もうかなり昔の話になるけれど、20歳前後の数年間にわたって、小説の書き方を学ぶための学校にかよっていたことがある。そこにぼくより少し年上の ― といっても正確な年齢は聞きそびれてしまったが ― ちょっと風変わりな男がいた。彼はいつも頭にバンダナを巻いていて、まるで“遅れてきたフォーク世代”のような奇妙ないでたちをしており、そんな風采の男が文学をやろうとしていること自体が少し不思議な感じがしたものだ。
ところがある日、何かの話のついでに、もっと信じがたい事実が彼の口から語られたのである。彼はちょっとはにかみながら、次のようにいった。それは彼のバンダナ姿からは、およそ想像もつかないことであった。
「実は、おれ、デルヴォーが好きなんだよ」
デルヴォーとは、ベルギーの画家ポール・デルヴォーのことだろう。ぼくはそのことに気がつかないではなかったが、わざわざデルヴォーが好きだと告白した彼に向かって、何と言葉を返していいものかどうか迷った。かくいうぼくもデルヴォーの絵は決して嫌いではなかったが、この画家について他人と意見を交わすことなど、考えたこともなかったからである。
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今でこそデルヴォーの名は広く知られ、展覧会でその絵を見かける機会も多くなってきたが、当時はまだ秘められた存在だったかもしれない。長生きだったデルヴォーはそのときまだ存命していたが、1994年に彼が世を去ったとき、新聞にはごく小さい死亡記事が載っただけだった。ぼくはいささか意外に思ったけれど、このくらいが彼にふさわしい見送り方なのかもしれない、という感じもした。
デルヴォーの絵は大勢が寄ってたかって鑑賞するようなものではなく、閉め切った暗い個室の中でこっそりと眺めたときに、よりその真価をあらわすものではないかとぼくは思う。その絵には、観る者の秘めたる部分にこそ、雄弁にうったえかけてくる何かがあるのだ。そしてその何かは、とうてい白昼のもとへ引きずり出すことのできない、反社会的なものを孕んでいる。わかりやすくいえば、それをエロスといいかえてもいいが、デルヴォーの絵はただエロティックなだけではない。
彼の絵には、謎めいたモチーフが繰り返しあらわれる。何といっても印象的なのが、あられもない姿をしながら表情ひとつ変えない、ロウ人形のような裸婦たちである。そして、古代都市を思わせる整然とした風景。リーデンブロック博士と呼ばれる、眼鏡をかけた謎の男。これらはすべて、『ノクターン』(上図)の中に登場している。さらには、骸骨。そして、ひと気のない汽車・・・。すべてはデルヴォーの謎を解くキーワードだ。彼の絵は、これらの無限のバリエーションからなりたっているといっても間違いではあるまい。
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『ノクターン』を観て、もうひとつ別の秘められたる絵 ― しかしそれはあまりにも有名になってしまった ― を思い出した人も多いだろう。ベルギーを少し離れてしまうが、フォンテーヌブロー派の知られざる画家によって描かれた『ガブリエル・デストレとその妹』(下図)がそれである。浴槽の中のふたりの女が、片方は相手の乳首をつまみ、もう片方は指輪をつまんで、なおかつ無表情にこちらを凝視しているという、まことに謎めいた絵だ。
この絵については、こんにちに至るまでさまざまな解釈がなされているが、どうもはっきりしたことはわからないようである。一説によれば、乳首をつまんでいるのは女が妊娠しているということを示しているらしいが、かの『モナ・リザ』妊婦説と同様、そう簡単に決着がつくとも思われない。
いや、ぼくはむしろ、この絵の魅力の大部分はその“わからなさ”にこそあるといいたい。たとえ、ここに描かれたガブリエル・デストレが妊娠していたところで、まるで陶器のように輝く女たちの肌の妖しさと、その間に小さく描き込まれた編み物をする女とのギャップはあまりにも大きく、この一枚の絵の中に封じ込められた世界の複雑さ、多層性に思いを致さざるを得ないだろう。そしてそこに、何らかの隠された意味を探し求めてしまうことだろう。要するに、純粋に裸婦の姿を鑑賞するだけではすまないということだ。
デルヴォーの魅力も、やはりそこにある。彼は執拗に裸婦を描いたし、そのためにデルヴォーの絵を人知れず好む人も少なからずいると思うが、それで終わりではない。いやむしろ、純粋な裸婦像として眺めるにしては、彼の描く女は客観的な魅力に乏しい気がするのだ。いわゆる匂い立つような色香を、彼女たちはもっていない。よそよそしく、無口で、指を触れるとたちまち凍りつきそうなほどである。
彼女たちの不思議な美しさは、古代ギリシャふうの堅固な建物や、漆黒の夜空や、いわくありげな男たちの前に置かれたときに、はじめて花開く。一糸まとわぬ姿ではあっても、いやそれであるがゆえに、大いなる謎をまといつかせたこの世ならぬ存在のように見えてくるのである。デルヴォーは自分の絵の登場人物たちを、どこにどうやって立たせるべきかを知っていた。彼は、深層心理を立体的に表現する名演出家でもあったのだ。
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ところで、いったいいつまでベルギーで道草しているつもりか、という声が聞こえてきそうな気がする。だがぼくとしては、決してワッフルやビールだけではない、さまざまな謎と魅力にみちたベルギー絵画の世界に ― しばしば脱線しつつも ― 思う存分遊んでみたかっただけである。ほかにも取り上げたい絵がないわけではないが、このへんでひとまず区切りをつけよう。ルーベンスの絵の前で天に召されたネロ少年のようになってしまうのは、ぼくの本意ではないからだ。
(文中に明記のない作品はすべてベルギー王立美術館蔵)
DATA:
「ベルギー王立美術館展」
2007年4月7日~6月24日
国立国際美術館
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姫路城の横にあって小さいですがいい美術館です。リンクはデルボーとマグリット展を見たときの感想です。