てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

西から観た横山大観(2)

2012年09月29日 | 美術随想

横山大観『無我』(1897年、足立美術館蔵)

 横山大観は、明治元年に生まれた。だから、彼の前半生は年齢の計算がしやすい。この『無我』は明治30年の作というから数えの30歳、満年齢では29歳のときに描かれたことがわかる。彼の出世作といってもいいだろう。

 けれども『無我』は、ぼくにはちょっと難しいところのある作品だ。まずタイトルが、従来の日本画とはちがう。いわゆる花鳥風月とか、歴史上の人物ではない。どこの誰かもわからない子供が突っ立っているのを描いておいて『無我』とは、謎をかけられているような感じもする。

 作家の近藤啓太郎はかつて東京美術学校で日本画を学んだことがあり、大観の後輩にもあたる人物だが、ズバリ次のように書いている。

 《「無我」は、猫柳のある川辺を背景に、おちょぼ髪の村童が広袖のゆったりとした着物をしどけなく着、ぼんやりと立っている、というただそれだけの絵である。題名から見て、大観は文学的なものを狙ったに違いないが、そこには「無我」というほどのものものしさは別にない。どこの村でも見られる幼児、あどけない幼児が描かれているだけのことであって、そこに却って今までにない新しさがあった。》(『大観伝』)

 文学的・・・果たしてそうだろうか。近藤がいうところの「文学的」の意味は、必ずしもストーリーの一部を表現しているというわけではなく、要するに観た目の華美さにおもねらない画風ということかもしれない。この『無我』も最初に眼にしたときには、近代の日本画ではなく、渋い禅画のような印象を受けた。

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参考画像:横山大観『無我』(1897年、東京国立博物館蔵)

 実は『無我』という絵は3枚あって、それぞれが別の美術館に所蔵されている。いずれも同じ年に描かれているそうだが、比べてみると雰囲気はかなり異なっている。

 『無我』はかつて切手の図柄となったが、そのときは東京国立博物館にあるバージョンが用いられた。もっとも広く知られているのは、やはりこちらかもしれない。先の近藤啓太郎の文章には、「水の色が新鮮で美しく、既にカラリスト大観としての片鱗が見られた。」という記述もあることから、東博本について書かれたことは明らかである。

 その一方で、足立美術館のものはほとんど単彩で、地味だ。近藤のいうように、「あどけない幼児」ではない。子供の無邪気さというよりも、ある種のふてぶてしさのようなものが感じられる。

 少年漫画で子供を描くときには、顔の中心よりも下に眼を描くと子供っぽくなる、という話を聞いたことがあるが、東博の『無我』は、たしかに顔の下半分に造作が集まっている。けれども足立美術館の『無我』は、眼と眉毛のあいだが狭くなり、全体に大人びた風貌である。

 だがそこにこそ、「カラリスト」に偏らない、若き大観の挑戦があるようにも思える。あるいは、見た目の「可愛さ」が鑑賞者の眼を欺くことも、彼は知っていたのではあるまいか。

 虚飾をとっぱらった、むき出しのままの人物像がなすこともなく立ち尽くす『無我』は、人間のもつ辛さや悲しさといったものを無意識にあらわしているように、ぼくには思えるのである。

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