京都議定書の約束期限を控え、いよいよ奈良県はCO2削減に関する「県民目標」を定めた。
10/11に開かれた「第2回 奈良県ストップ温暖化県民会議」で承認・決定されたもので、基準年度を2002年度に置き、エネルギー起源の二酸化炭素を「2010年度を目標として、10%削減する」という。
京都議定書は「6%削減」だが、これは基準年が違う(1990年比)。奈良県の「10%削減」(2002年度比)という目標は、京都議定書の「削減目標と同率になるよう県の削減目標を算定」したものだそうだ。今後は目標達成に向け、家庭や事業者が行うべき施策を、それぞれの部会で検討していくこととなる。
※県政公開ニュース(06.10.11)
http://www.pref.nara.jp/koho/hodo/h18/html/083000-061011152107_M09820.html
奈良は県土の77%が森林で、伝統ある「吉野林業」発祥の地だ。京都議定書では、森林のCO2吸収分(3.9%)が認められているが、そのためには人手により森を管理し、正確に吸収量を算定しなければならない。この点で奈良は、他県にない独自の活動ができそうだ。ぜひ頑張って、ユニークな取り組みを検討・実施していただきたい。
ところで「地球温暖化」については、今でも疑っている人がいる。勤務先で環境対策を担当している私にとっては、やりにくいことこの上ない。テレビ司会者として活躍し、読書家で知られる俳優の児玉清氏でさえ、こんなことを書いていた。
(日本経済新聞夕刊 06.7.7付)
「最近とみに喧伝(けんでん)されている地球温暖化の問題など、本当のところはどうなの?と叫びたい」 作家マイケル・クライトンによれば「今や常識化した地球温暖化は、根拠が余りにも薄す過ぎるというのだ」
「僕の心をさらにヒットしたのが、ワシントン・ポスト紙に掲載された、気象学者B・グレイの地球温暖化と囁(ささや)かれる異常気象は、単なる地球の周期的に繰り返される変化であり、二酸化炭素の増加ではないという記事だ」 (以上、あすへの話題「地球温暖化ってほんとう?」より)
児玉氏には「分厚いSF小説を読む代わりに新書1冊でもお読みになれば、疑問は氷解しますよ」と申し上げたい。参考までに、ここで反論しておく。
近年(特に1960年代以降)、温室効果ガスの排出量が増え、地球の平均気温が上昇し、また最近異常な気象現象が頻発していることは観測上の「事実」である。しかし解明できないのは、これら相互の「因果関係」だ。
科学者は実験によって理論や仮説を検証する。しかし地球温暖化のように実験できないものは、シミュレーションに頼るしかない。そのシミュレーションに加えるべき変数には、私たちの日常行動(CO2排出量を大きく左右する)から世界各国の経済成長率・人口動態、気象観測による予測値 等々と、膨大な数値がある。それら変数(推定値)を少し変えるだけで、結果は大きく違ってくる。
1990年8月、国連のIPCC(気候変動政府間パネル)第1次報告をまとめたS.シュナイダー教授は、報告後、専門誌にこう書いた(米本昌平著『地球環境問題とは何か』岩波新書より引用)。なおIPCC第1次報告とは、92年の地球サミットで署名が開始された「地球温暖化防止条約」の科学的基礎となった報告書である。
「不確実性が大きいから政策的対応を遅らせるべき、と言うか言わないかはそれ自身科学の問題ではなく、価値判断の問題である」
「気候モデルが内包しているところのものは、それ自身固有の問題ではなく、たとえば、核廃棄物・食品添加物や医薬品の安全性・戦略防衛構想の効率、などという一群の問題と共通の課題なのである。それは、われわれ自身の体験を通すことなしには、客観的で“科学的”な予測や結論などありえない」
環境汚染を食い止めたり、省資源・省エネルギー社会をめざそうという方向性は(仮に、温室効果ガス排出と地球温暖化や異常気象が全く無関係だったとしても)、人類の未来にとって、素晴らしいことではないだろうか。
※写真は東京・秋葉原で10/31撮影。電化製品は金属・プラスチックなどの資源を使い、電力を費消し、最後は廃棄物となる。秋葉原電気街振興会が、早々と政府の「チームマイナス6%」運動に参加された先見性には、大いに敬意を表する。
10/11に開かれた「第2回 奈良県ストップ温暖化県民会議」で承認・決定されたもので、基準年度を2002年度に置き、エネルギー起源の二酸化炭素を「2010年度を目標として、10%削減する」という。
京都議定書は「6%削減」だが、これは基準年が違う(1990年比)。奈良県の「10%削減」(2002年度比)という目標は、京都議定書の「削減目標と同率になるよう県の削減目標を算定」したものだそうだ。今後は目標達成に向け、家庭や事業者が行うべき施策を、それぞれの部会で検討していくこととなる。
※県政公開ニュース(06.10.11)
http://www.pref.nara.jp/koho/hodo/h18/html/083000-061011152107_M09820.html
奈良は県土の77%が森林で、伝統ある「吉野林業」発祥の地だ。京都議定書では、森林のCO2吸収分(3.9%)が認められているが、そのためには人手により森を管理し、正確に吸収量を算定しなければならない。この点で奈良は、他県にない独自の活動ができそうだ。ぜひ頑張って、ユニークな取り組みを検討・実施していただきたい。
ところで「地球温暖化」については、今でも疑っている人がいる。勤務先で環境対策を担当している私にとっては、やりにくいことこの上ない。テレビ司会者として活躍し、読書家で知られる俳優の児玉清氏でさえ、こんなことを書いていた。
(日本経済新聞夕刊 06.7.7付)
「最近とみに喧伝(けんでん)されている地球温暖化の問題など、本当のところはどうなの?と叫びたい」 作家マイケル・クライトンによれば「今や常識化した地球温暖化は、根拠が余りにも薄す過ぎるというのだ」
「僕の心をさらにヒットしたのが、ワシントン・ポスト紙に掲載された、気象学者B・グレイの地球温暖化と囁(ささや)かれる異常気象は、単なる地球の周期的に繰り返される変化であり、二酸化炭素の増加ではないという記事だ」 (以上、あすへの話題「地球温暖化ってほんとう?」より)
児玉氏には「分厚いSF小説を読む代わりに新書1冊でもお読みになれば、疑問は氷解しますよ」と申し上げたい。参考までに、ここで反論しておく。
近年(特に1960年代以降)、温室効果ガスの排出量が増え、地球の平均気温が上昇し、また最近異常な気象現象が頻発していることは観測上の「事実」である。しかし解明できないのは、これら相互の「因果関係」だ。
科学者は実験によって理論や仮説を検証する。しかし地球温暖化のように実験できないものは、シミュレーションに頼るしかない。そのシミュレーションに加えるべき変数には、私たちの日常行動(CO2排出量を大きく左右する)から世界各国の経済成長率・人口動態、気象観測による予測値 等々と、膨大な数値がある。それら変数(推定値)を少し変えるだけで、結果は大きく違ってくる。
1990年8月、国連のIPCC(気候変動政府間パネル)第1次報告をまとめたS.シュナイダー教授は、報告後、専門誌にこう書いた(米本昌平著『地球環境問題とは何か』岩波新書より引用)。なおIPCC第1次報告とは、92年の地球サミットで署名が開始された「地球温暖化防止条約」の科学的基礎となった報告書である。
「不確実性が大きいから政策的対応を遅らせるべき、と言うか言わないかはそれ自身科学の問題ではなく、価値判断の問題である」
「気候モデルが内包しているところのものは、それ自身固有の問題ではなく、たとえば、核廃棄物・食品添加物や医薬品の安全性・戦略防衛構想の効率、などという一群の問題と共通の課題なのである。それは、われわれ自身の体験を通すことなしには、客観的で“科学的”な予測や結論などありえない」
環境汚染を食い止めたり、省資源・省エネルギー社会をめざそうという方向性は(仮に、温室効果ガス排出と地球温暖化や異常気象が全く無関係だったとしても)、人類の未来にとって、素晴らしいことではないだろうか。
※写真は東京・秋葉原で10/31撮影。電化製品は金属・プラスチックなどの資源を使い、電力を費消し、最後は廃棄物となる。秋葉原電気街振興会が、早々と政府の「チームマイナス6%」運動に参加された先見性には、大いに敬意を表する。
うちの光熱費はビックリするくらい安いですよ(^^♪
まあ、すべて嫁の力でしょうが...
inasakuさん、コメント有り難うございました。
環境省の「我が家の環境大臣」には、注目していて、
この制度を取り入れようかな、と検討中です。
また、ご教示下さい。
アキバはデンキを大量に消費せざるを得ない手前、率先するのは当然の帰結と思います。