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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(12)/常に「死」を意識する

2022年09月18日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ、第12回は「死に習う」である。
※トップ写真は、明日香村のヒガンバナ(2020.9.28 撮影)

これは修験道の教えなのだそうだ。確かに修験道の激しい修行は、死と隣り合わせ。必然的に死を意識するし、逆に自分が生きている有り難さや喜びも実感もできる。では師のFacebook(5/16付)から抜粋する。

シリーズ吉野薫風抄⑫/「死に習う」
今、機関紙の編集をしている私の所に悲報が届いた。古くからお世話になっている自坊の信者さんが、今朝、亡くなったという知らせであった。私の自坊は京都府下の山あいの小さな田舎町にある。日頃は本山での執務に従事させて頂いているが、月に一、二度はその自坊に帰郷する。古希(こき)を数年前に済ませ、今なお老骨にムチ打って、住職として頑張っている親父殿の助法に日を定めて帰っているのである。

先に帰った時、その信者さんの病状の話を聞いた。癌で入院加療中とのことで見舞いに行こうと思っていた。しかし、家族の方が見舞いには来てくれるなと言っておられるらしく、家人にも止められた。私などが行けば、本人が癌であることに気づくから、来て欲しくないとの理由であったが、そんなに早く亡くなるのであれば、やはりあの時行っておけばよかったと思ったりしている。詮ないことである。明日がお葬式と聞いたが、行けそうにないので弔電を打たせて頂くことにする。

それにしても悲しい知らせであった。窓の外を見ると、今朝の吉野は昨夜来の雨も上がり、目にまばゆいばかりの青空と、透きとおるような若葉の緑が美しく佇(たたず)んでいる。きわやかな五月の、清らかな景色である。故郷のあの田舎町も、同じくらい清らかな朝を迎えたにちがいない。こんな日に、その人生の終焉を迎えた彼の人は、きっと清らかな旅立ちであったろう。故人の冥福を祈りたい。

死は突然に訪れるものである。そして誰にでもいつか必ず訪れるものである。一人としてその事実から逃れることは出来ない。修験では「死に習う」という言葉がある。簡単に言うと、いつも我が死を心においてに、一日一日一生懸命に生きなさい、というような意味であろうか。逃れることがかなわない死に対して、いつも我が死に習うことが、修験者の日々の心構えなのであろう。

知己の人の死に逢って、この聖句をひとり想い返している。人はいつか死ぬのである。逃げては通れぬ道であるとわかっているから、今こそ正しく立ち向かっていきたいと思わずにいられない。合掌。

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ここのところ、身近な人たちの逝去が続いている。哀しいお別れである。生きていると言うことは「死」に向かって進んでいることに間違いは無い。釈迦もキリストも死んだのである。この世に生をうけて、死ななかったものはいない。だから常に「死に習う」という覚悟で「生」を全うしなければならないのだろう。

芸能人の自死が続いて、話題となっているが、コロナ以降、自死する人の数は明らかに増えている。「死」をきちんとみつめることで、なお「生」を全うする力を得たいと思っている。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され(26歳から35歳まで書いたコラムを編集)、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままにシリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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