tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「吉野山巡礼」/『奈良大和路の桜』(淡交社刊)より

2023年03月20日 | 田中利典師曰く
2015年3月、淡交社から「奈良を愉しむ」シリーズとして『奈良大和路の桜』が刊行された。共著者は田中利典師、岡本彰夫師、岡野弘彦氏、桑原英文氏、菅沼孝之氏という錚々(そうそう)たる顔ぶれである。同じシリーズには『奈良大和路の紅葉』がある(2014年10月刊)。
※トップ写真は、ウチの近隣公園のヤマザクラ(コロナ禍の2020.4.5に撮影)

田中利典師はご自身のFacebook(3/17付)で、 本書所収の「吉野山巡礼」を公開された。吉野山の桜を詠んだ短歌や俳句を交え、分かりやすく書かれているので、ここで紹介させていただく。ぜひ、熟読玩味していただきたい。

「春を前に哀しいお知らせ…」
東大寺のお水取りも終わり、春到来が告げられています。今年の桜は早いようです。そんな春本番を目の前に、哀しいお知らせ…。写真家の桑原英文さんの写真に私の随筆などとコラボして出版された、奈良の桜を紹介する『奈良大和路の桜 』(淡交社刊)が、絶版となりました。先週、出版社から連絡がありました。えーー、春本番を前に??って思いましたが、大変残念です。

まだAmazonでも在庫はあるようなので、お求めの方はお急ぎ下さい。万一欠品の場合は私の手持ちも少しあります。フェイスブックメール(メッセンジャー)でご連絡下さい(サイン付きですよ〜ん)。本書で書いた私の、吉野の桜の解説文を紹介します。

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「吉野山巡礼」金峯山寺 田中利典
吉野山は質と量、そしてその歴史ともども、誰もが認める日本一の桜の名勝地でしょう。ただし、漠然としてその花の美しさを訪ねるのはもったいないことですね。私は二通りの味わい方をお勧めしています。

一つ目は、吉野の桜の、本来の意味に触れる鑑賞です。吉野の桜は山桜…。今から千三百年の昔、修験道の開祖役行者が、吉野の奥、金峯山山上ヶ岳で一千日の修行をされ、蔵王権現というわが国独特の御本尊を祈り出されました。そしてそのお姿を山桜の木に刻んで堂に祀ったのが金峯山寺の始まりであり、以来、山桜は蔵王権現のご神木とされました。

役行者は「桜は蔵王権現の神木だから切ってはならぬ」と里人に諭されたといわれ、吉野山では「桜は枯枝さえも焚火にすると罰があたる」といって、大切に大切に守ってきました。また訪れる人たちが権現様への信仰の証としてご神木の献木を続け、山を埋め、谷を埋めて、桜花爛漫の山となっていったのでした。吉野山の桜は、決して、観光地や名所地にしようと植えたものではなく、蔵王権現への信仰によって育まれた「生きたお供え花」だったのです。

それ故、三万本にも及ぶ全山の桜は金峯山寺本堂蔵王堂を中心に、広く下千本、中千本、上千本、そして奥千本と山肌に連なるようにして咲き揃います。ちょうど、上千本花矢倉辺りから俯瞰して蔵王堂を望むと、その様子が手に取るように眼下に広がります。神宿る花として桜を見る…吉野山でこその、古き良き日本の花見と言えるでしょう。

もう一つは、そういった信仰の歴史とは別の、吉野山ならではの、深い歴史に重ねて花を楽しむという訪ね方です。吉野から挙兵して壬申の乱を勝利した大海人皇子こと天武天皇をはじめ、吉野の桜を愛した西行法師。愛妾静と逃げ来たった源義経主従。南北朝の後醍醐天皇。栄華を極めた太閤秀吉。江戸期には芭蕉や良寛、本居宣長など、もう枚挙に暇なく歴史上の人物がその足跡を花に残しました。中千本桜本坊の境内に伝わる「天武天皇夢見の桜」に遙か古代のロマンを探してみては如何でしょうか。

 「花を見し昔の心あらためて 吉野の里に住まんとぞ思う」(西行法師)
少し足を伸ばして、奥千本を尋ねれば、三年のわび住まいをした西行法師寓居跡に遅咲きの桜が待っているでしょう。

「ここにても雲井の桜咲きにけり ただ仮そめの宿と思うに」(後醍醐天皇御製)
雲井の桜は獅子尾坂の登り詰めた付近にありました。残念ながら今はその名残を探すことも出来ませんが、吉水院(現吉水神社)の後醍醐天皇行宮からは天皇も愛でたであろう一目千本の絶景が望まれ、吉野朝宮跡(金峯山寺南朝妙法殿)のしだれ桜に佇めば、南朝哀史が甦ります。

 「とし月を心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな」(豊臣秀吉)
文禄三年四月、徳川家康や伊達政宗など戦国大名の勝ち残り五千人を引き連れて、吉野での大花見の宴を催した豊臣秀吉は、満開の花の下、蔵王堂の庭前に舞台を設えて、新作能「吉野詣」を舞ったと伝えられています。

 「春雨の木下につたう清水かな」(芭蕉)
西行を慕い二度にわたって吉野を訪れた芭蕉。何故か桜の句は一首も詠んでいませんが、西行庵近くに湧く苔清水を詠んだ歌が残っています。

 「わが宿に咲けるを見ればますますに 今日は吉野の桜思ほゆ」(本居宣長)
宣長は子供に恵まれなかった両親が願掛けして授かったという、金峯山一山水分神社の申し子。その恩に報いるために、生涯に三度の吉野詣をして、桜に思いを寄せています。上千本天王橋から猿引坂にかけての左右にある「布引桜」の並木を行けば、宣長の心を感じ取ることが出来るかもしれません。。

かくの如く、千年以上にわたって日本人の心をとらえ続けた吉野の桜。まあ、とやかく言わずして、満開の桜を前に身を置けば、蔵王権現と共に、花の精たちが深く癒してくれることでしょう。

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本書には巻頭解説として、もう一文「大和の桜、吉野の桜」も書かせていただきました。よろしければ是非、この本書をガイドブックに奈良県各地の桜名所をお訪ね下さい。
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