てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

イタリアの太陽が沈んだ日 ― パヴァロッティの死を悼む ―

2007年09月08日 | その他の随想


 エンリコ・カルーソー、マリオ・デル=モナコなど、すでに伝説となった名テノール歌手は多くいるだろう。だが、ルチアーノ・パヴァロッティがそこに名前を連ねるのは、いくら何でもまだ早すぎはしないだろうか。

 パヴァロッティといえば、プラシド・ドミンゴやホセ・カレーラスと組んだ3大テノールの活動が有名かもしれない。しかし歌手のピークはいつまでもつづくわけではないので、ポスト3大テノールは誰なのかという話がかなり前からいわれてきた。事実、優れた若手テノール歌手が続々と頭角をあらわすたびごとに、この人こそが有力な後継者にちがいないという詮議立てがされてきたが、新メンバーが固まらないうちに元祖3大テノールの一角が崩れてしまった。

 ことほどさように、テノールのスター歌手として第一線で活躍しつづけるのはまことに厳しいことなのである。パヴァロッティこそは、そんな数少ないスーパースターのひとりであった。イタリアの陽光そのもののような彼の輝かしい歌声をもう二度と聴くことができないのかと思うと、何ともいえずさびしい気がする。

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 とはいっても、ぼくは彼の熱狂的なファンだったわけではない。特に3大テノールとしての公演は、テレビなどでも放送されたことだろうし、CDも出ているが、ぼくは一度も聴いたことがない。あれは演奏会というよりも、むしろショーであり、見せ物であると思う。とりわけパヴァロッティのイメージは、このことをきっかけにしてオペラ劇場という狭い舞台から解き放たれ、広範な知名度と人気を獲得したと同時に、一種キワモノ扱いされることにもなったのではなかろうか。圧倒的な声量をマイクで増幅し、ハンカチを片手に汗だくになりながらハイトーンをやたらに連発する、いわゆる“テノール馬鹿”の代表格のように一部の人々の眼には映ったかもしれない。

 だが、スター歌手がこのようなショービジネスと結びつくのはある程度やむを得ないところがある。世紀のテノールともなれば、なおさらのことだ。彼が肉声で歌わなくなったのは、そのような求めに応じるにしたがって、ひとりの歌手のキャパシティーを超えたあまりに広すぎる会場で歌わざるを得なくなったからであろう。

 そうなるより以前のパヴァロッティの姿を、少しではあるがぼくは知っているつもりだ。かつて、大阪の某歌劇団のスタッフのご夫人と知り合いだったことがあり、彼女を中心としたオペラを鑑賞するサークルに属していたことがあった。生の舞台をいくつか見せていただいたほかに、レーザーディスク(今はもう過去の遺物になってしまった)に収録された海外のオペラ公演を皆で観たりしていた。そのときパヴァロッティが主役を演じたイタリアオペラを何本か観る機会を得たのである。いかにも彼にふさわしい、スケールの大きな『アイーダ』はその中のひとつだった(ラダメス将軍役)。

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 だがもっともぼくの記憶に深く残っているのは、ドニゼッティの『愛の妙薬』というオペラだ。そこでパヴァロッティが演じていたのは、あの晴れがましいスター歌手の面影とはほど遠い、純朴で内気な田舎の青年ネモリーノである。もちろん青年というわりには堂々たるヒゲ面で、体格もかなり大柄だったけれど・・・。

 ところが、このオペラの代表的なアリア「人知れぬ涙」を彼が歌いはじめると、不思議なほど素直に心に染み入ってきたのだった。この歌は決して美声を張り上げればいいというものではなく、真実の愛を前にして戸惑う青年の心の揺らめきを、しかも単純なメロディーラインにのせて歌わなければならない難曲である(とぼくは思う)。パヴァロッティの歌声は、ネモリーノの心の振幅をそのまま声に移し変えたのではないかといいたくなるぐらい表情が豊かで、聴いているうちに ― 歌詞は理解できなくても ― つい感情移入してしまっている自分に気づいてしまうほどだった。

 アリアというものは基本的にモノローグで、いわば“歌うひとりごと”である。ネモリーノは自分の心に問いかけ、密やかな愛がそこに生まれかけているのに気がつく。やがて思いは高ぶってゆき、それとともに歌声も熱を帯びてくる・・・そういった感情の揺れ動きを、パヴァロッティはまことに繊細に表現しているように感じられた。

 そこにはもちろん、数々の実演で鍛え上げたテクニックがあるのであろう。しかしそれが技巧に走ることなく、若者の微妙な心の変化をみるみるうちにあらわにしてみせるのにぼくは驚かされたのである。好きなオペラアリアの筆頭に「人知れぬ涙」を挙げるようになったのは、そのときからのことだ。

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 パヴァロッティといえば、やはりイタリア民謡を忘れるわけにはいかない。「オ・ソレ・ミオ」や「フニクリ・フニクラ」などは、別にCDを持っているわけではないのに、どこで聴いたかパヴァロッティの歌声がまず思い浮かぶ。まるで彼の持ち歌のようである。

 日本民謡を歌うには日本人がいちばん適しているように、パヴァロッティの歌うイタリアの大衆歌は、彼らの陽気な民族性をもっともよく伝えてくれるであろう。彼は世界的な大スターであると同時に、ローカルな歌心をこよなく愛した人でもあった。

 「O sole mio~私の太陽」は、人々がパヴァロッティに捧げた称号であるかのようだ。彼は死んでしまったけれども、多くの人の心の中で輝きつづけるにちがいない。

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2 コメント

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Unknown (はろるど)
2007-09-10 01:44:06
テツさんこんばんは。TBありがとうございました。
また一人、偉大な方が亡くなられてしまいましたね。
訃報に接して、一時代が区切られたのかなという印象も受けました。

愛の妙薬ははまり役でしたか。
好きなオペラなのですが、パバロッティでは楽しんだことがありません。
是非聞いてみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。
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こんばんは (テツ)
2007-09-10 02:56:08
パヴァロッティの生地モデナでおこなわれた葬儀には10万人もの弔問客が訪れたそうで、人気のほどがうかがえますね。
あれほど力強い歌声を聞かせてくれた人が、あっけなく亡くなってしまうなんて想像もしませんでした。彼がいなくなったあとの空白は、しばらく誰も埋められないのではないかという気がします。

パヴァロッティが歌う「人知れぬ涙」がお好きという方は、けっこう多いみたいですね。彼をしのぶにはふさわしい曲ではないかと思います。

TBありがとうございました。
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