台湾台中おせっかい日記

2001年に台湾の台中へやってきた日本人女性が、好奇心丸出しで探した台湾グルメ、文化、風景をつづります。

永豊桟酒店墾丁(TEMPUS KENTING) ⑤オリジナルツアー「恒春の文化の旅」

2016年07月08日 | 台湾のおでかけ&観光地 ホテル

2日目の午後4時過ぎ、家族3人で「恒春の文化の旅」に参加。
チーフガイドの黒皮さんもそうですが、地元の人がよく口にするのは、「他から来た人は、恒春に来ても、台湾の南部の先端全域を「墾丁」だと思っている。墾丁は、恒春鎮の一つの地域なんだけどねえ。墾丁の名前が有名過ぎて、恒春と言っても、みんなピンとこない」ということです。
たしかに、私もずっと台湾の南端全域を「墾丁」と思っていました。

ここ恒春の歴史は台湾の中でも台南と同じくらい古居歴史があります。
清朝時代、このあたりは、鹿等の野生動物が多く、原住民が動物を捕まえ、毛皮などを清朝の商人に売っていたので、古くから華人が街を形成していました。高雄の附近もそうですが、ここ恒春も、このあたりの貿易を中心とした経済と政治の中心でした。



ということで、清朝時代に作られたレンガ造りの街を囲む城壁や門が残っています。
ここは、普通に車が通るのですが、車高の高い車は無理。時々、小型バスなどの運転手は、通れると思い込み、途中ですっぽりはまって抜けられなくなることがあるそうです(T_T)


城壁の門の上は上がってみることができます。
城壁の上部分は、馬に乗って入ることができる幅の通路にもなってたそうです。


このあたりはサンゴ礁が隆起してできた地質。以前はここに小さな城みたいのもあったとか。






恒春で、最も有名な祭り「搶弧」(チャンクー)。
以前、日本の某番組で外国で芸能人がホームステイして、いろいろ体験し、涙のお別れをするという番組で、石丸謙二郎さんが、台湾東北にある頭城で体験していたお祭りです。
台湾では、頭城と恒春の2か所で行われている祭りで、ここ数年は外国人参加者も多いのだとか。日本人も参加しているそうです。
祭りは、毎年、農暦の8月15日(中元節)に行われます。近くでみると結構太い柱で、そこに牛脂をたっぷり塗って、男たちが上にある旗を奪い合うという行事です。
現在は観光の為、一年中、ここに会場が作られていて、見ることができます。
祭り当日の熱気を想像しながら見てみました。日本の神事に関する祭りでもそうですが、家族や集落の人の家内安全、豊作豊漁などを祈って代表の男たちが真剣に神様のご加護を獲りに行く姿はかっこいいですよね。


この日のツアーの締めに、ガイド黒皮さんのプライベート夕陽鑑賞スポットへ連れ行ってもらいました。
このあたりの海岸線には、いくつか夕陽スポットがありますが、どこも観光客が多くで、ゆっくり見られないことが多いというので、誰も来ない秘密の場所へ。しばらく台湾海峡に沈む夕陽を堪能しました。

他に参加したお客さんもいなかったので、けっこうプライベートなわがまま聞いてもらい、恒春の歴史や現在の観光形態、街の様子など教えてもらい勉強になりました。台湾が清朝時代に「大圓」と呼ばれていたころにすでに城壁に囲まれた街があった恒春。閩南系はもちろん、原住民系も客家系も閩南語(いわゆる台湾語)を話す恒春。原住民が狩猟や原始農業をして過ごしていた頃、華人がやってきて物々交換の貿易を始めたころ、オランダ人やスペイン人がやってきて、いろいろあったりしたこと、日本人がやってきてその政策の下で生活していたころ等等、静かに沈む夕陽を前に、この地の歴史を一人遡って想像していました。
ビーチリゾートが有名な台湾南部ですが、こういう歴史的なツアーも、なかなか面白いものがあります。

 永豊桟酒店墾丁 

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