てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

花鳥の調べ ― 上村松篁の世界 ― (5)

2014年07月21日 | 美術随想

『樹下遊禽』(1966年、日本芸術院蔵)

 タイのバンコクで、松篁は一羽の鳥に魅了された。近年は絶滅の危機に晒されているという、シマハッカンである。動物園にはいるのかもしれないが、ぼくは実物にお眼にかかったことはない。

 帰国後、松篁はその鳥を手に入れ、写生を繰り返したという。おそらくは、奈良にある唳禽(れいきん)荘で飼っていたものであろうか。この地には今でもたくさんの鳥が飼育されているらしく、花鳥風月などにうつつを抜かすことのできない現代という厳しい環境のなかで、絵の題材がいわば純粋培養されている、奇跡のような空間だといえる。ここがなかったら松篁も、そして息子の淳之も、どこまで鳥というテーマを追求することができたかわかったものではない。

 だが、モチーフを身近に置いて写生したわりに、この絵ではシマハッカンの静謐なたたずまいが際立っている。実際の鳥の生態は知るべくもないが、さまざまな動きを観察したあげく、まるで時間が止まったようなポーズに行き着くまでに、どのような過程を経たものであろうか。ひょっとしたら、経験を積んだ野球のバッターが「ボールが止まって見える」というように、この姿のなかに多様な動きが凝縮されているのかもしれない。少なくとも、ぼくがシマハッカンを見ても、このようには見えないはずだ。

 ぼくは何となく、松篁らの大先輩というべき伊藤若冲のことを思い浮かべる。彼はまるで大見得を切って静止しているようなニワトリを描く一方で、水墨画では鳥たちの素早い動きを軽快に写し取った。松篁は、そんな若冲の二面性のいわば“楷書”の面を受け継ぎ、現代にまで伝承している貴重な存在ではないのか。

 ただ、鳥ばかりではない。背景に描かれた桃は、実際にバンコクで見かけたものではなく、画家の想像で描かれたものだというが、その柔らかな質感が、南国の鳥たちの鮮烈な色彩を程よく馴染ませ、落ち着いたものにさせている。

                    ***


『燦雨』(1972年、松伯美術館蔵)

 それとは逆に、松篁絵画の激しい側面を代表するのが、『燦雨』であろう。

 これには実は、インスピレーションの元となった作品がある。石崎光瑤(こうよう)が同じ表題で描いた『燦雨』がそれだ。松篁は若いころ、この絵を観て「いつか自分もこんな絵を描きたい」という願いを心に秘めつつ、インド旅行で実際に南国に触れ、半世紀以上を経てようやく実現にこぎ着けたものだという。


参考画像:石崎光瑤『燦雨』(左隻、1919年、南砺市立福光美術館蔵)

 両者を比べてみると、明らかによく似ている。画面の右上にとまっている華やかなインド孔雀。一面に咲き乱れる火炎樹。そして、右上から左下へと降りしきる、まるで光線のような雨。

 ただ、細部にこだわった光瑤とちがい、松篁の描写は柔らかく丸みを帯び、赤や青といった原色も、眼にやさしいのだ。写実と装飾とのちょうど中間に位置する均整のとれた画風を、彼は目指したのかもしれない。

 なお、光瑤が京都市立絵画専門学校(今の京都市立芸術大学)の教授に就任した1936年、松篁も同校の助教授になっている。若き日に観た『燦雨』の作者の身近に勤めながら、自分もいつかあんな絵をものしてやると、熱い思いに油を注いでいたのであろうか。

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