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田中利典師の『修験道という生き方』新潮選書(7)/律令国家が始まり、修験道が始まった

2022年11月02日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、新潮選書『修験道という生き方』(宮城泰年氏・ 内山節氏との共著)のうち、師の発言部分をご自身で加筆修正されたものを〈シリーズ『修験道という生き方』〉のタイトルで連載されている。心に響くとてもいいお話なので、私はこれを追っかけて拙ブログで紹介している。
※トップ写真は、般若寺(奈良市般若寺町)のコスモス(2022.10.5 撮影)

第7回となる今回は「修験道のはじまり」。カール・ヤスパースの「小国が群雄割拠した社会から大国主義がでてくる時代に、釈迦も孔子も、キリストもマホメットも庶民の側の論理を背負った聖者として登場してきた」という学説を引きながら、中央集権的な律令国家をめざして法整備などを行った天武・持統天皇の時代に、庶民の論理を背負った聖者として役行者が登場した、とお書きになっている、なるほど。師のFacebook(10/10付)から、全文を抜粋する。

シリーズ『修験道という生き方』⑦「修験道のはじまり」
日本という国が、国という国家(ステート)構成の意識を持つ以前、まさに縄文時代にまで遡る太古から、自然への畏敬から生まれる信仰があったし、それが山岳信仰にもなっていっただろうし、日本的な神信仰にも繋がっていったのでしょう。

自然とともに生きていた庶民たちのなかに、自分たちの願いを求める信仰がなかったはずはない。そういう本来の庶民一般の信仰はなかなか文書や記録に残らないものです。

そういう庶民信仰の延長線上に、私は修験信仰が成立していくのだと思います。と、同時に役行者の時代には、修験道も新しい段階をつくりだしたのではないかと思っているんです。

それまで倭(やまと)と呼んでいたこの国を「日本」として呼称しだすのは、天武・持統天皇の頃と言われています。中国にならって律令制が導入され、本格的に中央集権国家的な「日本」づくりが目指された時代です。

実はこの天武・持統と全く同じ時代に生きたのが役行者なのですね。つまり、日本という国家(ステート)が成立しようとしたときに、産声を上げていくかたちで民衆の信仰が役行者に象徴化されていく、結集されていく…それが私の修験信仰の始まりの捉え方なんです。

ではその頃に目指された「日本」とは何かというと、それまでの小国の集まりから、天皇のもとに大きな連合体をつくろうということでした。いわば大国主義の登場です。

ドイツの哲学者、カール・ヤスパース(1883~1969)は、小国が群雄割拠した社会から大国主義がでてくる時代に、釈迦も孔子も、キリストもマホメットも庶民の側の論理を背負った聖者として登場してくると述べています。同様のことを思想家の中沢新一さんも述べていますが、天武、持統の時代というのは、日本における、豪族が群雄割拠する社会からまさに大国主義が台頭していく時代なんですね。

この時代に日本では、庶民の側の論理を背負って登場してくる宗教者として、役行者が現れる。役行者に人々の願いが結集していくかたちで修験が新しい定着をみせていった、というのが、これは誰も言ってくれてないながら、私が前から延べてきた持論なのです。

役行者が書いたものは何も残っていないのに、日本各地で役行者像が祀られ、庶民のなかで修験は力をもちつづけた。明治になって神仏分離・修験道廃止令など国の施策で破壊されてさえ、根まで抜き去ることはできずに、今日まで命脈が保たれてきた。

なぜ消し去ることができなかったのかといえば、日本に最初の大国主義がでてくる時代から、庶民の側の聖として登場してきたのが役行者であり、またそういう時代の人々の願いが役行者と結ばれ続けてきたからではないでしょうか。

ですからカール・ヤスパースの論を待たずとも、大国主義的な国家の論理とは違うものを求める人々の願いとともに、役行者は生きつづけたと私は思っています。国家の論理と民衆の思想という視点をもって日本の歴史を見直したとき、はじめて役行者は正当な評価をされうるし、なぜ修験が民衆とともにありつづけたのかもわかってくるのだと思います。

『続日本紀』にも記されているように、役行者が遠島(伊豆大島)に配せられるのは、大国主義に対する反体制、庶民の思想を体現する役行者という聖がいたことの証だったように私は思うのです。

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哲学者内山節先生、聖護院門跡宮城泰年猊下と、私との共著『修験道という生き方』(新潮選書)は3年前に上梓されました。ご好評いただいている?著作振り返りシリーズは、今回、本書で私がお話ししている、その一節の文章をもとに、加筆訂正して掲載しています。
私の発言にお二人の巨匠がどういう反応をなさって論議を深めていったかについては、是非、本著『修験道という生き方』の本文をお読みいただければと思います。
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