今日の「田中利典師曰く」は、修行日記に戻り〈蔵王供正行29日目「老兵は死なず…」〉(師のブログ 2015.5.29付)である。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)
この年、師は還暦の60歳だったから、まだまだ「老兵」にはほど遠いが、後進に道を譲られたので、「あとは若い僧侶に任せたい」という決意の表明なのだろう。吉野大峯世界遺産登録20周年の年(2024年)を迎え、利典師の経験値は、大いに活かしていただきたいものだ。では、全文を紹介する。
「老兵は死なず…」
蔵王供正行29日目(5月29日)。快晴。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第55座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第56座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者は3名。難病を患うお孫さんを連れて、信者さんにお参りいただいた。護摩を終えて、お加持をさせていただく。
****************
「老兵は死なず…」
この春、金峯山寺の役職を下りたが、その後、吉野ではさまざまな動きがある。予想をしていた範囲内だが、その喧噪をよそに、参籠生活というのは、どこかで申し訳ないような、しかし、それは私自身が望んだということでもないので、流れのままに、いまを行じている。
40、50は洟垂れ小僧というお坊さんの世界であるが、ほんとは40、50代というのは人間が仕事をする上では旬である。確かに人としての完成は、60代からの人生に答えがあるのだろうが、仕事をするのは、60、70になってから、というのはどうかなあとも思える。
そういう意味では私は45歳で宗務総長にしていただいたので、有り難かったと今は思える。就任した当初は、どこに行っても一番若い総長だったので、恐縮したが、足かけ15年の間にいろんなことを経験させて頂き、いろんな仕事に携わることが出来たのだった。
吉野の本山は、内局が管長職を中心に大いに若返る。実は金峯山寺というお寺は1300年以上の歴史を刻む古刹であるが、宗門としては、戦後の立宗で、極めて若い宗団である。そういう意味では、若さが取り柄と言ってもいいだろう。「40、50の洟垂れ小僧」集団が、きっと、いい仕事をしてくれるだろうと思っている。
とはいえ、老兵は死なず…で、私もまだまだこれからの人生である。いやいや、僧侶としてはこれからが本番なのだ。そのための仕切り直しの修行の日々を、いま生きているのである。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)
この年、師は還暦の60歳だったから、まだまだ「老兵」にはほど遠いが、後進に道を譲られたので、「あとは若い僧侶に任せたい」という決意の表明なのだろう。吉野大峯世界遺産登録20周年の年(2024年)を迎え、利典師の経験値は、大いに活かしていただきたいものだ。では、全文を紹介する。
「老兵は死なず…」
蔵王供正行29日目(5月29日)。快晴。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第55座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第56座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者は3名。難病を患うお孫さんを連れて、信者さんにお参りいただいた。護摩を終えて、お加持をさせていただく。
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「老兵は死なず…」
この春、金峯山寺の役職を下りたが、その後、吉野ではさまざまな動きがある。予想をしていた範囲内だが、その喧噪をよそに、参籠生活というのは、どこかで申し訳ないような、しかし、それは私自身が望んだということでもないので、流れのままに、いまを行じている。
40、50は洟垂れ小僧というお坊さんの世界であるが、ほんとは40、50代というのは人間が仕事をする上では旬である。確かに人としての完成は、60代からの人生に答えがあるのだろうが、仕事をするのは、60、70になってから、というのはどうかなあとも思える。
そういう意味では私は45歳で宗務総長にしていただいたので、有り難かったと今は思える。就任した当初は、どこに行っても一番若い総長だったので、恐縮したが、足かけ15年の間にいろんなことを経験させて頂き、いろんな仕事に携わることが出来たのだった。
吉野の本山は、内局が管長職を中心に大いに若返る。実は金峯山寺というお寺は1300年以上の歴史を刻む古刹であるが、宗門としては、戦後の立宗で、極めて若い宗団である。そういう意味では、若さが取り柄と言ってもいいだろう。「40、50の洟垂れ小僧」集団が、きっと、いい仕事をしてくれるだろうと思っている。
とはいえ、老兵は死なず…で、私もまだまだこれからの人生である。いやいや、僧侶としてはこれからが本番なのだ。そのための仕切り直しの修行の日々を、いま生きているのである。
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