てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

月末の台風

2012年09月30日 | その他の随想


 朝晩の温度差に驚き、外出するときには何を着て行っていいものか悩んでいるうちに9月が過ぎてしまった。今年は彼岸に故郷へ帰り、先祖の墓参りを済ませ、93歳になる祖母の顔も見てきたのですっきりとした気分ではあったが、一方で仕事は忙しく、体調はなかなか整わなかった。

 そんな9月の幕切れの一日は、台風が日本列島を縦断して過ぎていった。出かける予定をキャンセルし、自宅でおとなしくしていると、テレビの中継で映る豪雨や暴風の様子が嘘みたいに、家の周辺は静かだった。雨粒が窓を叩く音はするが、風のうなりは聞こえない。

 だが、こんな日にテレビを見ながら警報のテロップに向かって「鬱陶しいなあ」などとぼやいていることができるのは、幸せなほうである。なかには避難を余儀なくされた人もいるし、実際に怪我をした人もいるし、交通手段がなくなって途方に暮れている人もいるし、農作物が心配でおちおち休んでいられない人もいよう。

 台風や水害の際に、畑の様子を見に行った人が用水路に落ちて亡くなったというようなニュースをよく聞くが、われわれはつい「こんなときにわざわざ行かなければいいのに」と思ってしまう。農家の人が自分の田んぼや畑を何よりも気にかけるのは当然のことだけれど、都会の勤め人には理解できないことであろう。休みの日に台風が襲ってきたからといって、自分が奉職する会社の様子をたしかめに出かけるような人はほとんどいないからだ。

                    ***

 この日の台風を特に残念がったのは、各地で予定されていたお月見のイベントを楽しみにしていた人々かもしれない。今年は天体ショーの当たり年ということもあって、改めて満月をじっくり眺めてみようという人もいたことだろう。

 月といえば、ぼくも田舎に住んでいたころ、よく外に出て観測をした。裸眼ではなく天体望遠鏡を使って月面を眺めると、本当にでこぼこしていて見あきない。望遠鏡がなければ、双眼鏡でもじゅうぶん楽しめた。やはり月は人類にとっていちばん身近な天体だ、という気がした。

 けれども、その身近さが高じたのか、ぼくのかつての職場の同僚が、こんなことをいったことがある。その人は女性だったが、このたび結婚した、という報告をぼくにしたあと、次のように付け加えた。

 「私たち、結婚の記念に、土地を買ったんです。月面の土地を」

 ぼくには最初、彼女が何をいっているのかわからなかった。だがよく聞いてみると、どうやら月の表面の一区画を売ったり買ったりすることができるらしい。しかも、地球上の土地に比べたら考えられないぐらい安い値段で・・・。

 その夫婦が購入した土地にどれぐらいの広さがあって、坪(?)あたりいくらだったのか、そこまでは知らない。だがたとえ廉価であっても、将来には地球のどこかに家を建てるかもしれないことを考えて蓄えておくのが、まあ堅実なやり方だろう。行けもしないよその星に土地を買って、何にもならないことは眼に見えているが、まあ夢のある話だ、ということかもしれない。

 だがその話を聞いて以来、ぼくは満月を見上げるたびに、網目のような境界線が月面に引かれているのが見えるような気がして仕方なかった。

(了)

(画像は記事と関係ありません)

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