てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

『ペトルーシュカ』試論(1)

2007年07月17日 | その他の随想


 ぼくが10代の半ばのころ、毎日ストラヴィンスキーのバレエ音楽を聴いていた時期があった。まず『春の祭典』にはまり込み、次いで『ペトルーシュカ』(最近は『ペトルーシカ』と表記することも増えている)のとりこになった。当時は友人もほとんどおらず、ひとりで家にこもっていることの多かったぼくにとって、ストラヴィンスキーの大胆できらびやかな管弦楽の響きは、鬱積した情熱のはけ口といってもよかった。多くの若者がロックやへヴィーメタルに夢中になるように、ぼくはストラヴィンスキーに夢中になったのだ。

 美術のブログでいきなり音楽の話をはじめたので、ここで念のために説明しておくと、ストラヴィンスキーというのは20世紀前半を代表するロシア生まれの作曲家である。20代の終わりから30代のはじめにかけて、『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』という3つのバレエ音楽(いわゆる3大バレエ)をたてつづけに発表し、センセーションを巻き起こすと同時に、はやばやと音楽史上に金字塔を打ち立てた。

 彼は88歳まで生き、数多くの舞台芸術のための音楽や、純粋器楽の作品なども精力的に書いたが、3大バレエ以外の作品が演奏されることは現在非常にまれである。1歳ちがいの画家ピカソのごとく、めまぐるしく作風を変転させたといわれるが、その全貌はほとんど紹介されていないのが実情だ。いわばストラヴィンスキーは、青年時代に築き上げた名声の輝きのまま、人々の記憶に刻み込まれている作曲家なのである。まがりなりにも青春(?)の真っ只中で行き場を見失っていたぼくが、飢えた獣のように彼の音楽に吸い寄せられたとしても、決して不思議なことではなかっただろう。

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 だが、よく知られた3大バレエの中でも『ペトルーシュカ』が演奏される機会は少ないし、バレエとして上演される機会はもっと少ない。もともとピアノコンチェルトとして構想されたこの曲には、卓越したピアノ奏者が必要であるということが、その理由のひとつかもしれない。と同時に、複雑な変拍子を弾きこなすことが大変困難であるということも、この曲を取り上げにくくしている要因だろう。変拍子というのは、ひどいときには1小節ごとに拍子が入れかわり、つまずいたりよろめいたりしながら進むような音楽のことである。

 それと同時に、オスティナートと呼ばれる単純なリズムや音型の執拗な繰り返しも、この曲にはよく出てくる。シンプルな伴奏の上に、5連符や7連符といった数学的に割り切れないメロディーがのっかったりするのである(譜例下)。その結果、リズムは錯綜し、ますます複雑を極めることになる。



 しかしリズムの複雑さにかけては、『春の祭典』のほうがより徹底しているといってもいいだろう。だが、『春の祭典』はしょっちゅう演奏会のプログラムに登場するし、ぼく自身も過去2回ほど生演奏で聴いたことがある。腕に覚えのあるオーケストラなら、アマチュアであっても一度は演奏したことがあるにちがいない。それに比べると、『ペトルーシュカ』の演奏頻度は意外なほど少ないのだ。これにはもっと根本的な原因がありそうである。

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 なぜにわかに『ペトルーシュカ』のことを書く気になったかというと、京都で開かれていた「舞台芸術の世界」という展覧会を観たからだ。バレエ・リュス、いわゆるロシアバレエ団にまつわる展示だということで、ストラヴィンスキーのバレエに強い思い入れのあるぼくとしては、ぜひとも観ておきたかったのである(彼の3大バレエは、すべてこのバレエ団のために書かれている)。

 展覧会は舞台衣装や装置のデザインが中心で、かつて着用された実際の衣装もいくつか展示されていた。ところが会場の出口近くで、思いがけず『ペトルーシュカ』全曲の上演フィルムが放映されているのに出くわしたのだ(といってもバレエ・リュスによる公演ではもちろんなく、パリ・オペラ座のバレエ団によって再演されたときのものである)。美術館という性質上、ボリュームがかなり絞られていたので、弱音になるとほとんど聴き取れないほどだったが、ぼくは頭の中で音を補いながら懸命に耳を傾け、踊り手たちの敏捷な、ときにはユーモラスな動きを夢中で追っていた。

 若いころにこの曲を聴きあさっていたころは、あくまでスリリングな管弦楽の響きを楽しんでいたのであって、いうなれば上っ面をなぞっていただけである。バレエの実演に接したことはもちろんなく、テレビで見かけたことさえなく、せいぜい物語のあらすじを知っているという程度だった。ぼくははじめて、青春時代をともに過ごした音楽に客観的な形が与えられ、動きとともに展開されるのを目撃したのだ。

 この体験は、ひとつの衝撃だといってもよかった。ぼくは『ペトルーシュカ』という奇妙なバレエについて、もう一度深く考えてみる必要を感じたのである。

(画像はアレクサンドル・ブノワによる『ペトルーシュカ』の舞台装置)

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2 コメント

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Unknown (遊行七恵)
2007-09-02 16:16:48
こんにちは
やっと感想を書けましたが、たいへんナンギしました。
私は主にニジンスキー関係について色々思うところがあったのですが、音楽についてはテツ様のこの記事がある以上、つまらないことは書きたくないと思いました。それで私の記事からこちらへリンクを貼らせてもらいました。
わたしは『イーゴリ公』の『ダッタン人の踊り』はエレクトーンでなら辛うじて演奏できますが、それも深い理解があるかといえば「ない」ので、ただただ聴くばかりです。
『ペトルーシュカ』上映を見れて良かったです・・・
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こんにちは (テツ)
2007-09-03 14:47:42
トラックバックありがとうございました。早速読ませていただきました。

ぼくがストラヴィンスキーからのアプローチに終始したのに対して、遊行さんの記事は衣装デザインなどのビジュアル面や、とりわけニジンスキーへの愛にあふれていますね。バレエはもともと総合芸術ですから、いろんなアプローチの方法が可能なのでしょう。

ぼく自身は、ニジンスキーに関する知識はほとんどありませんでしたし、最初に名前を聞いたときから彼はすでに伝説的な存在でした。動く映像がひとつも残っていないということが、それに拍車をかけているのでしょうか。遊行さんの記事から、ぼくの知らないことをいろいろと教えていただきました。

それにしても、綺羅星のごとき才能を結集させて一時代を築き上げたディアギレフは、やはりすごいと思います。現代には○○プロデューサーという人はたくさんいますが、こんな人は見当たりませんね。
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