NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.4.18)掲載されたのは〈神武天皇、大和平定ゆかり/登弥神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員で奈良市にお住まいの青木章二さんだった。
※トップ写真は登弥神社本殿=奈良市石木町で
同社の公式HPには〈由緒については皇紀4年春2月23日、神武天皇がこの地に於いて皇祖天神を祭祀されたのが、そもそもの淵源(えんげん)でありその後、登美連(とみのむらじ)が祖先である天孫饒速日命(にぎはやひのみこと)の住居地であったこの地に命ご夫妻を奉祀したのが当神社の創建であります〉とあり、とんでもなく古い神社であることが分かる。では、全文を紹介する。
神武天皇、大和平定ゆかり/登弥神社(奈良市)
登弥(とみ)神社は富雄川の東側、奈良市と大和郡山市の市境の西ノ京丘陵の森の中に鎮座します。古くは木嶋大明神(このしまだいみょうじん)と称され、今も石灯籠にその名が残ります。
鳥居をくぐり境内に入ると、長いなだらかな登りの石段があり、一番奥の高い所に、本殿と拝殿があります。本殿は一間社(いっけんしゃ=正面の柱間が一つ)春日造(かすがづくり=切り妻屋根で、棟と直角な面に入り口がある様式)で、東本殿と西本殿の二つが横に並んでいます。2020(令和2)年に、国の登録有形文化財となりました。
古来「トミ」と呼ばれた場所は当地から北、富雄川の上流一帯を指します。トミの字は登弥、鳥見、富、登美などと記され、当社は古代の地名を残しています。
由緒については、神武天皇が大和平定の後、この地において皇祖天神(こうそてんじん)を祭ったのが始まりで、その後、天皇の平定に功績のあった登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)の子孫である登美連(とみのむらじ)が、ゆかりのある当地に祖神と天神地祇(てんじんちぎ)を祭ったのが創始と伝わります。
毎年2月1日に「粥(かゆ)占い(筒粥祭=つつかゆさい)」の神事が行われます。米と小豆を使った粥で農作物の出来具合を占う神事で、古い形態が残され、奈良市の無形民俗文化財に指定されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 青木章二)
(祭 神)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、登美饒速日命、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
(住 所)奈良市石木町648の1
(交 通)近鉄九条駅から徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0742・45・1117
※トップ写真は登弥神社本殿=奈良市石木町で
同社の公式HPには〈由緒については皇紀4年春2月23日、神武天皇がこの地に於いて皇祖天神を祭祀されたのが、そもそもの淵源(えんげん)でありその後、登美連(とみのむらじ)が祖先である天孫饒速日命(にぎはやひのみこと)の住居地であったこの地に命ご夫妻を奉祀したのが当神社の創建であります〉とあり、とんでもなく古い神社であることが分かる。では、全文を紹介する。
神武天皇、大和平定ゆかり/登弥神社(奈良市)
登弥(とみ)神社は富雄川の東側、奈良市と大和郡山市の市境の西ノ京丘陵の森の中に鎮座します。古くは木嶋大明神(このしまだいみょうじん)と称され、今も石灯籠にその名が残ります。
鳥居をくぐり境内に入ると、長いなだらかな登りの石段があり、一番奥の高い所に、本殿と拝殿があります。本殿は一間社(いっけんしゃ=正面の柱間が一つ)春日造(かすがづくり=切り妻屋根で、棟と直角な面に入り口がある様式)で、東本殿と西本殿の二つが横に並んでいます。2020(令和2)年に、国の登録有形文化財となりました。
古来「トミ」と呼ばれた場所は当地から北、富雄川の上流一帯を指します。トミの字は登弥、鳥見、富、登美などと記され、当社は古代の地名を残しています。
由緒については、神武天皇が大和平定の後、この地において皇祖天神(こうそてんじん)を祭ったのが始まりで、その後、天皇の平定に功績のあった登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)の子孫である登美連(とみのむらじ)が、ゆかりのある当地に祖神と天神地祇(てんじんちぎ)を祭ったのが創始と伝わります。
毎年2月1日に「粥(かゆ)占い(筒粥祭=つつかゆさい)」の神事が行われます。米と小豆を使った粥で農作物の出来具合を占う神事で、古い形態が残され、奈良市の無形民俗文化財に指定されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 青木章二)
(祭 神)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、登美饒速日命、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
(住 所)奈良市石木町648の1
(交 通)近鉄九条駅から徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0742・45・1117
