てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

西から観た横山大観(3)

2012年10月01日 | 美術随想

横山大観『那智乃瀧』(1915年、足立美術館蔵)

 若いころの大観は、今とちがって毀誉褒貶相半ばする画家であった。いや、非難されるほうが多かったかもしれない。ひとえに、輪郭を排した画風が「朦朧体」と揶揄されたことが理由であると、物の本には書いてある。従来の日本の絵画が、浮世絵や水墨画にみられるように「線」を重んじていたのに比べ、曖昧模糊とした絵の具の広がりに、絵を観る人たちは戸惑ったのだという。

 だが、正統的な日本絵画は線ばかりで成り立っていたかというと、そうでもないのではないかと思う。たとえば琳派によくある「たらしこみ」は、絵の具のにじみによる偶然の効果を愛でるようなところがあって、すべてが計算ずくで描かれているわけではない。

 いやむしろ、日本美術はもともとそういった“遊び”の要素をふんだんに取り入れたものだったのではないか。画家の手がすべてを制御し得るなど、はなはだしい思い上がりだと認識されていたふしがないでもないのである。

 けれども、近代になって洋画が輸入され、人々が絵を観る目線も変化してきたのか、朦朧体は厳しい批判を受けた。フランスの印象派が、当初は批評家たちからさんざんにけなされたことが思い起こされる。結局のところ印象派は、よく知られているとおり、のちには日本をはじめ世界中で歓迎される絵画にまでのぼりつめたが、朦朧体はついにそこまでの評価は得られなかったように思う。

 『那智乃瀧』は、すでに朦朧体を脱していたころの大観の作品だが、その名残ともいうべき表現が支配的である。それはもちろん、水煙の描写に用いられていて、肝心の滝そのものは茫洋たる霧のなかから鮮やかに浮かび上がるように描かれている。

 つかみどころのないモヤモヤした空間に、一瞬の閃光のように亀裂を入れる滝の姿は、じゅうぶんに衝撃的だ。柔と剛とのハーモニーというよりも、この絵からは耳をつんざくような不協和音が聞こえてくるような気がする。たとえば弦楽合奏の親和的な響きのなかに、鋭いトランペットの絶叫が轟きわたるといったような・・・。

                    ***


参考画像:『那智瀧図』(13-14世紀、根津美術館蔵)

 大観の滝の絵がすぐ連想させるのは、作者不明の国宝『那智瀧図』である。

 この絵は関西にも来たことがあったはずだが、ぼくは残念ながら観ていない。したがって写真でしか知らないが、その凄みは何となく伝わってくるようである。

 かつてフランス文化相を務めたアンドレ・マルローは、来日した折に根津美術館を見学してこの絵に魅せられ、すぐに実際の熊野まで赴いたそうだ。当時は今と比べると、新幹線でも余計に時間がかかっただろうことを考えると、マルローのフットワークの軽さは驚異である(ぼくなどは関西にいるのに、一度も行ったことがない)。

 だが、それは『那智瀧図』に克明に描かれている木々や岩山、社殿の一部などが、臨場感をもって迫ってきたからではあるまいか。だからマルローも、現地の風景を自身で体験したくなったのだ。

 一方で横山大観の描いた滝は、主役以外はすっかりぼかされてしまい、これがあの那智の滝であるということを納得させるのは、真っ直ぐ流れ落ちる瀑布の姿以外にない。それでも、ほかでもない那智の滝そのものに見えるのは、彼が自然の風景のなかに潜む特徴を瞬時につかみ、それを巧みに表現する技術に長けていたからではないか。

 このテクニックは将来、多くの富士山の絵を描く際に、存分に発揮されることとなったにちがいない。

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