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真田丸(43)軍議

2016年11月06日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
NHK大河ドラマ「真田丸」、前回(10/30)は「第43回 軍議」だった。大坂城に籠城して戦うか、出て戦うか、軍議が行われる。NHKの番組HPからあらすじを拾(ひろ)うと、

徳川軍が大坂城に迫る中、茶々は幸村と密かに会い、ある願い事をする。一方、秀頼の御前で五人衆を集めて軍議が開かれる。幸村だけは、家康のいる京へ攻め込むことを主張するが、みな反対する。次第に(毛利)勝永は幸村の意見を認めるようになるが、又兵衛だけは籠城すべきだと猛反対し続ける。そして、ついに秀頼が決断をくだすときが訪れる。

先月(10/24)、関ヶ原の合戦後に流された九度山から、兄・信之に仕える義兄の小山田茂誠(しげまさ)に宛てた長文の書状の原本が見つかったというニュースが流れた(Yahoo!ニュース)。これも「真田丸」で真田が注目されるようになった賜物だろう。録画して「真田丸」を見たという「タイムシフト視聴率」が6.7%にのぼり、ナマで見た人との合計は20.9%にのぼる、というニュースも流れていた。「真田丸」人気も、ここまで来たか…。

閑話休題。「第43回 軍議」の話である。私は昨年に読んだ司馬遼太郎の『城塞』の印象が強すぎて、茶々(淀殿)をどうしても悪者に見てしまう。茶々を中心とした女衆が権力を握り、陪臣は無能。勇ましい牢人たちがそれに振り回される、という構図だ。つまり大坂城を仕切っていたのは秀頼ではなく母・茶々とその周辺だったのだ。だから冬の陣のあと、家康の謀略にまんまとひっかかってしまった、というストーリーだ。まぁ、それは歴史が証明していることなのだが。

 城塞 (上巻) (新潮文庫)
 司馬遼太郎
 新潮社

この回で私が注目したのは、井上順扮する織田有楽斎(うらくさい)。奈良にゆかりの有楽斎、何だかうさんくさい様子であるが、井上がうまく演じていた。有楽斎の風貌が残された肖像画にそっくりで、笑ってしまった。しかし井上の声が妙に枯れていて「これも加齢(枯れ)なのかなあ」とつまらないダジャレを思いついてしまった。

この織田有楽斎について、藤丸タダアキさんが「真田丸に登場する織田有楽斎について」というブログ記事を書いている。とても興味深いので、全文を紹介する。

織田有楽斎は織田信秀の十一男として生まれます。同じ兄弟には次男の信長や三男の信行や四男信包などもいます。彼は織田政権下では信長の嫡男信忠の傘下の武将として働いていたようです。信忠は甲斐武田攻略の甲州征伐に参加しています。

有楽斎は本能寺の変の際でも信忠と共に京都にいました。信忠は、当時500余りの手勢しかいなかったそうです。明智光秀は約1.3万人の軍勢を引き連れています。信忠は逃げることもできましたが、側近と議論している間に明智に包囲されます。信忠と側近衆はほぼ討ち死にしますが、信忠の嫡男三法師は脱出しました。そして織田有楽斎。彼も力戦した後に脱出しています。しかし、脱出した人物は僅かだったため、有楽斎は非常に目立ちます。有楽斎は信忠に自決を進めたのちに逃げたと揶揄されます。



その後、甥の織田信雄(のぶかつ)に従っていましたが、後に秀吉から摂津に土地を拝領します。そして姪の茶々(淀君)が大坂城にいたために、よく交流していたようですね。

織田有楽斎といえば、茶道の印象が非常に強い人物です。彼は、千利休の高弟の一人でした。有楽斎は関ケ原の戦いで東軍につきます。彼は石田三成の重臣、蒲生頼郷を打ち取ります。そして、息子の長孝は大谷吉継の与力の戸田重政を槍で打ち取ります。西軍の名のある人物二名を打ち取った織田有楽。その手勢は800ほどだったといわれていますので、大活躍です。その槍を家康に見せると、その手元から落ちて、家康が怪我をしたそうです。徳川家に祟りを起こすといわれている伊勢(三重県)の刀で妖刀と呼ばれた村正でした。

その戦功により奈良の柳本・戒重など3万石を領することになります。この後、全国の大名は徳川家を盟主として臣従します。しかし、有楽斎は信長の弟ということもあり、家康に命令されなかったのでしょう。その後も豊臣家に出仕し、茶々(淀君)の相談相手であり続けます。そこに起こった大坂の陣。有楽斎は非常に厳しい立場に追い込まれます。有楽斎は家康とも非常に親しかったでしょう。

茶人としての有楽は多くの大名などの関係を繋ぐ役目を果たしていたでしょう。信長の弟である織田有楽斎。織田政権・豊臣政権・徳川政権。どの政権でも彼は特別の立場でした。

豊臣家と徳川家の手切れ。有楽斎には家康の意向も聞こえてきたでしょう。姪の茶々とその息子の秀頼。有楽斎の役目は戦争回避だったでしょう。しかし、それは徳川方のさまざまな策略でだめになりました。そして大坂の陣を迎えます。



真田丸の有楽斎は、積極進撃策を却下し、怪しげな言動を繰り返します。これは意地悪に捉えれば家康が思う大坂城に閉じ込めたいという考えに従ったように見えます。しかし同情的にみると、豊臣方の組織力では野戦の得意な家康には叶わないと思っていたのではないかと思います。

牢人衆とは話が合わず、孤立化を進めます。そして、有楽斎よりも息子の長孝が牢人衆と対立を深めます。しかし、茶々(淀君)の親族としての立場は揺ぎ無かったようです。徳川方が大坂城に攻め寄せた際に、有楽斎の持ち場だけ、空鉄砲を打っていたといわれています。そこで、他の持ち場から応援が駆けつけて事なきを得たそうです。

しかし、それは軍議では議論の対象とはなりませんでした。大坂冬の陣が講和で終わった際、有楽斎は家康の許可を取って退城します。
ここでも意地悪く見れば裏切りの証拠となります。しかし、彼は家康に挨拶をしただけなのではないかとも思います。しかし、結果的に、大坂方から見ると有楽斎は裏切りだったでしょう。ただ現役の大名である織田有楽斎と、運に恵まれずというか失職した牢人たち。

真田丸でも今後は退去や裏切りに向けた雰囲気に演出されるでしょう。真田丸では千利休もそうでしたが、有楽斎などの茶人は悪く描かれています。茶道を嗜んでいる者からいうと、ちょっと違和感を感じたりします。今の日本社会でも茶道などは古臭いという印象があるのでそう捉えているのでしょうか。

しかし、茶道とは人と人を繋げる素晴らしいコミュニケーションツールでもあります。それを身につけて、大名間の橋渡しを行ったであろう織田有楽斎。井上順さんをキャストに持ってくるあたりがこの真田丸たるゆえんですね。真田丸の織田有楽斎を紹介しました。


藤丸さんは「千利休もそうでしたが、有楽斎などの茶人は悪く描かれています。茶道を嗜んでいる者からいうと、ちょっと違和感を感じたりします」とお書きだが、第三者的に見て、そんなことはない。たまたま「真田丸」ではそんな役回りだったが。桂文枝とか井上順という配役にあるように、武家とは少し違った立場から戦国の世に関わった者として描かれているだけだと思う。おっと、ここまで書いたところで、すでに長文の記事となってしまった。おしまいに、再び藤丸タダアキさんのブログを紹介して締めとしたい。



真田丸43話軍議の感想・籠城を主張する茶々のトラウマと有楽斎の思惑。豊臣方は総大将を決めずに大坂五人衆といういびつな形になりました。真田丸43話軍議の感想を書きます。

信繁から幸村となり豊臣方となった源二郎。一方の、真田信之の息子の信吉や信政は徳川方として出陣します。病気がちの信之は姉の松(木村佳乃)に大坂へ行ってもらうようにお願いします。弟の幸村が14年間の苦労を発散できるように、信之の息子たちを見守ってやってほしいと。いい兄ですね。素敵です。

徳川家康は二条城にて息子の将軍秀忠を待ちます。二条城へ出仕した片桐且元に家康は且元に丁寧に接します。家康は且元に大阪城内の兵糧について尋ねます。小心者の且元は長い間の後に返答します。豊臣方は牢人が以上に多く集まり、兵糧は持っても半年…。ちなみに、且元の大坂城退去の際に且元をかばったのは織田有楽斎です。これも裏切者有楽斎が且元に行った親切でした。

茶々(淀君)は武器庫に幸村を呼び、勝てるのかを聞きました。真田丸43話は‘軍議’です。茶々と幸村の軍議。茶々は秀吉を愛していないといいます。そして秀頼が死ななくてもよくなるように幸村にお願いします。孤独な茶々。

織田有楽斎と大蔵卿局(治長の母)は大野治長から情報を聞き出します。有楽斎は茶々の叔父です。その立場を利用して、茶々の籠城主張に合わせて籠城で方針を決めます。真田丸43話の題名は軍議です。その軍議が始まります。

出席者は秀頼・大野治長・織田有楽斎・木村重成・そして大坂五人衆。豊臣家の直臣たちは籠城を主張し、反対するのは幸村1名。有楽斎は籠城を主張します。そして籠城で決定しようとした時に幸村は九度山へ帰ると言い中座します。その幸村のもとへ、木村重成が訪ねてきます。

会議が再開され、幸村は京都への進撃策を説明します。籠城はいつでもできるので、まずは進撃するべきだと主張します。毛利勝永が幸村案に賛成したところで、有楽斎は休憩を提案し会議は中断します。

大坂五人衆は軍議部屋の外の廊下で軍議再開を待ちます。勝永と幸村は話をします。勝永は幸村案の京都への進撃を自分がやりたいと言います。一方で、明石や長曾我部は反対の理由がありました。明石と長曾我部は大野治長から反対するように指示されたといいます。明石はキリスト教布教のため、長曾我部はお家再興のために豊臣方に参加しました。そこで、幸村は戦に勝たなければその望みは叶えられないと伝えます。そして、この2名は翻意しました。

大蔵卿局は大野治長に牢人のいうことを聞かないように釘を刺します。そして軍議は再開します。豊臣直臣の木村重成は籠城を主張します。幸村は大坂城は最強の砦だが最後の砦であると主張します。戦争は定石通りではいかないという幸村の主張に納得します。

籠城策に納得いかない後藤又兵衛は賛成せずに自分は天下の城で死ぬといいました。幸村は勝つために戦うと主張しますが、又兵衛は勝てるわけがないといいました。幸村は生きる望みのために大阪に集まってきた、負ける気がしないと。その言葉に又兵衛は納得して座りました。積極策を取るような雰囲気になりました。

しかし、織田有楽斎は籠城で決定していると言いました。それに後藤又兵衛が怒り有楽斎に食って掛かります。有楽斎は牢人は金で雇われているだけであると言い放ちました。大野治長は、牢人は豊臣家の大事な客分で非礼があってはならないと言います。ご裁断するのは右大臣秀頼であると。そして秀頼は出戦を宣言しました。有楽斎は席を蹴ってしまいました。

大坂五人衆はほぼ、心の一致ができました。そこで勝永は幸村が大坂に来た理由を訪ねます。幸村は実は自分にもわからないといいました。

秀頼は茶々に報告します。毛利勝永率いる2万人が京都に出陣すると伝えます。茶々は幸村以外は金で雇われているだけでいつ裏切るかわからないといいます。そして出陣は許さないと言い放ちました。その決定を大野治長は幸村に伝えにいきます。幸村はそれならば籠城でできることを考えますと伝えます。落胆的な形で終わりました。

さて、真田丸43話軍議の感想です。息子を思うあまりに危ない戦場に行かせたくない茶々。姪の茶々の意見を尊重しているように見える有楽斎。有楽斎は家康が豊臣方が城から出るのを嫌がっているのを知っていたでしょう。家康にすれば大坂城だけに閉じ込めれば戦いは楽だったのでしょう。家康は妥当な考えの多い人間です。変幻自在の相手は苦手だったのでしょう。それを有楽斎は知っていたのでしょう。

茶々と有楽斎は籠城を主張していますが、その思惑が違います。しかし、大坂城城主は秀頼ではなく事実上は茶々です。その茶々が叔父として頼りにしている有楽斎。ここが豊臣方の限界ですね。茶々や大蔵卿局や大野治長程度の経験では家康には勝てません。

茶々はかつて2度の落城を経験しています。実父の浅井長政は姉川の戦いに敗れ、その後に小谷城は落城します。さらに母の再縁相手の柴田勝家も賤ヶ岳の戦いに敗れ、北ノ庄城は落城します。茶々は出戦がトラウマだった可能性が高いですね。浅井長政や柴田勝家をどのような心境でその出戦を見送ったのか。

真田丸43話軍議の感想は籠城を主張する裏切者の有楽斎の思惑が勝ったなあと。しかし、幸村はバラバラだった大坂五人衆をまとめることに成功します。この大坂五人衆がどうなるのか。今後が楽しみです。

真田丸第44話は築城です。真田家得意の築城能力が44話では紹介されるでしょう。真田丸43話軍議の感想を書きました。

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