てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

現代にヒーローは存在するか

2012年04月05日 | その他の随想


 特に意識していなくても、テレビをつければコマーシャルは奔流のようにあふれ出し、いやでもぼくたちの眼や耳に、そして頭に入り込んできてしまう。それに釣られて商品を買ってしまうような単純な人間ではないつもりだけれど、最近ちょっと気にかかっていることがある。

 CMは新しい商品を広く周知させ、購買を促進するのが目的であることはいうまでもない。それをより効果的にするために、今をときめくスターたち ― 要するにタレントやアイドル、スポーツ選手など ― がここぞとばかりに駆り出されるのも、当然のことかと思われる。

 ぼくの想像だが、元NHK記者の池上彰氏がかつてテレビに出まくっていたとき、少なからぬCMのオファーがあったのではなかろうかと思う。たとえば、こんなシチュエーションだ。居並ぶ子供たちを前にして、学校の先生よろしく新商品の紹介をしている池上氏に誰かが「これまでの○○とどこがちがうんですか?」と質問を投げかける。すると池上氏が色めき立って「いい質問ですねぇ!」と返し、その商品の“売り”をわかりやすく力説する、というような・・・。

 だが池上氏は、ジャーナリストとしての自分の立場を考慮して、そういった仕事はいっさい引き受けなかったのにちがいない。賢明なことである。

                    ***

 ぼくが気になっているのは、池上氏がCMに出るか出ないか、ということではない。ずいぶん前に生み出された架空のヒーローが、いまだにCMのなかで存在感を発揮しているのはなぜだろう、と思うのだ。

 鉄腕アトムしかり、星飛雄馬しかり、ウルトラマンしかり。さらに驚くべきは、フランスの大物俳優がドラえもんに扮し、カタコトの日本語をしゃべるという、趣旨がまったく不明のものさえある。

 今が旬のタレントを大量に出演させる一方で、テレビの創成期から生きのびているような古いキャラクターたちも顔をのぞかせるCMの世界を、ぼくは一種異様な思いで眺めざるを得ない。たとえば現代の子供たちにとっては、鉄腕アトムの存在は知っていても、漫画やアニメに親しんだことがあるという割合は少ないのではなかろうか。

 それなのに、あえてアトムの姿を借りて宣伝しようとするのは、もっと上の世代を標的にしているからか? ぼく自身、完全にアトム以後の世代なので、そのへんはよくわからないというのが正直なところだ(アトムのリメイク版アニメは何度か放送されたそうだが、一度も見る機会がなかった)。

 だがおそらく、こういうことなのだろう。今の世の中には、CMの中で活躍できるような新しいヒーローがいないのだ。英雄不在の時代を、われわれは地道に生きていかざるを得ないのである。頼りになりそうもない“ゆるキャラ”だけは、掃いて捨てるほどいるけれども。

                    ***

 ところで、新たなヒーローの誕生をわれわれは本気で待ち望んでいるのだろうか。

 信州に暮らす作家の丸山健二は、こんなふうに語っている。

 《真にヒーローと呼べるに値する人物などコミックの世界にしか存在しません。

 それらしく見える者はいるかもしれませんが、それは結局のところ浮き世が生みだした幻影なのです。


 (略)

 時代の狭間から突如として登場してくるヒーローもどきの輩は、その演技力によって目くらましをしているだけのことにすぎません。》(『首輪をはずすとき』駿河台出版社)

 政治家デビューしてからたった4年ばかりの大阪市長が開いた政治塾には、全国から2000人もの人が集まった。これもまた、浮き世が生みだした幻影というべきだろうか。

 丸山はまた、こうも述べている。

 《力の強い者、力がありそうに見える者に一も二もなくすがりつく生き方が集まって、独裁者を作り上げるのです。》(同)

 敵に立ち向かうことをやめたアトムやウルトラマンが呑気に出演しているCMは、戦いのあとの天下泰平の時代を象徴しているのかもしれない。

(了)

(画像は記事と関係ありません)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。