tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

境内に飛鳥時代の西安寺(さいあんじ)跡/舟戸神社(北葛城郡王寺町舟戸)

2024年09月03日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.8.29付)掲載されたのは、〈渡し船の地 旅人守る神/舟戸神社(王寺町)〉、執筆されたのは姫路市在住の池内力さんだった。
※トップ写真は、舟戸神社の参道と拝殿=王寺町で

舟戸神社の境内には、「西安寺跡(さいあんじあと)」がある。西安寺は飛鳥時代に創建された寺で、聖徳太子が創建した46ヵ寺の1つだ。「奈良県歴史文化資源データベース」によると、

平成26年度(2014年度)の発掘調査で初めて塔跡の遺構を確認し、平成29年度(2017年度)には柱を支えた礎石や乱石積基壇が良好な状態で残っていることが明らかになり、その大きさを復元すれば塔の建物は6.75m四方、基壇は13.35m四方で、法隆寺五重塔と同じくらいであったこともわかりました。

では、記事全文を以下に紹介する。

渡し船の地 旅人守る神/舟戸神社(王寺町)
舟戸神社は、西に流れる大和川の左岸、西側を旧当麻街道が南北に走る地に鎮座しています。 旧当麻街道は、北の龍田神社(斑鳩町)と南の当麻方面や吉野・和歌山方面を結んでおり、多くの人に利用されていました。

江戸時代、この付近の大和川には橋が架かっておらず、船で渡っていました。このため、この辺りの集落は、江戸時代には「船渡」と呼ばれており、現在は「舟戸」と表記されています。

祭神は久那戸神(くなどのかみ)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、久那戸神は道祖神や賽(さい)の神と同様に道路や旅人などを守る神であり、大和川や旧当麻街道を行き交う人々やこの地を守る神として信仰を集めています。なお、祭神については、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が投げ捨てた杖から生まれた衝立舟戸神(つきたつふなどのかみ)とする伝承もあります。

神社の創建時期は室町時代以降と考えられ、それ以前には飛鳥時代に創建された西安寺がありました。西安寺の発掘調査では、飛鳥時代から室町時代の瓦が出土しており、また、神社の拝殿の北東に塔が、その北に金堂があったことが明らかになりました。さらに、東回廊跡も確認されました。

この結果、南向きの四天王寺式伽藍(がらん)配置(門・塔・金堂・講堂が一直線上に並ぶ)の古代寺院であったと考えられています。(奈良まほろばソムリエの会会員 池内力)
 
(住 所)北葛城郡王寺町舟戸2の4189
(祭 神)久那戸神、天児屋根命
(交通)JR王寺駅か近鉄新王寺駅から南東へ徒歩約15分
(拝 観)自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする