イメージアップキャラクター『あななん』は、いちばん最初に太陽が昇る”光のまち阿南”に咲くひまわりから生まれました。花と光のたてがみを持った百獣の王ライオンのような不思議な生物です。

撮影日:2013年3月17日

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ご当地マンホール in 徳島県小松島市

2020年09月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

小松島市(こまつしまし)は徳島県のおよそ東部中央、紀伊水道沿岸に位置する市です。徳島市、阿南市、勝浦郡勝浦町に。また海上を隔てて和歌山県和歌山市に隣接。勝浦川の流域に開けた平野に位置し、市の中心地は徳島小松島港付近で、東に紀伊水道の海をのぞみ、 西には遍路修行の四国の聖なる山々を擁しています。古くは屋島に逃れた平氏を討つために源義経が小松島より上陸したという「義経伝説」や、「阿波狸合戦」「金長狸民話」などが知られています。「市の木:ヤマモモ」「市の花:花水木」を制定。

キャッチフレーズは「優 (YOU)・愛 (I) タウン・小松島 -風と光のハーモニーが聞こえる未来(あした)へ-」
南小松島駅では「ぽんぽこ一家 希望の像」が、家族揃ってお出迎えしてくれます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、 勝浦郡小松島村、那賀郡立江村が発足。

1908年、立江村が町制を施行、那賀郡立江町となる。小松島村が町制を施行、勝浦郡小松島町となる。

1951年、小松島町が那賀郡立江町を編入。同年6月、市制を施行し小松島市となりました。

マンホールには市章を挟むように「タヌキの親子」が向かい合って笑っています。

市章は昭和9年5月に町章として制定されたもので「小松島市の頭文字「小」を錨でかこみ、港都小松島市をシンボライズしています。」公式HPより

「小松島ステーションパーク」で見つけたプレートには、機関車の車輪がデザインされています。

小松島市のマスコットキャラクター『こまポン』は、みなとまち小松島市生まれの勇敢で可愛い招きたぬき。お気に入りの「ちっか(ちくわ)ソード」は小松島の竹ちくわを、特別に剣にしてもらったものです。

元根川に架かる「彌生橋」の親柱には「市の花:花みずき」が、可れんな花を咲かせています。

南小松島駅に建立されていた『折口信夫』歌碑。

【小松島の 停車場降りて ひたぐもる この夕暮も 見覚のある】

冒頭で紹介した「源義経の騎馬像」は、とくしま88景の一つ、標高約20mの旗山の山頂に建立されています。 平家討伐に訪れた義経軍は小松島より上陸し、自軍の士気高揚のために旗山へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたと云われています。

旗山へは八幡神社の石段参道を登って行くのですが、入口にはこんな顔出し😊 市内には義経ゆかりの地を結ぶ「義経ドリームロード」等と言うのもあるそうです。

撮影日:2013年3月17日&2014年3月23日
  

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ご当地マンホール in 徳島県北島町

2020年09月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡北島町(きたじまちょう)は徳島県の北東部に位置する町です。南は徳島市、北は鳴門市、東は板野郡松茂町、西は藍住町に隣接。東部海岸の北半分に位置し、吉野川が紀伊水道に注ぐ河口に生じた三角州性平野のほぼ中央を占めています。地形は西高東低で山はなく、周囲を旧吉野川、今切川に挟まれた「ひょうたん形」の島になっており、徳島県内の自治体では最も面積が小さく、四国地方では最も人口密度の高い町です。「町の木:モクセイ」「町の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「花と緑と水にめぐまれた街」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡北島村が発足。

1940年、北島村が町制を施行、板野郡北島町が発足しました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザイン物はありません。

昭和47年(1972)1月1日制定の町章は「北島町の頭文字「北」を図案化し、かたどる飛鳥で町の飛躍向上を表し、円形は町民の団結と友愛と限りない発展を表現しています。」公式HPより

幸せの花咲くひょうたん島”北島町を体現したキャラクターたち。北島町のチューリップが大好きなチョウチョの女の子「チュリ子」。「チュリ子」のお姉さんで町の花「キク」をモチーフにしたチョウチョの女の子「きく」。町を上から見た“ひょうたん”の形がモチーフの「ひょうたん丸」。藍染めの着物を着て普段は畑を耕して過ごしています。

撮影日:2018年6月19日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 徳島県松茂町

2020年09月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡松茂町(まつしげちょう)は徳島県の北東部に位置する町です。徳島市、鳴門市、板野郡北島町に隣接。町内を旧吉野川と今切川が流れ、町の大部分は肥沃な三角州に占められています。その昔、町域は吉野川河口の三角州として形成された低地で、干拓によって新田開発がなされ土地が造成。その際、堤を築き多くの松が植栽されまた事から「松茂村」と命名され、町制後に引き継がれました。町内には徳島県の空の玄関:徳島空港や、陸の玄関:高速バスターミナルを擁し、徳島県の交通の要所として、人の往来も盛んです。「町の木:黒松」「町の花:マツバギク」を制定。

キャッチフレーズは「夢フライト21・松茂・空と海が輝く緑の臨空都市をめざして」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡松茂村が発足。

1961年、松茂村が町制を施行、板野郡松茂町となりました。

マンホールには、シンボルマーク の「マッピー」を中心に「松葉菊」がデザインされています。

集排マンホールには、「町の木:黒松」「町の花:松葉菊」と、下に町章がデザインされています。(松茂町役場内に展示)

昭和36年(1961)8月1日制定の町章は「松茂町の松にちなみ、松葉を図案化したものです。将来(松葉の先)に向かって大きく飛躍発展する松葉を象ったものです。」公式HPより

松茂町のマスコットキャラクター『松茂係長』。体はサツマイモ、耳はダイコン、鞄はレンコンと、全身が町の特産品で出来ています。こう見えて公務員です。

撮影日:2018年6月20日&2018年12月16日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「松茂町」のマンホールカードは、「【平日】松茂町役場 下水道課【休日】松茂町役場 日直室」でいただけます。

2002年に設置開始されたマンホールには「マッピー」を中心に「松葉菊」がデザインされています。

「松茂町のシンボルマーク「マッピー」と町の花「松葉菊」のデザイン蓋です。 マッピーは、松茂町制施行40周年を記念して図案化されました。 顔の輪郭は松茂のイニシャル「M」をベースに描出されており、曲線を使ってあたたかく元気なイメージを表すとともに、環状に交差した部分が、空港や国道を擁する交通の要衝であることを意味しています。 襟元の緑の線は、重なり合う「松葉」をモチーフに「手をつなぐ様子」を表現したもの。 愛称の「マッピー」は、松茂の「マッ」、ハッピーの「ピー」を組み合わせて生まれました。 本カラー蓋は役場内に展示中ですが、まちの中のモノクロ版もかわいいと評判です。」

訪問日:2018年6月19日

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ご当地マンホール in 徳島県藍住町

2020年09月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡藍住町(あいずみちょう)は徳島県北東部、吉野川の下流北岸に位置する町です。徳島市、鳴門市、板野郡板野町・北島町・上板町、名西郡石井町に隣接。町名は藍園村と住吉村が合併した際にそれぞれの頭文字から制定されました。旧吉野川と吉野川に囲まれたデルタ地帯で、板野郡のほぼ中央にあり、海抜はわずか5.17m。山がまったくない珍しい町です。かつては藍の栽培が隆盛を極め、全国的に広まりましたが、近年では肥沃な地味と温暖多湿で水利の便に恵まれた条件を生かし、全国有数の春ニンジンの産地となっています。「町の木:クスノキ」「町の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは、「花と緑と太陽の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡藍園村・住吉村が発足。

1955年、藍園村、住吉村が合併、町制を施行し板野郡藍住町が発足。

マンホールには「花と緑と太陽の町」の文字と「町章」、「藍の木と花」がデザインされています。

昭和32年1月1日制定の町章は「藍の色は澄みきった大空と肥沃なみどりの平野、そして吉野川の清流をあらわす。円は人の 和と無限の発展を象徴し、平和で住みよい理想郷実現の願いがあらわれている。」公式HPより

 

藍住町マスコットキャラクター「あいのすけ」。心優しい藍商人の彼の使命は、 町の特産品「藍染品」や、甘い「春ニンジン」のPRです。

撮影日:2014年3月24日&2018年6月19日

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ご当地マンホール in 徳島県徳島市

2020年09月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

徳島市(とくしまし)は四国北東部、徳島県の東部に位置する市です。小松島市、勝浦郡勝浦町、板野郡松茂町・北島町・藍住町、名西郡石井町・神山町、名東郡佐那河内村に。また紀伊水道を隔てて和歌山県和歌山市に隣接。吉野川とその支流がつくり育てた三角州に位置し、徳島県の県庁所在地及び最大の都市であり、地方の中核的都市として、産業をはじめ、政治、経済、文化等、さまざまな面において高い集積があります。歴史は古く、天正年間に蜂須賀家政が阿波に入国し、城郭を築いたのが始まりで、蜂須賀14代の治世のもと、阿波の政治・経済の中心として栄えて来ました。また、徳島を代表する「阿波踊り」は、日本三大盆踊りや四国三大祭りの代表的な存在として知られています。「市の木:ホルトノキ」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「わくわく実感! 水都とくしま。」

明治22年(1889)、市町村制の施行により、徳島城下を中心とした名東郡徳島町他、29町8村を市域として徳島市が発足。
 名東郡加茂名(かもみょう)村・斎津村・沖洲村・八万村・加茂村・新居村・国府村・北井上村・南井上村が発足。
 名西郡入田村・上八万村。勝浦郡多家良村・勝占村、板野郡川内村・応神村が発足。

1908年、国府村が町制を施行、名東郡国府町となる。

1915年、加茂名村が町制を施行、名東郡加茂名(かもな)町となる。

1926年、徳島市が名東郡斎津村、沖洲村を編入。

1933年、加茂村が町制を施行、名東郡加茂町となる。

1937年、徳島市が名東郡加茂名町、八万村、加茂町を編入。

1951年、徳島市が勝浦郡多家良村、勝占村を編入。

1952年 - 新居村が町制を施行、名東郡新居町となる。

1955年、徳島市が名東郡新居町、名西郡入田村、上八万村、板野郡川内村を編入。

1955年、国府町、北井上村、南井上村が合併、名東郡国府町(第二次)が発足。

1966年、徳島市が板野郡応神村を編入。

1967年、徳島市が名東郡国府町を編入。

市域にはデザインマンホールはなく、市章のある規格蓋のみ。

明治42年(1909)10月29日制定の市章は「徳島藩の徽章(きしょう)であった子持筋の下に市の文字を配して円形にしたもので、本市が徳島県の中枢であることを表徴しています。」公式HPより

日本地図が描かれた 「国土地理院」「三角点」「基本」と書かれています。「国土地理院」は、国土交通省設置法及び測量法に基づいて測量行政を行う、国土交通省に置かれる特別の機関の名称です。

マンホールは少ないですが、路上絵は意外と沢山の種類が見つかりました。流石は阿波踊りで有名な徳島市、見つけた路上絵は全て阿波踊りで、大まかに「男踊り」と「女踊り」に大別されます。

「男踊り」は、半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりからげに着て踊る浴衣踊り。所作は大きく、時には勇猛に、時には滑稽に、うちわや手ぬぐいなどを使う事もあります。 

「女踊り」は浴衣に下駄履き、網笠を深く被り、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされます。一般的な浴衣と違い、襦袢に裾除け、手甲を付け、黒繻子の半幅帯をお太鼓に結びます。

ご当地マンホールならぬ、ご当地ポスト。こういうのって、実はとっても好き😄

市内の随所に設けられた、歩き遍路さんの為の休憩スポット。もちろん、誰でも利用できます。

撮影日:2013年3月16日

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ご当地マンホール in 徳島県鳴門市

2020年09月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

鳴門市(なるとし)は四国の東端、徳島県の北東端に位置する市です。
板野郡松茂町・北島町・藍住町・板野町、さらに県を跨いで香川県東かがわ市。また鳴門海峡を挟んで兵庫県南あわじ市に隣接。神戸淡路鳴門自動車道の四国側玄関口に位置し、淡路島との間には市名の由来となった鳴門海峡があり、鳴門の渦潮で知られています。市域は四国本島と大毛島、高島、島田島から成り、市の南側の市町境付近には旧吉野川が流れ、市の北西地域が阿讃山脈の最東部に位置している事から全体的に山地の比率が高くなっています。

室町時代には細川氏が、戦国時代には三好氏が阿波を支配。市内には林崎城・木津城・土佐泊城などが築かれました。天正13年(1585)には、蜂須賀家政が領主となり妙見山上に撫養城(岡崎城)を築き、林崎浦はその城下町として発展しました。「市の木:モチ」「市の花:ハマボウ」を制定。

キャッチフレーズは「いきいき 未来に輝く 交流拠点都市 なると」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡鳴門村・撫養町・瀬戸村・里浦村・板東村・堀江村 ・大津村・北灘村・板東町・堀江町が発足。

1915年、板東村が町制を施行、板野郡板東町が発足。

1928年、 瀬戸村が町制を施行、板野郡瀬戸町が発足。

1940年、鳴門村が町制を施行、板野郡鳴門町が発足。

1947年、板野郡撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村が合併、鳴南市が発足。二ヵ月後に鳴戸市と改称。

1955年、板野郡大津村を編入。

1956年、板野郡北灘村を編入。

1959年、板東町・堀江町が合併、板野郡大麻町が発足。

1967年、板野郡大麻町を編入。

汚水マンホールには「大鳴門橋」と、「鯛」「ゆず」「鳴門の渦潮」がデザインされています。

雨水用マンホールには、「大鳴門橋」と、「鳴門海峡の渦潮」がデザインされています。(鳴門市役所下水道課)

昭和22年(1947)11月7日制定の市章は、「鳴門市を代表する「鳴門の渦潮」をかたどったものです。円の中は、各単位の町を表し、それぞれが特性を生かして渦のように力強く躍進し、限りない発展をとげるとともに、図全体は鳴門市が円滑に繁栄することを象徴しています。」公式HPより

お茶園展望台と鳴門山展望台を結ぶ歩道橋の路上絵は、大鳴門橋、鳴門の渦潮、阿波踊。

鳴門市制施行50周年を記念して誕生した鳴戸市マスコットキャラクター『うずしおくん・うずひめちゃん』。胸に渦のマーク、頭に大鳴門橋の冠をかぶり、鳴門の町をPRしています。

撮影日:2013年3月15日&2018年6月19日

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徳島県鳴門市のマンホールカード

2020年08月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

2017年4月3日、第四弾として全国42自治体で50種類(累計146自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。
「鳴門市」のマンホールカードは、「鳴門市役所下水道課(共済会館1F)」で平日のみ、いただけます。

2002年に設置開始されたマンホールには、「大鳴門橋と渦潮」と「鯛」と「梨」がデザインされています。

【鳴門市のマンホール蓋は、公募で選ばれた市内の中学生の案をもとに作成しました。 図柄の上部には、四国の玄関口である鳴門と淡路島をつなぐ「大鳴門橋」をシンプルに表現。 船が行きかう「鳴門海峡」をブルーで描写し、その左下から右中央部へかけて、世界最大級を誇る「渦潮」をなめらかな曲線で描き出しました。 また、中央にあしらった名産「梨」の隣に、鳴門海峡の急流にもまれ、適度な脂の乗りと引きしまった身が一級品と評判の「鯛」をデザインしています。 鳴門の渦潮は、時に直径が30mに達するなど、その迫力は一見の価値あり。 是非、本カードの絵と見比べてみてください。】

座標軸マンホール

鳴門市役所下水道課の展示マンホール

マンホール所在地マップ

訪問日:2018年6月19日

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ご当地マンホール とマンホールカード in 徳島県

2020年08月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

徳島県(とくしまけん)は四国の東部に位置する県です。東は紀伊水道に面し、北は香川県、南は高知県、西は愛媛県に隣接。徳島平野と那賀川平野を除いては全体的に山地の多い地形で、特に徳島平野以南に峙える四国山地は西日本でも有数の険しい山岳地帯であり、県総面積の約75%を森林が占めています。反面、吉野川や那賀川、四国山地、讃岐山脈、紀伊水道をはじめとする自然が多く残っており、鳴門の渦潮や祖谷渓、大歩危・小歩危、阿波土柱などの観光資源や、江戸時代より約400年の伝統がある阿波踊りなどの文化を有しています。県庁所在地は徳島市で、8市8郡15町(ちょう)1村(そん)を有します。「県の木:山桃」「県の花:すだちの花」「県の鳥:白鷺」「県の色:藍色」を制定。

キャッチフレーズは「「オンリーワン徳島」の実現」

明治4年(1871)、 廃藩置県により、徳島県(旧徳島藩の阿波国・淡路国)が設置。同年12月、名東県(みょうどうけん)に改名。

1873年、香川県(旧讃岐国)が名東県に編入。

1875年、香川県が名東県から分離独立。

1876年、名東県は分割されて廃止。淡路島は兵庫県に、旧阿波国は高知県に編入。

1880年、旧阿波国が高知県から分離独立、現在の徳島県となりました。

マンホールには、県章を中心に「あゆ・あめご・てながえび・しおまねき」がデザインされています。

昭和41年(1966)3月制定の県章は「「とくしま」の「とく」を図案化し飛鳥としたもので、融和、団結、雄飛、発展の県勢を簡明に表現しています。」HPより

飯尾川・あまさじ橋の親柱には「県の木:ヤマモモ」と「県の鳥 :シラサギ」。

新町川・新町橋には「県の花:すだちの花」の鮮やかなカラープレート。

東四国国体で、県のマスコットとしてデビューした『すだちくん』。2015年からは「とくしま創生サポーター」として、2017年からは「お接待文化」の伝道師「COO(Chief Offer Osettai:お接待提供主任者)」として、活躍しています。

徳島県警シンボルマスコット『うずしお君』。「太陽が警察官の制帽を着用しているもので、太陽は万物に光とエネルギーを与えることから、南国徳島県における公平無私にして強く、明るく、親切な警察を象徴し、帽章部分に豪快なうず潮を配して、警察の果敢な執行力を付加しています。」公式HPより

(一財)徳島県観光協会PRキャラクター『花れんちゃん』。花の妖精だそうです。

撮影日:2013年3月16日&2018年12月15日

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2018年12月14日、第7弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「徳島県」のマンホールカードは、「旧吉野川浄化センター(愛称:アクアきらら月見が丘)」でいただけます。

2009年に設置開始されたマンホールには、県章を中心に「あゆ・あめご・てながえび・しおまねき」がデザインされています。

「徳島平野の中央を西から東に流れる吉野川。 紀伊水道へと流れ出る河口には、潮が引くと広大な干潟が現れ、多くの希少生物の生息地となっています。 マンホールの右下に描かれた「シオマネキ」は、片方の大きなハサミを振る動作が潮を招いているように見えることから、その名が付けられました。 この吉野川干潟が日本でも有数の群生地となっています。 その他にも「アメゴ」「アユ」「テナガエビ」といった吉野川の生物たちが描かれています。 このデザインには、「これら貴重な生物の生息できる『きれいな川や海を未来まで』つなげていきたい」という思いが込められています。」

訪問日:2018年月12日15日

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