昨日の日曜日(9/5)、田原本町(たわらもとちょう=奈良県磯城郡)を歩いてきた。この日は勤務先が共催している「クリーンアップならキャンペーン」(清掃活動)の統一実践日で、私は「田原本町コース」(Qコース)を選んで参加してきたのだ。清掃活動は2時間以内に終わったので、そのあと、町内の見どころを散策した。奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)にも、田原本町の史跡はたくさん登場する。読者の皆さんに分かりやすいよう、近鉄田原本駅を起点として、以下に紹介する。
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-21139.htm
まず、田原本町について。Wikipedia「田原本町」によると《奈良盆地のほぼ中央、東に初瀬川、西に飛鳥川が流れる平坦地に位置する。古代の大和国城下郡鏡作郷・室原郷・黒田郷・賀美郷、十市郡飯富郷の地で、鏡作神社(八尾)・多神社など著名な延喜式内社が鎮座する。また弥生時代の代表的遺跡である唐古・鍵遺跡(国の史跡)を有する。賤ヶ岳七本槍のひとり平野長泰が田原本に領地を拝領(のちの田原本藩)》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E7%94%BA
名著『奈良県の歴史散歩(上)』(山川出版社)によると《江戸中期には、初瀬川や寺川の舟運(しゅううん)を利用した大坂や堺との流通も盛んになり、商業の町として「大和の大坂」と称されるほどに発展し、田原本の経済発展に大きく寄与した》とある。「大和の大坂」とは、スゴい。確かに今も、町内には立派な町家が立ち並ぶ。
近鉄田原本駅の東側すぐのところに、津島神社がある。拝殿と社務所は、08年に建て替えらればかりだ。町のHPによると《津島神社は、田原本町旧町域の南側に鎮座する。神仏分離以前は祇園社といった。現在も夏に盛大な祇園祭が催されることもあり、地元では「祇園さん」の愛称で親しまれている》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/old-shrine/shrine_tsushima.html
《現在、祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)、櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)などとなっているが、本来は牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする田原本村の産土神だったと考えられる》。
08年に立て替えられた津島神社拝殿
《この神社は、明治中期に書写された天治二年(1125)の棟札に建立の文字があったとされることから、創建年代の早いことがうかがえる。神社の南西側の発掘調査で、神社を囲む中世末の大溝が検出されている。江戸時代には、領主平野家の尊崇をあつめ、毎年米1石5斗の寄進を受けた。明治2年には、平野家の本貫地尾張国津島にあった津島社も祭神を牛頭天王とすることから、社名を津島神社と改めることとなった》。
津島神社の北側に、本誓寺(ほんせいじ)と浄照寺(じょうしょうじ)が並んで建っている。もともとここには教行寺(きょうぎょうじ)というお寺が建っていた。その境内を2分する形で、2つのお寺が建てられたのだ。
町のHPによると、本誓寺は《浄土宗の寺。開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。江戸時代の田原本領主であった平野氏の菩提寺。田原本二代領主平野長勝は、正保四年(1647)に浄土真宗教行寺を箸尾に転座させ、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺を建立した》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/old-shrine/temple_hosei.html
《本堂は度々の火災を受け、現在は昭和58年に再建された鉄筋コンクリート建物である。本尊は、阿弥陀如来立像で鎌倉時代後期の作。他に、元は楽田寺にあったとされる平安時代中期の十一面観音立像が安置されている》。
一方、浄照寺は《平野長勝の創建と伝えられる。木造阿弥陀如来立像(江戸時代前期)を本尊とする。また、寺宝として親鸞上人画像一幅がある。大谷本廟に安置されていたものを本願寺から下付されたといわれる》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/prefecture-cultural-asset/josyoji.html
《主な建造物には、本堂・庫裏・鐘楼・太鼓楼・表門がある。このうち表門は、伏見桃山城の城門を移築したものと伝えられる。浄照寺の本堂は、慶安4年に建立された、入母屋造本瓦葺の建物である。本堂には、組物、欄間、蟇股等に優れた彫刻技法が残り、県下における大規模な真宗寺院本堂の典型として価値が高い》。
ここからまっすぐ500mほど北に行くと、鏡作神社(かがみつくりじんじゃ=鏡作坐天照御魂神社)がある。古代工人鏡作集団がいたとされる鏡作郷に鎮座する。町のHPによると《鏡作坐(います)天照御魂(みたま)神社は、田原本町八尾に鎮座する延喜式内大社で、「和名抄」鏡作郷に鎮座する。祭神は天照国日子火明(あまてるくにてるひこほあかり)命、石凝姥(いしごりどめ)命、天児屋根命で、古来から鏡鋳造の神として信仰された》。
鏡作神社。トップ写真とも
《このうち石凝姥命は、天照大神の御魂の神爾の鏡として内待所に祀る鏡を鋳造したとされる神で、社伝ではその試鋳の鏡が鏡作神社のご神体であると伝える》。《この神社では、毎年2月下旬に御田植祭が行われる。お田植舞、豊年舞、牛使いが行われ、近隣の氏子でにぎわう。牛使いが乱暴にすると慈雨に恵まれるという》。
《なお、社宝として三神二獣鏡が伝えられるが、これは三角縁神獣鏡の外区が欠落したものと考えられる。末社には、鏡作伊多神社(宮古・保津)、鏡作坐若宮神社(八尾)、鏡作麻気神社(小阪)などがある》。
この神社は、坂東真砂子の小説『蛇鏡 』(文春文庫)の舞台である。この小説は《婚約者の広樹と共に帰郷した玲は、かつて姉の綾が結婚を目前にして首を吊った蔵で、珍しい蛇の浮き彫りのある鏡を見つける。その日を境に、玲の心の中で何かが変わっていく。そして、様々な人間の思惑が絡み合う中、「みぃさんの祭り」がやってくる…。奈良を舞台に人の心の移ろいを描きだす傑作伝奇長篇小説》というもので、私も早くに読んだが、とてもコワいお話だ。
この神社から国道24号線に出て、1kmほど北上すると、国内屈指の弥生時代集落跡および墓域である「唐古・鍵遺跡」がある。町のHPによると《唐古・鍵遺跡は、弥生時代の大環濠集落である。現在の水田下約50cmに2千年前の生活に関する様々な遺物が眠っている。1936~37年に行われた唐古池の発掘調査は弥生時代研究の基礎をつくった。昭和50年代から調査は再開され、現在調査は100次以上に及んでいる》。
※参考:にっしゃん&nakaさんのブログ「奈良に住んでみました」
http://small-life.com/archives/10/03/1820.php
《発掘調査では、集落を囲む環濠や竪穴住居、井戸、青銅器の工房跡、木棺墓などが検出されている。また、多量の土器や石器のほか、楼閣などの絵画土器、岡山県東部や静岡県西部からの搬入土器、青銅器の鋳造に伴う鋳型など弥生時代でも貴重な遺物が多い。特に絵画土器は、唐古・鍵遺跡とその分村である清水風遺跡の2遺跡で、全国の絵画土器出土総数の約半分を占める。遺跡には、楼閣の絵画土器をもとに復元した楼閣を唐古池上に復元している。出土遺物は、唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている》。
周辺を歩いてみたが、復原された楼閣と背後に池があるだけで、あとは草っ原だった。で、「唐古・鍵考古学ミュージアム」(田原本町阪手233-1 田原本青垣生涯学習センター2階)を訪ねてみた。ここは遺跡の近くではなく、1.5kmほど南下したところにある。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/
唐古・鍵考古学ミュージアム(入館料200円)は3つの部屋に分かれている。同ミュージアムのHPによると《第1室・第2室では、唐古・鍵遺跡の出土品を中心に展示します。展示室は唐古・鍵ムラの環濠をイメージしてレイアウトされ、第1室には環濠外部の世界が、第2室には環濠内の世界が展開します》《第3室 田原本の約1万年にわたる歴史を、考古資料を通じて概観します。特に古墳時代の埴輪には優品が多く、重要文化財に指定された「牛形埴輪」は目を引きます》。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/tenji.html
田原本町のゆるキャラ「楼閣くん」
これは一見の価値がある。歴史の勉強には、うってつけである。写真撮影可なのは有り難い(ただし、ネットに載せることはできない)。ちょうど今は「秦楽寺遺跡」出土品などの特別展示もやっていた(特別展は廊下でやっているので、無料で見ることができる)。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/event.html
駅前のお寿司屋さん。残念ながら、営業はしていない
奈良検定に出そうな史跡をひと巡りし、正午近くなって、近鉄田原本駅に帰り着いた。駅前で「地元の食堂に入ろう」と探したが、見当たらない。喫茶店も定休日だ。唯一、西田原本駅前(近鉄田原本線)にお好み焼き屋があったが、「この猛暑にお好み焼きは…」と二の足を踏んだ。ビールを飲む時間でもない。で結局、田原本駅前で「お弁当のもと屋」という真新しい持ち帰り弁当の店を見つけた。キュートな女性が、てきぱきと切り盛りしている。地元タクシーの運転手さんたちがこぞって買っていたから、きっと美味しいのだろう。
のり弁当260円、唐揚げ弁当360円、ハンバーグ弁当は390円だったが、「もと屋看板商品」という幕の内弁当460円を買い求め、電車の時間待ちの間にいただいた。ご飯は炊きたて、天ぷらは揚げたて、だし巻き卵やカボチャまでついていて、これは美味しい、これで460円は安い! 弁当とセットにすると、缶入りのお茶が60円、ペット茶が80円というのも有り難い。
というわけで、駆け足で田原本町をひと巡りしてきた。昨日は京田辺市で39.9℃を記録するというとても暑い日だった。予定通り回れるか不安だったが、一緒に清掃活動に参加した同僚のM尾さんが、心配して車で駆けつけ、ご親切にも「鏡作神社-唐古・鍵遺跡-唐古・鍵考古学ミュージアム」間を車で搬送して下さった。おかげで熱中症で倒れることもなく、無事、田原本駅にたどり着くことができた。
M尾さん、有り難うございました。M尾さんのお膝元の「薬王寺・八幡神社の樟の巨樹」まで足を伸ばせなくて、失礼しました。田原本町は、弥生時代の遺跡(紀元前4~3世紀)から江戸時代の町並みまで、日本の歩みが凝縮された「歴史のワンダーランド」でした!
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/prefecture-cultural-asset/yakuoji.html
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-21139.htm
まず、田原本町について。Wikipedia「田原本町」によると《奈良盆地のほぼ中央、東に初瀬川、西に飛鳥川が流れる平坦地に位置する。古代の大和国城下郡鏡作郷・室原郷・黒田郷・賀美郷、十市郡飯富郷の地で、鏡作神社(八尾)・多神社など著名な延喜式内社が鎮座する。また弥生時代の代表的遺跡である唐古・鍵遺跡(国の史跡)を有する。賤ヶ岳七本槍のひとり平野長泰が田原本に領地を拝領(のちの田原本藩)》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E7%94%BA
名著『奈良県の歴史散歩(上)』(山川出版社)によると《江戸中期には、初瀬川や寺川の舟運(しゅううん)を利用した大坂や堺との流通も盛んになり、商業の町として「大和の大坂」と称されるほどに発展し、田原本の経済発展に大きく寄与した》とある。「大和の大坂」とは、スゴい。確かに今も、町内には立派な町家が立ち並ぶ。
近鉄田原本駅の東側すぐのところに、津島神社がある。拝殿と社務所は、08年に建て替えらればかりだ。町のHPによると《津島神社は、田原本町旧町域の南側に鎮座する。神仏分離以前は祇園社といった。現在も夏に盛大な祇園祭が催されることもあり、地元では「祇園さん」の愛称で親しまれている》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/old-shrine/shrine_tsushima.html
《現在、祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)、櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)などとなっているが、本来は牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする田原本村の産土神だったと考えられる》。
08年に立て替えられた津島神社拝殿
《この神社は、明治中期に書写された天治二年(1125)の棟札に建立の文字があったとされることから、創建年代の早いことがうかがえる。神社の南西側の発掘調査で、神社を囲む中世末の大溝が検出されている。江戸時代には、領主平野家の尊崇をあつめ、毎年米1石5斗の寄進を受けた。明治2年には、平野家の本貫地尾張国津島にあった津島社も祭神を牛頭天王とすることから、社名を津島神社と改めることとなった》。
津島神社の北側に、本誓寺(ほんせいじ)と浄照寺(じょうしょうじ)が並んで建っている。もともとここには教行寺(きょうぎょうじ)というお寺が建っていた。その境内を2分する形で、2つのお寺が建てられたのだ。
町のHPによると、本誓寺は《浄土宗の寺。開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。江戸時代の田原本領主であった平野氏の菩提寺。田原本二代領主平野長勝は、正保四年(1647)に浄土真宗教行寺を箸尾に転座させ、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺を建立した》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/old-shrine/temple_hosei.html
《本堂は度々の火災を受け、現在は昭和58年に再建された鉄筋コンクリート建物である。本尊は、阿弥陀如来立像で鎌倉時代後期の作。他に、元は楽田寺にあったとされる平安時代中期の十一面観音立像が安置されている》。
一方、浄照寺は《平野長勝の創建と伝えられる。木造阿弥陀如来立像(江戸時代前期)を本尊とする。また、寺宝として親鸞上人画像一幅がある。大谷本廟に安置されていたものを本願寺から下付されたといわれる》。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/prefecture-cultural-asset/josyoji.html
《主な建造物には、本堂・庫裏・鐘楼・太鼓楼・表門がある。このうち表門は、伏見桃山城の城門を移築したものと伝えられる。浄照寺の本堂は、慶安4年に建立された、入母屋造本瓦葺の建物である。本堂には、組物、欄間、蟇股等に優れた彫刻技法が残り、県下における大規模な真宗寺院本堂の典型として価値が高い》。
ここからまっすぐ500mほど北に行くと、鏡作神社(かがみつくりじんじゃ=鏡作坐天照御魂神社)がある。古代工人鏡作集団がいたとされる鏡作郷に鎮座する。町のHPによると《鏡作坐(います)天照御魂(みたま)神社は、田原本町八尾に鎮座する延喜式内大社で、「和名抄」鏡作郷に鎮座する。祭神は天照国日子火明(あまてるくにてるひこほあかり)命、石凝姥(いしごりどめ)命、天児屋根命で、古来から鏡鋳造の神として信仰された》。
鏡作神社。トップ写真とも
《このうち石凝姥命は、天照大神の御魂の神爾の鏡として内待所に祀る鏡を鋳造したとされる神で、社伝ではその試鋳の鏡が鏡作神社のご神体であると伝える》。《この神社では、毎年2月下旬に御田植祭が行われる。お田植舞、豊年舞、牛使いが行われ、近隣の氏子でにぎわう。牛使いが乱暴にすると慈雨に恵まれるという》。
《なお、社宝として三神二獣鏡が伝えられるが、これは三角縁神獣鏡の外区が欠落したものと考えられる。末社には、鏡作伊多神社(宮古・保津)、鏡作坐若宮神社(八尾)、鏡作麻気神社(小阪)などがある》。
この神社は、坂東真砂子の小説『蛇鏡 』(文春文庫)の舞台である。この小説は《婚約者の広樹と共に帰郷した玲は、かつて姉の綾が結婚を目前にして首を吊った蔵で、珍しい蛇の浮き彫りのある鏡を見つける。その日を境に、玲の心の中で何かが変わっていく。そして、様々な人間の思惑が絡み合う中、「みぃさんの祭り」がやってくる…。奈良を舞台に人の心の移ろいを描きだす傑作伝奇長篇小説》というもので、私も早くに読んだが、とてもコワいお話だ。
蛇鏡 (文春文庫)坂東 真砂子文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
この神社から国道24号線に出て、1kmほど北上すると、国内屈指の弥生時代集落跡および墓域である「唐古・鍵遺跡」がある。町のHPによると《唐古・鍵遺跡は、弥生時代の大環濠集落である。現在の水田下約50cmに2千年前の生活に関する様々な遺物が眠っている。1936~37年に行われた唐古池の発掘調査は弥生時代研究の基礎をつくった。昭和50年代から調査は再開され、現在調査は100次以上に及んでいる》。
※参考:にっしゃん&nakaさんのブログ「奈良に住んでみました」
http://small-life.com/archives/10/03/1820.php
《発掘調査では、集落を囲む環濠や竪穴住居、井戸、青銅器の工房跡、木棺墓などが検出されている。また、多量の土器や石器のほか、楼閣などの絵画土器、岡山県東部や静岡県西部からの搬入土器、青銅器の鋳造に伴う鋳型など弥生時代でも貴重な遺物が多い。特に絵画土器は、唐古・鍵遺跡とその分村である清水風遺跡の2遺跡で、全国の絵画土器出土総数の約半分を占める。遺跡には、楼閣の絵画土器をもとに復元した楼閣を唐古池上に復元している。出土遺物は、唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている》。
唐古・鍵遺跡の考古学石野 博信,金関 恕,高倉 洋彰,藤田 三郎,岡村 道雄,菅谷 文則,森 浩一學生社このアイテムの詳細を見る |
周辺を歩いてみたが、復原された楼閣と背後に池があるだけで、あとは草っ原だった。で、「唐古・鍵考古学ミュージアム」(田原本町阪手233-1 田原本青垣生涯学習センター2階)を訪ねてみた。ここは遺跡の近くではなく、1.5kmほど南下したところにある。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/
唐古・鍵考古学ミュージアム(入館料200円)は3つの部屋に分かれている。同ミュージアムのHPによると《第1室・第2室では、唐古・鍵遺跡の出土品を中心に展示します。展示室は唐古・鍵ムラの環濠をイメージしてレイアウトされ、第1室には環濠外部の世界が、第2室には環濠内の世界が展開します》《第3室 田原本の約1万年にわたる歴史を、考古資料を通じて概観します。特に古墳時代の埴輪には優品が多く、重要文化財に指定された「牛形埴輪」は目を引きます》。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/tenji.html
田原本町のゆるキャラ「楼閣くん」
これは一見の価値がある。歴史の勉強には、うってつけである。写真撮影可なのは有り難い(ただし、ネットに載せることはできない)。ちょうど今は「秦楽寺遺跡」出土品などの特別展示もやっていた(特別展は廊下でやっているので、無料で見ることができる)。
http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/event.html
駅前のお寿司屋さん。残念ながら、営業はしていない
奈良検定に出そうな史跡をひと巡りし、正午近くなって、近鉄田原本駅に帰り着いた。駅前で「地元の食堂に入ろう」と探したが、見当たらない。喫茶店も定休日だ。唯一、西田原本駅前(近鉄田原本線)にお好み焼き屋があったが、「この猛暑にお好み焼きは…」と二の足を踏んだ。ビールを飲む時間でもない。で結局、田原本駅前で「お弁当のもと屋」という真新しい持ち帰り弁当の店を見つけた。キュートな女性が、てきぱきと切り盛りしている。地元タクシーの運転手さんたちがこぞって買っていたから、きっと美味しいのだろう。
のり弁当260円、唐揚げ弁当360円、ハンバーグ弁当は390円だったが、「もと屋看板商品」という幕の内弁当460円を買い求め、電車の時間待ちの間にいただいた。ご飯は炊きたて、天ぷらは揚げたて、だし巻き卵やカボチャまでついていて、これは美味しい、これで460円は安い! 弁当とセットにすると、缶入りのお茶が60円、ペット茶が80円というのも有り難い。
というわけで、駆け足で田原本町をひと巡りしてきた。昨日は京田辺市で39.9℃を記録するというとても暑い日だった。予定通り回れるか不安だったが、一緒に清掃活動に参加した同僚のM尾さんが、心配して車で駆けつけ、ご親切にも「鏡作神社-唐古・鍵遺跡-唐古・鍵考古学ミュージアム」間を車で搬送して下さった。おかげで熱中症で倒れることもなく、無事、田原本駅にたどり着くことができた。
M尾さん、有り難うございました。M尾さんのお膝元の「薬王寺・八幡神社の樟の巨樹」まで足を伸ばせなくて、失礼しました。田原本町は、弥生時代の遺跡(紀元前4~3世紀)から江戸時代の町並みまで、日本の歩みが凝縮された「歴史のワンダーランド」でした!
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/prefecture-cultural-asset/yakuoji.html