台湾台中おせっかい日記

2001年に台湾の台中へやってきた日本人女性が、好奇心丸出しで探した台湾グルメ、文化、風景をつづります。

台南鹽水  八角楼

2016年07月15日 | 台湾のおでかけ&観光地 ホテル

銀蜂冰(氷)果室の店の裏にある古跡「八角樓」。鹽水で最も観光名所らしい場所でもあります。


2階の出窓が少し出っ張っていますが、その作りが八角堂の名前の由来です。


説明に依りますと、清朝道光27年(1847年)、製糖業で財を成した「葉連成」という会社で、老闆の葉開鴻氏と4人の息子たちが建てたものだそうです。


入場無料。管理する人も見当たらず、ちょっとお邪魔して中を見学。




明治29年に、当時の当主、葉瑞西先生が、褒賞をいただいたということなど書いてあります。台南州(当時)の参与。


葉一族や鹽水の紹介パネルなど、數部屋に渡って展示されています。









鹽水に来られたら、ぜひ、八角樓も見学してみてください。


台南鹽水 阿妙意麺

2016年07月10日 | 台湾の食べ物 小吃&飲料&フルーツ

鹽水名物の1つ、「鹽水意麺」。「意麺」は、南投、台南が有名ですね。
私の勝手な想像ですが、日清カップラーメンを発明した安藤百福氏は、台湾にいたころに食べた「意麺」をヒントに、常温で保存できて、お湯で戻してすぐ食べられるチキンラーメンを作りだしたのではないかと。
意麺の定義は、「小麦粉と卵」で作り、乾燥或いは揚げて、常温で数日保存ができる、というよなものだと思います。
★小麦粉を使った食べ物で、水を入れないで焼いたり、乾燥させると結構日持ちするみたいですね。

茹でると、微妙な歯ごたえのある、それでいて、コシがあるようなないような、つるっとしているような、独特のものがあります。私は、こういうの嫌いじゃないので、小吃店なんかで、軽く食事する際に、メニューに「意麺」とあれば、迷わず注文します。


麺は縮れがあります。つるっとのど越しもいいです。


「鹽水観光グルメマップ」

さて鹽水の中山路を中心とした小吃通りには、「意麺」の看板があちらこちらに見えます。
初めて来たので、どこがいいか分からなかったのですが、11時ということもあり、少し早めの昼食、それでも人が数人入っているお店に入ってみました。




お店には、いろいろ有名人や取材が来たらしく、写真がいっぱい貼ってありました。


至ってふつうの店内。5月のはじめ、初夏の昼時はけっこう気温が高いので、軽くクーラーがついていました。

何を食べようかと、壁のメニュー、手元もオーダー表を見てみました。



「肉燕酥」って初めて見たし、オススメらしいので、これを注文。
スープ付きと無しが選べます。

とりあえず、スープ付きをオーダー。

揚げワンタンでした(^^)。 スープ有無共に20元。
あっさりした塩味スープ。食べ始めと食べ終わりでは、揚げたワンタンの皮の食感に変化があるので、それなりに楽しめます。

さて、本題の意麺もスープ有と無し、さらにはワンタントッピングの有るものも。

ワンタン載せ意麺スープ有。小50元 大60元。


意麺 スープ無し 小30元 大40元。
個人的には、これとスープ付きの肉燕酥を頼むのがおすすめですね。

お店の外では、意麺の箱売りも。街の至る所で売っています。

宅配もできます。保存期限が長くないので、うちは小で充分。中には20玉くらい入っていました。
お店で出てくる小が1玉、大が2玉使っているような分量です。





スタッフTシャツ(?)が可愛いので、後ろ姿も撮らせてもらいました。


お店の中にあるレトロなおもちゃなんかもそうですけど、老闆のポップな感覚が分かりますね。

 鹽水點心城阿妙意麺




 


 

 


台南鹽水 「銀蜂氷果室」 スイカジュース

2016年07月09日 | 台湾の食べ物 小吃&飲料&フルーツ

台南鹽水と聞いて思い出すのは、元宵節(旧暦の1/15)に開催される「蜂炮」というお祭り。
台南鹽水蜂炮

とにかく大量の爆竹が空も町も焼き尽くすのではないかと思うような台湾で一番過激な祭りの一つです。

その祭り以外は、至って静かな町。
観光地という雰囲気でもないので、いつも通り過ぎていましたが、またまたテレビの番組で、「スイカジュース」を紹介していたので、墾丁に行く通り道、寄ってみました。5月のはじめ、台湾はすっかり初夏。台湾産のスイカも出回り始めたころです。


鹽水の別名は「月津小城」。鹽水港の別名は「月津」。台湾海峡に面した穏やかで美しい小さな漁港。

台南から北へ数十キロという場所で、この町の歴史も古く、昔は活気にあふれた漁村。
その町で、昔、お見合いと言えばここ。お見合いの際には、「あずきミルクかき氷 黄身のせ(紅豆牛奶月見)」が出されます。1951年に創業した 「銀蜂冰(氷)果室」。日本風に言い直すと、「銀蜂パーラー」でしょうか。当時、街で最もおしゃれで、最もおいしいデザートがあるお店として大人気。今でも、開店と同時に、街の人がひっきりなしにやってきます。この町のお年寄りに聞くと、ここでお見合いした人がたくさんいて、みな懐かしく思いで話をしてくれるそうです。


写真に写っているのは、創業者の祖母の葉おばあちゃん。清朝風の上着に纏足(していた名残)の足元。良いところのお嬢さんだった面影が残ります。
台南の親戚から、冷凍庫とアイス作りの機械を買って始めたお店。


お隣には、意麺のお店や同じようなかき氷やジュースを売るお店が並んでいます。街のメインストリートの角地。
「鹽水小吃通り」という名前もあるようで、昼前や夕方前には、食事やデザート、飲み物を買う人でにぎわいます。

お店の後ろには、街で一番有名な古跡でもある「八角樓」があります。


初夏、台湾のスイカも出回り始めました。






お店の後ろ側が丸見え。カウンター越しにお客さんがバイクに乗ったまま注文したりする姿も見られます。


3代目になる創業者の娘さん。


今でも不動の人気店。


メニューは、ジュースとかき氷。


スイカジュース(35元)とあずきミルクかき氷(30元)。
名物の月見氷にしてみようと思ったけれど、生卵と練乳アイス、、きっとミルクセーキっぽい味なんでしょうが、今回はパス。

スイカジュースのおいしさの秘密は、檸檬。
スイカと同じくらいの量の皮つき檸檬を入れて、ミキサーで混ぜ混ぜ。




檸檬のこの量に驚くと、「檸檬嫌い?」と聞かれ、未知の味に挑戦すべく「OKOK」と返事。


檸檬が手ごわい。


できたジュースを濾して、カップに、「バナナ氷」を入れ、そこに出来立てのジュースを入れます。
砂糖などは全く入っていません。バナナ氷のうす~い甘味のみ。

思ったほど檸檬の酸っぱさはなく、スイカの甘さと香りが引き立つ絶品のドリンクでした。

おいしさの秘密に気づいた私。
創業者の娘さんで、現在のオーナーが「うちは、氷は全部この香蕉(バナナ)氷、使っているから」と言われ、「一般の香蕉氷みたいな化学薬品のにおいしませんね。」と聞くと、「そうなの。昔は使ったけど、薬臭いから、企業秘密だけど、うちのオリジナルの香蕉氷を開発したのよ」と。


毎日、こんなふうにお店オリジナルの「香蕉氷」を作っています。

さらっと、ふわっとした氷。
これだけで食べると、味気ない。


練乳は、このメーカー。

あずきアンコは、毎日、丹念に裏庭で七輪使って、時間をかけて作っているそうで、これもまた絶品。アンコだけでも買って帰りたかったです。
テレビの番組では、毎日のアンコづくりの様子が映っていたので、製造過程を知って、これまた感動。

台南行く際には、絶対寄って行きたいお店。鹽水インターから車で10分ほど。台中からは、台南行きのバスで、鹽水経由もあるみたいです。

「銀蜂冰(氷)果室」
台南市鹽水區中山路1號
電話:06-652-2202
営業時間:9:00 ~ 21:00 (年中無休)


永豊桟酒店墾丁(TEMPUS KENTING) ⑤オリジナルツアー「恒春の文化の旅」

2016年07月08日 | 台湾のおでかけ&観光地 ホテル

2日目の午後4時過ぎ、家族3人で「恒春の文化の旅」に参加。
チーフガイドの黒皮さんもそうですが、地元の人がよく口にするのは、「他から来た人は、恒春に来ても、台湾の南部の先端全域を「墾丁」だと思っている。墾丁は、恒春鎮の一つの地域なんだけどねえ。墾丁の名前が有名過ぎて、恒春と言っても、みんなピンとこない」ということです。
たしかに、私もずっと台湾の南端全域を「墾丁」と思っていました。

ここ恒春の歴史は台湾の中でも台南と同じくらい古居歴史があります。
清朝時代、このあたりは、鹿等の野生動物が多く、原住民が動物を捕まえ、毛皮などを清朝の商人に売っていたので、古くから華人が街を形成していました。高雄の附近もそうですが、ここ恒春も、このあたりの貿易を中心とした経済と政治の中心でした。



ということで、清朝時代に作られたレンガ造りの街を囲む城壁や門が残っています。
ここは、普通に車が通るのですが、車高の高い車は無理。時々、小型バスなどの運転手は、通れると思い込み、途中ですっぽりはまって抜けられなくなることがあるそうです(T_T)


城壁の門の上は上がってみることができます。
城壁の上部分は、馬に乗って入ることができる幅の通路にもなってたそうです。


このあたりはサンゴ礁が隆起してできた地質。以前はここに小さな城みたいのもあったとか。






恒春で、最も有名な祭り「搶弧」(チャンクー)。
以前、日本の某番組で外国で芸能人がホームステイして、いろいろ体験し、涙のお別れをするという番組で、石丸謙二郎さんが、台湾東北にある頭城で体験していたお祭りです。
台湾では、頭城と恒春の2か所で行われている祭りで、ここ数年は外国人参加者も多いのだとか。日本人も参加しているそうです。
祭りは、毎年、農暦の8月15日(中元節)に行われます。近くでみると結構太い柱で、そこに牛脂をたっぷり塗って、男たちが上にある旗を奪い合うという行事です。
現在は観光の為、一年中、ここに会場が作られていて、見ることができます。
祭り当日の熱気を想像しながら見てみました。日本の神事に関する祭りでもそうですが、家族や集落の人の家内安全、豊作豊漁などを祈って代表の男たちが真剣に神様のご加護を獲りに行く姿はかっこいいですよね。


この日のツアーの締めに、ガイド黒皮さんのプライベート夕陽鑑賞スポットへ連れ行ってもらいました。
このあたりの海岸線には、いくつか夕陽スポットがありますが、どこも観光客が多くで、ゆっくり見られないことが多いというので、誰も来ない秘密の場所へ。しばらく台湾海峡に沈む夕陽を堪能しました。

他に参加したお客さんもいなかったので、けっこうプライベートなわがまま聞いてもらい、恒春の歴史や現在の観光形態、街の様子など教えてもらい勉強になりました。台湾が清朝時代に「大圓」と呼ばれていたころにすでに城壁に囲まれた街があった恒春。閩南系はもちろん、原住民系も客家系も閩南語(いわゆる台湾語)を話す恒春。原住民が狩猟や原始農業をして過ごしていた頃、華人がやってきて物々交換の貿易を始めたころ、オランダ人やスペイン人がやってきて、いろいろあったりしたこと、日本人がやってきてその政策の下で生活していたころ等等、静かに沈む夕陽を前に、この地の歴史を一人遡って想像していました。
ビーチリゾートが有名な台湾南部ですが、こういう歴史的なツアーも、なかなか面白いものがあります。

 永豊桟酒店墾丁 

台湾の旅のお問い合わせ: 東鴻旅行社

 

 


永豊桟酒店墾丁(TEMPUS KENTING) ④オリジナルツアー「亀山の古跡と自然探検」

2016年07月02日 | 台湾のおでかけ&観光地 ホテル

私が宿泊したときのホテルの宿泊費用には、1日5回の食事、館内の施設すべての使用、高鐡左営站までの往復送迎、エコツアー(1日1回、午前/午後から選択)がありました。季節ごとに内容を変えるそうですが、この時期は、「亀山の古跡と自然探検」「恒春の文化の旅」でした。

到着した初日に、1人で参加(家族は興味なし、、、(T_T))
ホテル専属のチーフガイドの黒皮(ハッピー)さんに案内してもらいました。


彼は、ここ恒春の地元生まれ育ち。両親は、父方が排湾(パイワン)族、母方が、魯凱(ルカイ)族と卑南(ベナン)族のハーフだそうで、3つの血統を持つそうです。小さい頃、祖父祖や両親から、この地の歴史、部族の歴史や風俗など、いろんな話を聞いて育ったので、私があれこれ質問しても、なんでもこたえてくれるすっごいガイドさんでした。植物生態にも詳しく、これらは、原住民として受け継がれた素晴らしい遺産ですね。

16:00 ホテル出発し、車で10分ほどの「亀山」へ。国立海生館の上のそば。

クジラの形をした建物のあるのが、国立海生館。
ここは入り江になっていて、1874年の牡丹社事件の際に、西郷従道(西郷隆盛の実弟)が、事件に関わった原住民を征伐するためにここから上陸。牡丹社事件は、別名征台の役(せいたいのえき)、台湾事件(たいわんじけん)とも言われます。私も以前から牡丹社事件に興味があったので、黒皮にあれこれ聞きました。黒皮曰く「牡丹社事件の話をさせたら三日三晩かかる」と言われたので、「10分くらいにダイジェストで話して」とお願い。その他に両親の父親(おじいちゃん)は、どちらも高砂兵として出兵したんだよ、と。その話でも10分。

日本側からしてみれば征伐ですが、当時の原住民が、なぜ遭難して上陸した宮古島の漁民を殺害することになったのか、その理由とか、それまでの原住民と外部からやってきた異国の人々とのかかわり合いなど、彼らが年寄りたちから伝え聞いてきたことを話してくれました。
要は、外部の世界を知らなくて、言葉が通じなかったため起きた不幸な事件。


向こうに見える山々で起きた牡丹社事件。たった130年前、そこで起きた凄惨な事件。今では何事もなかったような恒春の景色。




恒春縦谷平原は、台湾中央山脈の南端の麓、台湾海峡に面しています。果樹栽培が盛ん。


亀山には新石器時代の遺跡がいろいろ発見されています。台湾西側では最も古い人類の文化遺跡。
ちなみに台東の長浜遺跡は旧石器時代。


今でも、足元には、新石器時代に作られた焼き物のかけらや、人の手で細工された石のかけらなどはごろごろ。

植物の生態に関しても、いろいろなことを教えてくれました。


何の実でしょう、、、、食べられるのだったかどうだったか。


無患子の実。黒皮は、子供のころ、これをいっぱい集めて、泡を出して遊んだそうです。


いい香りのする葉っぱ。

他にも写真には無いのですが、「過山香」という山を越えて香ってくるから名づけられた植物もあり、(実際には、そんなに強い香じゃなかったですけど)彼らの昔からの香水だとか。虫よけハーブ(蛇避けとの説も)としても使えるそうです。

かわいらしい白い花をつけた植物。花がくるくると舞い落ちてきます。


かわいらしい木の実ですが、猛毒\(◎o◎)/!。





この亀山には、新石器時代の遺跡、豊富な植物生態の他に、もう一つ秘密が。
サンゴ礁が隆起してできた丘には、あちらこちらに日本が第二次世界大戦時に作った塹壕や基地として使われた空間が残っています。
ここの地質は、とても硬く、これだけのものを掘ったのは、すごいらしいです。
とくにロープや柵で囲ってないので、足元を注意して歩かないと、塹壕に落ちたりする危険性も。







1時間半ほどの散策でしたが、彼から聞いた台湾原住民の話は貴重なものでした。

こういうツアーはホテルオリジナルなので、外部からツアーのみの申込はできないのですが、墾丁のいくつかのホテルでは、このようなツアーをやっているところもありますので、機会があったら、ぜひ、参加してみてください。

 永豊桟酒店墾丁 

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