NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の発刊を記念して、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を掲載している。本年(2020年)2月6日(木)付で掲載されたのは、「日本最大級の塔心礎(とうしんそ)/尼寺(にんじ)廃寺跡(香芝市)」、執筆されたのは香芝市在住の柏尾信尚さんである。
※トップ写真は、模造礎石が置かれ復元された北廃寺の塔基壇。左奥は学習館
私は昨年秋(2019.10.20)に初めて「尼寺廃寺跡」を訪ねた。王寺町から南下し、香芝市の閑静な住宅地を抜けると忽然と大伽藍跡が現れ、これには驚いた。「誰が建てた寺なんやろ?」という疑問が湧くが、どうもこれがよく分からないようだ。
以下4枚の写真は、私が2019.10.20に撮影した
『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』には「寺の由緒についてはよくわからないが、聖徳太子建立の葛城尼寺とする説や敏達(びだつ)天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)とその一族による造営などの説がある。また、この北と南の遺跡について北遺跡を僧寺、南遺跡を尼寺と推定し、僧尼一対の寺院とみなす考えも提起されている」。
香芝市のHPには、「現存するものとしては全国最大の塔心礎とともに、耳環などの舎利荘厳具(市指定文化財)もみつかりました。周辺には平野古墳群や平野窯跡群もあり、7世紀代の古墳と寺院、窯跡が近接して存在する数少ない地域です。そのため、古代における葛城地域の様相を考える上で重要な寺院として位置づけられています」。
なお「心礎」とは「塔の心柱(しんばしら)の礎石。中心に柱を受ける座や孔のあるものが多く、奈良前期以前のものでは舎利(しゃり)を納める孔をもつものもある」(デジタル大辞泉)。では、そろそろ記事全文を紹介する。
尼寺廃寺跡は香芝市の北端にあります。寺の由緒はよく分かっていませんが、1991(平成3)年から市教育委員会による発掘調査でその実態が判明し、北廃寺、南廃寺の二つの寺院跡が存在することが分かりました。
北廃寺の創建は7世紀後半に始まるとみられ、塔・金堂・回廊を確認、東向きの法隆寺式伽藍(がらん)配置で、東回廊に中門が存在すると推定されます。3・8㍍四方と日本最大級の巨大な塔心礎が見つかり、耳環(じかん)・刀子(とうす)・水晶玉やガラス玉など多彩な舎利荘厳具が出土しました。
約200㍍南の南廃寺でも同じ配置で南向きの建物基壇が確認され、北廃寺より早く造営されたようです。北廃寺が僧寺、南廃寺が尼寺だったと思われます。
2002(平成14)年、北廃寺跡は国史跡に指定され、公園として整備、基壇などが復元されました。学習館では塔心礎の模型など、市二上山博物館には荘厳具の実物、心柱の実物大模型などが紹介され、見て知って楽しく学ぶことができます。(奈良まほろばソムリエの会 会員 柏尾信尚)
(住 所) 香芝市尼寺2
(交 通) JR和歌山線畠田駅から南西へ徒歩約10分
(入 館)<学習館>9時~16時半、無料、原則月曜休館
(駐車場) 有(無料)
◇香芝市二上山博物館
(住 所) 香芝市藤山1の17の17
(駐車場) 0745・77・1700
(入 館) 9~17時、入館料200円、原則月曜休館
※トップ写真は、模造礎石が置かれ復元された北廃寺の塔基壇。左奥は学習館
私は昨年秋(2019.10.20)に初めて「尼寺廃寺跡」を訪ねた。王寺町から南下し、香芝市の閑静な住宅地を抜けると忽然と大伽藍跡が現れ、これには驚いた。「誰が建てた寺なんやろ?」という疑問が湧くが、どうもこれがよく分からないようだ。
以下4枚の写真は、私が2019.10.20に撮影した
『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』には「寺の由緒についてはよくわからないが、聖徳太子建立の葛城尼寺とする説や敏達(びだつ)天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)とその一族による造営などの説がある。また、この北と南の遺跡について北遺跡を僧寺、南遺跡を尼寺と推定し、僧尼一対の寺院とみなす考えも提起されている」。
香芝市のHPには、「現存するものとしては全国最大の塔心礎とともに、耳環などの舎利荘厳具(市指定文化財)もみつかりました。周辺には平野古墳群や平野窯跡群もあり、7世紀代の古墳と寺院、窯跡が近接して存在する数少ない地域です。そのため、古代における葛城地域の様相を考える上で重要な寺院として位置づけられています」。
なお「心礎」とは「塔の心柱(しんばしら)の礎石。中心に柱を受ける座や孔のあるものが多く、奈良前期以前のものでは舎利(しゃり)を納める孔をもつものもある」(デジタル大辞泉)。では、そろそろ記事全文を紹介する。
尼寺廃寺跡は香芝市の北端にあります。寺の由緒はよく分かっていませんが、1991(平成3)年から市教育委員会による発掘調査でその実態が判明し、北廃寺、南廃寺の二つの寺院跡が存在することが分かりました。
北廃寺の創建は7世紀後半に始まるとみられ、塔・金堂・回廊を確認、東向きの法隆寺式伽藍(がらん)配置で、東回廊に中門が存在すると推定されます。3・8㍍四方と日本最大級の巨大な塔心礎が見つかり、耳環(じかん)・刀子(とうす)・水晶玉やガラス玉など多彩な舎利荘厳具が出土しました。
約200㍍南の南廃寺でも同じ配置で南向きの建物基壇が確認され、北廃寺より早く造営されたようです。北廃寺が僧寺、南廃寺が尼寺だったと思われます。
2002(平成14)年、北廃寺跡は国史跡に指定され、公園として整備、基壇などが復元されました。学習館では塔心礎の模型など、市二上山博物館には荘厳具の実物、心柱の実物大模型などが紹介され、見て知って楽しく学ぶことができます。(奈良まほろばソムリエの会 会員 柏尾信尚)
(住 所) 香芝市尼寺2
(交 通) JR和歌山線畠田駅から南西へ徒歩約10分
(入 館)<学習館>9時~16時半、無料、原則月曜休館
(駐車場) 有(無料)
◇香芝市二上山博物館
(住 所) 香芝市藤山1の17の17
(駐車場) 0745・77・1700
(入 館) 9~17時、入館料200円、原則月曜休館
二つの説も個人的に魅力あります。
謎の理由ってちょっと気になりますね。研究している方がいらっしゃるのがとてもありがたいです。
香芝なんですね、昔子供がお世話に奈良の企業の場所でして以前からとても気になる地域です。
情報がもっともっと出てくるのが楽しみですね。
> 全く知らなかった廃寺跡です。二つの説も個人的に魅力あります。
はい。こんなに大きな寺跡なのに、由緒がよく分かっていません。私は「聖徳太子建立の葛城尼寺」だといいな、と思っていますが。
奈良県内には、宇陀市の「駒帰(こまがえり)廃寺跡」や桜井市の「粟原(おおばら)寺跡」などがありますが、こちらも謎に包まれています。
いろいろと想像を巡らせることができて、それもまた楽しいです。