今日の「田中利典師曰く」は、〈「水まつり法話会 水に感謝」備忘録〉(師のブログ 2016.8.11付)である。利典師はこの年の8月4日、長崎県島原市の「水まつり」前夜祭で、法話をされた。
※トップ写真は、利典師の法話の様子(2016.8.4)。
「水まつり」とは、島原の豊かな水の恵み(湧水)への感謝、自然への畏敬、神仏への祈りなどを込めて行われるお祭りで、1987年(昭和62年)に始まり毎年開催、今年で37回目を迎えた(今年の水まつりの概要は、こちら)。
今年も、番傘のオブジェや夜市、「ダンボールイカダレース」など、賑やかに開催されたようである。利典師はこのお祭りの前夜に、島原の歴史を重ね合わせた法話をされたのだった。では、全文を以下に紹介する。
見事な番傘のオブジェ。今年(2024年)の水まつりのサイトから拝借
「水まつり法話会 水に感謝」備忘録
長崎県島原市の水まつり前夜祭の法話会に呼ばれて、8月4~5日と島原に行った。はじめての訪問である。いろんなご縁での法話会だったが、「松島弁才天さま」に呼ばれていったような感じがしてならなかった。…せっかくの機会だったので、備忘録を書いておく。
まず、法話会をするにあたり、島原の歴史などを勉強してたくさんのことを学んだ。第一はキリシタン弾圧と島原の乱のこと。忌まわしくも悲しいこの地の過去である。それから「眉山(まゆやま)大崩れー島原大変肥後迷惑」のこと。2万名もの犠牲者が出た大災害である。
そして、眉山大崩れで土地が埋まって繋がった松島と、そこに弁財天が祀られている大師堂と天如塔のこと。そこには廣田言証(ごんしょう)師と「からゆきさん」の深い関わりもあった。「からゆきさん」は山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で有名になったが、全世界に身売りされた女性たちの哀史である。
※廣田言証 弁天山開山
岡山県真庭(まにわ)郡久世町(現・真庭市)に生まれ、40歳のとき商売に失敗。難病で治療の手立てが無いことを医者に告げられのを機に跣(はだし)の誓願を立て、素足で四国八十八カ所の霊場を巡拝(修験道)。弘法大師の霊験によって、病が癒え、明治20年、四国八十八カ所第五十二番札所太山寺で出家し、僧名「言証」を授かる。
以来、素足で全国仏蹟地を巡り、明治28年雲仙普賢岳にて修行。島原に下山し、お大師様の霊験を錫杖(しゃくじょう)に受け、幾多の病人を平癒し、多くの信徒の帰依を得て、太山寺(たいさんじ)教会所として大師堂を建立。また、島原半島を一円に鎮西八十八ヶ所の霊場を建立した。
明治39年、2年半単身インドの仏跡巡礼し、帰路ラングーンの寺で大理石の如来像を贈られ、帰国後寄進された浄財で塔を建立。最上階に安置し、天竺(てんじく=インド)の如来像であることから「天如塔」と命名した。浄財の多くは、師が東南アジアで出会った、からゆきさんからであった。
そして1991年(平成3年)6月3日の雲仙普賢岳噴火。43名の命が奪われた大災害だった。そういう話の全部が、法話会の会場となった弁天山大師堂には詰まっていたのだった。深い思いをもっての法話会だった。そこでお話をしたのは以下のようなこと…。
①水まつりの本質。
祭りの本質とは…イベントと祭りの違い。祭りの中心には神仏がいる…祭りとは神祭りのこと。神祭りなきまつりは単なるイベント。前夜祭で弁天山大師堂で祈願祭と法話会があるのは素晴らしい!そのために私は弁天様に呼ばれたのだとわかった。
水まつりHP開催趣旨から
何気なく、毎日不自由なく使っている島原の宝…「湧水」。この「湧水」がなくなってしまった時のことを考えることがありますか…?何気なく、毎日不自由なく使っていた「水」。人は、この「水」に襲われ、生きるために不可欠な「水」を絶たれた。何気ないものから、生きるためのものへと「水」の必要性をあらためて感じさせられた。
水に恵まれた島原。水の大切さを改めて感じた今だからこそ、水について考え、水の大切さを知る。そんな日があってもいいと思う。「水」を飲み、「水」と戯れ、改めて「水」に感謝する。そんなひとときをこの「水まつり」で感じてみませんか?
上記、開催の趣旨に、神まつりが欠落しているのが残念。水への感謝の奥にある自然への畏敬とそれを体現する神仏への祈りが大事。だから今年から前夜祭として、ここ松島の弁天様の前で開催されることが大変意義がある。弁天様にそのことを伝えなさいと言われて、ここに来た気がしている。
といって、イベントがダメというのではない。人の営みは素晴らしい。明日本番の催し竹灯篭点灯・番傘点灯など楽しみだし、それは人間しかやらない。犬や猫ではない人間しかやらないものの中に人間の本質がある。他者の命を奪い、子孫を作るのは人間同様に犬も猫もする。イベントのように集団で催し物をするのは人間だけ…素晴らしい。そして犬や猫ではない最高の行為が神への祈り、他者への感謝である。そのまつり、祈り、感謝の象徴が「水」、弁天さまへの感謝である
②祭りはハレの行為である。
ハレとケを行き来して生きて来た日本人。
③自然に善悪はない。
自然の恩恵、そして驚異を忘れてはいけない。島原大変肥後迷惑にみる自然の驚異。そして水の都・島原が生まれた。
④風土と歴史を大切に。
島原の特異性の中に、日本の大切なものが語られる…特異でないと語れない。島原の歴史とは、キリシタンを受け入れてきた日本の多様性。貧困による女性の不幸ーからゆきさんを生んだ背景。島原大変肥後迷惑にみる自然との共生。
⑤最後にOMAの勧め…
O 水のおかげさま M 水がもったいない A 水がありがたい
**************
だいたい、どんな依頼も断らないというのが私の主義である。だから、今まで、JAXAや富士山の世界遺産登録国際シンポジウム、「森里川海プロジェクト大会」など、まあ、私の力をおよそ越えたような集まりにも出かけている。
いつも行ってから後悔したり、悪戦苦闘をすることになるが、今回の水まつり前夜祭法話会もかなり手こずったものとなった。でも弁天様の思し召しと思って、いろいろ勉強出来たし、楽しく過ごさせていただいた法話会だった。
※写真はFB「島原水まつり」さんから拝借しました。自分の写真は自分で撮れませんので(>_<)。
今年(2024年)の水まつりのチラシ
※トップ写真は、利典師の法話の様子(2016.8.4)。
「水まつり」とは、島原の豊かな水の恵み(湧水)への感謝、自然への畏敬、神仏への祈りなどを込めて行われるお祭りで、1987年(昭和62年)に始まり毎年開催、今年で37回目を迎えた(今年の水まつりの概要は、こちら)。
今年も、番傘のオブジェや夜市、「ダンボールイカダレース」など、賑やかに開催されたようである。利典師はこのお祭りの前夜に、島原の歴史を重ね合わせた法話をされたのだった。では、全文を以下に紹介する。
見事な番傘のオブジェ。今年(2024年)の水まつりのサイトから拝借
「水まつり法話会 水に感謝」備忘録
長崎県島原市の水まつり前夜祭の法話会に呼ばれて、8月4~5日と島原に行った。はじめての訪問である。いろんなご縁での法話会だったが、「松島弁才天さま」に呼ばれていったような感じがしてならなかった。…せっかくの機会だったので、備忘録を書いておく。
まず、法話会をするにあたり、島原の歴史などを勉強してたくさんのことを学んだ。第一はキリシタン弾圧と島原の乱のこと。忌まわしくも悲しいこの地の過去である。それから「眉山(まゆやま)大崩れー島原大変肥後迷惑」のこと。2万名もの犠牲者が出た大災害である。
そして、眉山大崩れで土地が埋まって繋がった松島と、そこに弁財天が祀られている大師堂と天如塔のこと。そこには廣田言証(ごんしょう)師と「からゆきさん」の深い関わりもあった。「からゆきさん」は山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で有名になったが、全世界に身売りされた女性たちの哀史である。
※廣田言証 弁天山開山
岡山県真庭(まにわ)郡久世町(現・真庭市)に生まれ、40歳のとき商売に失敗。難病で治療の手立てが無いことを医者に告げられのを機に跣(はだし)の誓願を立て、素足で四国八十八カ所の霊場を巡拝(修験道)。弘法大師の霊験によって、病が癒え、明治20年、四国八十八カ所第五十二番札所太山寺で出家し、僧名「言証」を授かる。
以来、素足で全国仏蹟地を巡り、明治28年雲仙普賢岳にて修行。島原に下山し、お大師様の霊験を錫杖(しゃくじょう)に受け、幾多の病人を平癒し、多くの信徒の帰依を得て、太山寺(たいさんじ)教会所として大師堂を建立。また、島原半島を一円に鎮西八十八ヶ所の霊場を建立した。
明治39年、2年半単身インドの仏跡巡礼し、帰路ラングーンの寺で大理石の如来像を贈られ、帰国後寄進された浄財で塔を建立。最上階に安置し、天竺(てんじく=インド)の如来像であることから「天如塔」と命名した。浄財の多くは、師が東南アジアで出会った、からゆきさんからであった。
そして1991年(平成3年)6月3日の雲仙普賢岳噴火。43名の命が奪われた大災害だった。そういう話の全部が、法話会の会場となった弁天山大師堂には詰まっていたのだった。深い思いをもっての法話会だった。そこでお話をしたのは以下のようなこと…。
①水まつりの本質。
祭りの本質とは…イベントと祭りの違い。祭りの中心には神仏がいる…祭りとは神祭りのこと。神祭りなきまつりは単なるイベント。前夜祭で弁天山大師堂で祈願祭と法話会があるのは素晴らしい!そのために私は弁天様に呼ばれたのだとわかった。
水まつりHP開催趣旨から
何気なく、毎日不自由なく使っている島原の宝…「湧水」。この「湧水」がなくなってしまった時のことを考えることがありますか…?何気なく、毎日不自由なく使っていた「水」。人は、この「水」に襲われ、生きるために不可欠な「水」を絶たれた。何気ないものから、生きるためのものへと「水」の必要性をあらためて感じさせられた。
水に恵まれた島原。水の大切さを改めて感じた今だからこそ、水について考え、水の大切さを知る。そんな日があってもいいと思う。「水」を飲み、「水」と戯れ、改めて「水」に感謝する。そんなひとときをこの「水まつり」で感じてみませんか?
上記、開催の趣旨に、神まつりが欠落しているのが残念。水への感謝の奥にある自然への畏敬とそれを体現する神仏への祈りが大事。だから今年から前夜祭として、ここ松島の弁天様の前で開催されることが大変意義がある。弁天様にそのことを伝えなさいと言われて、ここに来た気がしている。
といって、イベントがダメというのではない。人の営みは素晴らしい。明日本番の催し竹灯篭点灯・番傘点灯など楽しみだし、それは人間しかやらない。犬や猫ではない人間しかやらないものの中に人間の本質がある。他者の命を奪い、子孫を作るのは人間同様に犬も猫もする。イベントのように集団で催し物をするのは人間だけ…素晴らしい。そして犬や猫ではない最高の行為が神への祈り、他者への感謝である。そのまつり、祈り、感謝の象徴が「水」、弁天さまへの感謝である
②祭りはハレの行為である。
ハレとケを行き来して生きて来た日本人。
③自然に善悪はない。
自然の恩恵、そして驚異を忘れてはいけない。島原大変肥後迷惑にみる自然の驚異。そして水の都・島原が生まれた。
④風土と歴史を大切に。
島原の特異性の中に、日本の大切なものが語られる…特異でないと語れない。島原の歴史とは、キリシタンを受け入れてきた日本の多様性。貧困による女性の不幸ーからゆきさんを生んだ背景。島原大変肥後迷惑にみる自然との共生。
⑤最後にOMAの勧め…
O 水のおかげさま M 水がもったいない A 水がありがたい
**************
だいたい、どんな依頼も断らないというのが私の主義である。だから、今まで、JAXAや富士山の世界遺産登録国際シンポジウム、「森里川海プロジェクト大会」など、まあ、私の力をおよそ越えたような集まりにも出かけている。
いつも行ってから後悔したり、悪戦苦闘をすることになるが、今回の水まつり前夜祭法話会もかなり手こずったものとなった。でも弁天様の思し召しと思って、いろいろ勉強出来たし、楽しく過ごさせていただいた法話会だった。
※写真はFB「島原水まつり」さんから拝借しました。自分の写真は自分で撮れませんので(>_<)。
今年(2024年)の水まつりのチラシ