てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

黒の思索 ― 須田国太郎が描いたもの ― (3)

2013年02月05日 | 美術随想

須田国太郎『モヘンテ』(1922年)

 スペイン時代の須田は、何も模写ばかりしていたわけではない。旺盛に各地を旅して回り、いくつもの風景画に取り組んだ。のちに帰国したあとは日本を舞台にした風景をたくさん描くことになるのだが、ベースはこのときに感得されたもののようだ。

 『モヘンテ』は、荒涼とした山岳風景のなかに見え隠れする集落を描いている。といっても、その地名には聞き覚えがなかった。調べてみると、ヴァレンシア地方の一部らしい。ヴァレンシアというと、ぼくにはジャック・イベールが作った組曲『寄港地』が思い浮かぶのだが、ここは海から遠く離れた乾燥地帯のようだ。

 そう、須田の描いたスペインの絵を観てまず頭をよぎるのは、とんでもなく乾燥していそうだ、ということである。ぼくはスペインに行ったことがないので、あくまで想像でしかないが、どこまでも広がる赤茶けた大地といい、炎天下でおこなわれる闘牛といい、考えただけでも体中の水分が干上がっていくような気がする。

 ただし、繰り返すが、須田国太郎は京都の人である。あの湿潤な、川と緑地に彩られた、古くからの木の建築がいくつも残る街だ。そんなところに生まれた人が、灼熱の砂と石とで構成されたような景色を執拗に描いているということが、ぼくにはとても不思議に思われた。

                    ***


須田国太郎『花山天文台遠望』(1931年、蘭島閣美術館蔵)

 普通の人は、花山(かざん)天文台というものをほとんどご存じないのではなかろうか。子供のころはずいぶん天文に凝ったことのあるぼくも、この絵を観るまでは全然知らなかった。山科区にあり、正確には「京都大学大学院理学研究科附属花山天文台」というそうで、要するに須田の母校に属する施設である。

 この天文台は現在でも使用されているが、設立されたのは1929年だった。つまり須田がこの風景を描いたときは、できてから2年しか経っていないホヤホヤだったのである。ぼくは実際にこの場所を見たことはないが、山の上に白く輝くドームが忽然と出現したときには、多くの京都市民を驚かせたのではなかろうか。

 それにしても、スペインの乾いた大地を描いていたときからすでに何年も経過しているのに、やはりあのときの色彩が彼の絵のなかに生きつづけているのには驚かされる。京都の風景がこれほど赤茶け、おまけに墨を含ませたような黒が視野の大半を支配しているように見えるという人は、おそらくひとりもいないだろう。

 しかしよく眼を凝らしてみると、画面の右下にはたしかに日本家屋のような三角屋根の建物がある。彼がスペイン風景のなかに頻繁に描き込んだ、矩形を凝集させたような家々とはちがう。いってみれば、日本の郊外によくある間延びした空間と、隙間だらけのまばらな建造物を、須田は正確に描写している。

 それなのに、この暗澹たる色彩はいったい何だというのだろう。これはおそらく、日本に古来からある風光明媚を愛でる視点とは、まったく異質のものである。山と空との境目に、まるで異物のように挟まっている天文台のくすんだ輝きだけが、茫漠とした風景を辛うじて地上に押しとどめているかのように思えるのだった。

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