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田中利典師曰く「感謝を忘れたら、心身のバランスが崩れる」

2023年05月13日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、ブログ「山人のあるがままに」から、「感謝力」(2010.7.26)である。この少し前頃に、渡辺淳一著『鈍感力』という本が話題になっていた。このブログ記事には、歩く・ならの女さんから、こんなコメントが入っていた(2010.7.27)。
※写真は、吉野山下千本の桜(2023.3.28 撮影)

ご無沙汰しております。いい文章ですね。いつもながら心にしみこむようです。感謝を忘れたらバランスが崩れ去る・・・なるほどと思いました。つい忘れがちになってしまってました。明日からまた思い出して、朝から感謝の笑顔ですごそうと思いました。

明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」で、ここから娘さんに「いまる」さんという名前を付けた。多少の心の悩みや体の病いがあっても、目に見えない大きな力によって生かされている、それに対する感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。では師のブログ記事全文を紹介する。

感謝力
いつもの機関誌(金峯山時報「蔵王清風」欄)に書いている随筆の転載である。今月は「感謝力」。7月号掲載なので少し遅くなったが、ご笑覧あれ。

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「感謝力」
人間は所詮猥雑な生き物である、と私は思っている。どんな人間だって心に一つや二つの悩みを抱えているし、人に言えない心の影を抱えていてもおかしくない。それは心だけのことではなく、生きているっていうこと自体が猥雑なことなのだとおもうからだ。

体ひとつとってもそうである。私はすこぶる健康体だ、と思っている人だって、大きな病気はなくても、たとえば水虫やら痔や肩こりやら、どこかしら病いは抱えているし、今は大した自覚がないだけで、重大な病気を抱えていることだってありえる。

ただ平常でいられるのは、心の悩みにしても、体の病いにしても、悪いなら悪いなりに、それなりのバランスや調和が取れているからなのである。いずれにしろ、純粋無垢な心、完全無欠な健康体の人間などはいないのある。

完璧に清楚な人もいるはずがなく、逆に完璧な悪人もいやしない。あいつは極悪人だ、と言われる人がいるなら、それは善悪の調和が極端に崩れているだけだと私は思っている。つまり、誰にしても心も体も、善悪ともども猥雑なままに生きている、それが人間の本性なのである。

肝心なのは調和を保つこと、バランス保つことなのだ。ではどうやってそのバランスを保てばよいのかというと、その答えは一様でない。ただ私は僧侶だから、「それが御本尊の冥加であり、信心の力だ」と答えるしかない。

調和を保てることはまことに奇跡に近いわけで、バランスを失わず生きていけているのは正に自分の力の及ばざるところだ、と感じずにはいられないのだから。

実はこのところ、私自身そんなに健康体というわけではなく、成人病も抱えているし、僧侶のくせにストレスも自覚的にたまる一方の生活をしている。それでもなんとかバランスを崩さずに生かせて頂いているのは御本尊のご加護のお陰だし、信心の賜物だとつくづく思っている。

他人が見ているほど強くもないし清楚でもない猥雑な私であるが、それでも守られている大いなる力に感謝せずにはいられない日々なのである。

感謝がなにより大事なのだ。その感謝を忘れたらバランスは崩れ去るのかもしれない。一時期、『鈍感力』っていう本が売れていたそうだが、心身のバランスを保つためにも「感謝力」という言葉を少し心にとどめておきたいものである。
コメント
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