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田中利典師の「チベット旅行記」(7)

2024年09月12日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「チベット旅行記」(7)である。しかしこの頃、師のPCが不調だったようで、この第7回の記事が見当たらない。しかし、「仏教タイムス」連載のモトとなったブログ記事(日記のように詳しく書いておられた)が見つかった(師のブログ 2006.9.14 付)。この記事から、日記の部分を省き、師の随想部分だけを以下に紹介する。

「チベット高原について」
もう随分前に、私はシルクロードの各地を訪ねた。新彊ウイグル自治区のウルムチ、トルファン、敦煌など…。ゴビタンに広がる漠々たる褐色の大地がそこにはあった。

大ざっぱに言うと、チベット高原は崑崙山脈をはさんで、新彊ウイグル自治区の南側に位置する。にわか勉強仕入れた知識であるが、ある種、シルクロード各地の延長線上というイメージがあった、

ところがラサからバスで約7時間ほど要して訪れたギャンツェの街は標高4000㍍を越えるというのに大麦と菜の花の穀倉地帯が平地一面に広がる肥沃の地であった。少なからず驚きを覚えたのである。

もちろん低地の肥沃地とは比べものにならない収穫性の低い穀物には違いないが、ギャンツェ平野を取り囲む5000㍍級の山々がどれも峻厳な岩山ばかりであるだけに、緑と黄色に彩られた大地はあたかも天国の情景にすら感じられる人に優しい風景であった。

シルクロードのゴビタンは「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣もなし」という不毛の荒涼たる大地のみが延々と続いていたが、チベット高原には人の営みと自然の恩恵がつましく広がっていたのである。自然との共生は、人間のつましさの上に成り立つ世界なのかもしれない。

それにしたも空気の希薄なこの高原地帯にチベット人は世界に希有なる仏教文化と人の営みを展開させてきたのである。それは私にとって驚愕の情景であった。
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