tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

京都議定書は実現できるのか

2006年11月14日 | 環境問題
今(11/6~17)、ケニアのナイロビで「第12回気候変動枠組条約締約国会議(COP12)・京都議定書第2回締約国会合(COP/MOP2)」という長い名前の会議が開かれている。

略称は「COP12・COP/MOP2」だが、これも品番みたいで、もっと分かりにくい。

この会議では、京都議定書で削減目標のない途上国の取り扱いや、議定書の約束期間終了後(2013年)の取り組みなどについて、激しい議論が交わされている。

ご承知のとおり、地球温暖化防止に関する条約が採択されたのは1992年。ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「地球サミット(国連環境開発会議)」の場で、「気候変動枠組条約」として採択された。

これに基づき95年に開かれたのが、第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP1)で、今開かれているのがその12回目(COP12)だ。

1997年に京都で開かれた第3回会議(COP3)で「京都議定書」が採択され、日本のCO2「6%削減」という目標が定められた。

石井孝明著『京都議定書は実現できるのか』(平凡社新書)という本に、この目標決定の経緯が出ていたが、あまりの無謀さに驚く。

同書によれば、EU諸国では議定書目標の基準年(1990年)以降、例えば英国は、すでにCO2排出の多い石炭から排出の少ない天然ガスにシフト済だった。ドイツは、エネルギー効率の悪い東ドイツを統合していたためもともと削減目標達成は簡単だった。一方、勇ましい目標を掲げていた米国やオーストラリアは、早々と議定書から離脱した。

2階に昇ってハシゴを外された格好の日本は、議長国というプレッシャーもあって、準備不足のうちに過大な目標を呑まされた。経産省の中堅官僚はそんな状況を「B29に竹槍で立ち向かった」太平洋戦争当時の日本にたとえたという。
※同書に関するアマゾンのサイト
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582852181

議定書の目標は、もし達成できないとペナルティも課せられる。

今開かれている会議(COP12・COP/MOP2)で日本など先進国は、議定書全体の見直しを主張しているが、途上国は猛反対していてまとまらず、非公式協議のまっ最中だという。

それにしても、2003年時点で日本の温暖化ガス排出量は、すでに1990年を8.3%も上回っている。6%削減など至難のワザだ。会議の行方には注目したいが、日本はもう手をこまねいている時間的余裕はない。

まもなく日本は冬に突入する。この際、せめて暖房に使うエネルギーを節約する方法を考えてみようではないか。

※写真は宝ヶ池公園(05年11月撮影の写真を加工)。隣接する国立京都国際会館で、京都議定書を採択した「地球温暖化防止京都会議」(COP3)が開かれた。
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正倉院展 2006

2006年11月11日 | 奈良にこだわる
昨夜(11/10)奈良国立博物館(奈良公園内)で開かれている第58回正倉院展に行ってきた。

今年の正倉院展は10/24~11/12まで開かれているが、平日のお昼に近くを通ると、「ただ今、90分待ち」の札が出ていて、驚いたことがある。

チケットには「平日の夕方は比較的ごゆっくり御観覧いただけます」とあった。「土日の開館前に並ぶと、30分待ちで入れた」という情報もあった。また毎週金曜日は午後7時閉館だ(普段は6時閉館。入館は閉館の30分前まで)。

で、金曜日の午後6時に行ってきた。1時間あれば正倉院展と常設展を見て、人気のミュージアムショップ(記念品の販売所)にも立ち寄れるだろう、という計算だ。

果たして、待ち時間はゼロだった。初めはスイスイと回り、途中からは先客の群れと合流した。それでも、少し待てば最前列で見られる。

正倉院展は天平勝宝8年(756年)聖武天皇が崩御し、その49日に光明皇后が天皇の遺品約650点を東大寺大仏に献納したことに始まる。今年は1250年目の節目の年に当たるので、聖武天皇ゆかりの宝物がたくさん出ていた。

中でも私の目を引いたのは
紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく=彫刻された象牙のものさし)
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2006toku/shosoin/shosoin-06.htm
緑瑠璃十二曲長坏(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい=ガラス皿)
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2006toku/shosoin/shosoin-10.htm

撥鏤(ばちる)は奈良の伝統技法として、現代に受け継がれている。

宝物には丁寧な解説がつき、裏面が見えるようにバックミラーのついたものや、現代語の注釈が添えられた文書もあって、とても親切な展示となっている。

ミュージアムショップでは、宝物の模様をあしらった手鏡やキーホルダー、ものさしなどが人気を集めていた。「奈良のうまいもの」の屋台も出ていた。常設展の仏像はさすがに見応えがあり、1時間はあっという間に過ぎた。

この写真は、東京駅の新幹線乗場付近だ(10/31撮影)。最近は交通機関やら旅行業者のPRが盛んになり、また同展への協力マスコミが朝日新聞から読売新聞に交代したことで、しきりに報道されるようになり、混雑が増した。

京都文化博物館(京都市中京区)は、午後7時半まで開いている(入館は7時まで)。だから、夜の定期観光バスのコースになっている。館内の飲食店(ろうじ店舗)は午後8時半まで営業していて、一般客で賑わっている。

正倉院展は奈良の秋を代表するイベントだ。扱うのが宝物なので、取り扱いや(宮内庁などの)許認可は大変だろうが、会期の延長や開館時間の延長はできないものか。

それが無理なら、例えば宝物のレプリカ(模造品)の展示と人気のミュージアムショップを備えた施設を近くに作れば、ゆっくり買物したい観覧者や、正倉院展を(混雑のため)諦めて帰る観光客への、せめてもの「おもてなし」になると思うのだが。

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霊山寺の秋バラ

2006年11月09日 | 写真
霊山寺(りょうせんじ)は奈良市中町にある霊山寺真言宗の大本山である。

行基が養老2年(718年)に創立した登美院が前身であるといい、寺域から奈良時代の瓦も出土する。慶長7年(1602年)に徳川家康から寺領百石が与えられ、秀忠(ひでただ)から家定(いえさだ)に至る各将軍の朱印状が伝わる…

上記の文章は、『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社)からの引用だ。テキストの「花の名所」には、躑躅(つつじ)と薔薇(ばら)の項目にも、このお寺の名前が出ている。以下「薔薇」の項目から引用する。

東大寺大仏の開眼供養の大導師を務めたインド僧婆羅門僧正菩提遷那ゆかりの霊山寺境内には京都大学農学部造園学研究室の設計によるバラ園がある。約2千株もの花によって輪廻転生が表されている。花の時期に行われる薔薇会式では、とりどりのバラの花びらが散華として本堂に舞う。…

ということで先日(11/4)、このお寺のバラを撮ってきた。花の写真をアップするのはずいぶん久しぶりだ(花の写真は、私の得意分野である)。

花の見頃ははそろそろ終わりだったが、バスの団体客をはじめ、たくさんの人が花を楽しんでいた。園内は、バラの良い香りで一杯だった。

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今日までそして明日から

2006年11月07日 | 吉田拓郎
あれは1970年代のことだった。吉田拓郎はこんなことを書いていた。

あるコンサートで拓郎は「今日までそして明日から」などを歌い終え、楽屋に引き上げていた。その時、見知らぬ中年男が楽屋を訪ねてきた。「もう1度『今日までそして明日から』を歌ってほしい」と。

拓郎はギターを取り出し、歌った。男は目を閉じて聞き入り、感極まったような表情になり礼を言って去った。拓郎は思った、「彼はこの歌から何を感じ、何を得て帰って行ったのだろうか…」と。

60歳になった拓郎は9/23、つま恋(静岡県掛川市)でコンサートを開いた。私はNHKのドキュメンタリー(10/23「今日までそして明日から~吉田拓郎・35000人の同窓会」)で見たのだが、拓郎はステージから「皆さん、お元気そうで良かったです」と語りかけていた。「(腹をさして)ぜい肉がついて(首をさして)太めになったけど」と。

そういえば「元気」という流行語は、拓郎のアルバム「元気です よしだたくろう」から来たのではなかったか。

彼は48歳と6か月の頃、こんなことを書いていた。

「僕は物事に楽観的な方ではないので、どちらかというと60歳くらいまでが、つまり本気で勝負のできる年だと思っているのだ。その先はそれこそ『神のみぞ知る』であって、自分で立ち向かう勇気もきっともうなくなっている事だろう」(『自分の事は棚に上げて』小学館文庫刊)

3年前の肺ガンから立ち直り、かぐや姫とともに8時間20分のコンサートに挑戦した彼は、「本気で勝負」していた。10月からは全国ツアーも始めた。

つま恋での、アンコール前の最後の曲は「今日までそして明日から」だった。
※「今日までそして明日から」の全歌詞(拓郎の歌詞掲載サイト)
http://listen.jp/store/wordList_1007281.htm

私もすでに、かつて楽屋を訪ねた中年男の年齢に達した。拓郎の歌から勇気や元気を得て30年。まだまだ本気で勝負したいトシだ。♪~そして今、思っています。明日からも、こうして生きて行くだろうと~♪

※写真は、原宿・表参道(9/28撮影)。つま恋でのソロ一曲目は「ペニーレーンでバーボン」だった。「原宿ペニーレーン」はどこだったっけ。
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奈良県の目標は、CO2の10%削減

2006年11月06日 | 環境問題
京都議定書の約束期限を控え、いよいよ奈良県はCO2削減に関する「県民目標」を定めた。

10/11に開かれた「第2回 奈良県ストップ温暖化県民会議」で承認・決定されたもので、基準年度を2002年度に置き、エネルギー起源の二酸化炭素を「2010年度を目標として、10%削減する」という。

京都議定書は「6%削減」だが、これは基準年が違う(1990年比)。奈良県の「10%削減」(2002年度比)という目標は、京都議定書の「削減目標と同率になるよう県の削減目標を算定」したものだそうだ。今後は目標達成に向け、家庭や事業者が行うべき施策を、それぞれの部会で検討していくこととなる。
※県政公開ニュース(06.10.11)
http://www.pref.nara.jp/koho/hodo/h18/html/083000-061011152107_M09820.html

奈良は県土の77%が森林で、伝統ある「吉野林業」発祥の地だ。京都議定書では、森林のCO2吸収分(3.9%)が認められているが、そのためには人手により森を管理し、正確に吸収量を算定しなければならない。この点で奈良は、他県にない独自の活動ができそうだ。ぜひ頑張って、ユニークな取り組みを検討・実施していただきたい。

ところで「地球温暖化」については、今でも疑っている人がいる。勤務先で環境対策を担当している私にとっては、やりにくいことこの上ない。テレビ司会者として活躍し、読書家で知られる俳優の児玉清氏でさえ、こんなことを書いていた。
(日本経済新聞夕刊 06.7.7付)

「最近とみに喧伝(けんでん)されている地球温暖化の問題など、本当のところはどうなの?と叫びたい」 作家マイケル・クライトンによれば「今や常識化した地球温暖化は、根拠が余りにも薄す過ぎるというのだ」

「僕の心をさらにヒットしたのが、ワシントン・ポスト紙に掲載された、気象学者B・グレイの地球温暖化と囁(ささや)かれる異常気象は、単なる地球の周期的に繰り返される変化であり、二酸化炭素の増加ではないという記事だ」 (以上、あすへの話題「地球温暖化ってほんとう?」より)

児玉氏には「分厚いSF小説を読む代わりに新書1冊でもお読みになれば、疑問は氷解しますよ」と申し上げたい。参考までに、ここで反論しておく。

近年(特に1960年代以降)、温室効果ガスの排出量が増え、地球の平均気温が上昇し、また最近異常な気象現象が頻発していることは観測上の「事実」である。しかし解明できないのは、これら相互の「因果関係」だ。

科学者は実験によって理論や仮説を検証する。しかし地球温暖化のように実験できないものは、シミュレーションに頼るしかない。そのシミュレーションに加えるべき変数には、私たちの日常行動(CO2排出量を大きく左右する)から世界各国の経済成長率・人口動態、気象観測による予測値 等々と、膨大な数値がある。それら変数(推定値)を少し変えるだけで、結果は大きく違ってくる。

1990年8月、国連のIPCC(気候変動政府間パネル)第1次報告をまとめたS.シュナイダー教授は、報告後、専門誌にこう書いた(米本昌平著『地球環境問題とは何か』岩波新書より引用)。なおIPCC第1次報告とは、92年の地球サミットで署名が開始された「地球温暖化防止条約」の科学的基礎となった報告書である。

「不確実性が大きいから政策的対応を遅らせるべき、と言うか言わないかはそれ自身科学の問題ではなく、価値判断の問題である」

「気候モデルが内包しているところのものは、それ自身固有の問題ではなく、たとえば、核廃棄物・食品添加物や医薬品の安全性・戦略防衛構想の効率、などという一群の問題と共通の課題なのである。それは、われわれ自身の体験を通すことなしには、客観的で“科学的”な予測や結論などありえない」

環境汚染を食い止めたり、省資源・省エネルギー社会をめざそうという方向性は(仮に、温室効果ガス排出と地球温暖化や異常気象が全く無関係だったとしても)、人類の未来にとって、素晴らしいことではないだろうか。

※写真は東京・秋葉原で10/31撮影。電化製品は金属・プラスチックなどの資源を使い、電力を費消し、最後は廃棄物となる。秋葉原電気街振興会が、早々と政府の「チームマイナス6%」運動に参加された先見性には、大いに敬意を表する。
コメント (3)
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