
白髪一雄『天雄星豹子頭』(国立国際美術館蔵)
4月8日、桜もたけなわを過ぎるころ、ふたりの巨星が逝った。
白髪一雄は日本を代表する前衛画家のひとりで、足で絵を描く人だった。地面に敷いたキャンバスの上に顔料をぶちまけ、天井から垂らしたロープにつかまって、足で絵の具をこねくりまわすのである。一種のアクションペインティングといえるが、白髪のようなやり方で描く人は他にひとりもいなかった。
彼の絵は何度も観たことがあるし、数年前に開かれた回顧展にも出かけたが、その作品の迫力にはとにかく圧倒される。足で絵を描くなんてばかげている、と思う人もあるだろうとは思うけれど、一度その制作風景を見てしまうと、そうもいっていられなくなる。ぼくは実際に見たわけではないが、テレビを通じてそのすさまじい現場を垣間見たことがあった。
***
創作は、いってみれば夫婦の共同作業である。奥さんの富士子さんはたしか、以前は「具体美術協会」でともに制作をしていた仲間で、ぼくもかつてその作品を観る機会があったが、今では夫の助手に徹していたはずだ。
ふたりは創作にとりかかる前に、一緒に念仏をあげていたように記憶している。作品がうまく成就することを祈願するのであろう。なお白髪には、天台宗の僧侶という一面もある。
念仏が終わると、いよいよだ。白髪一雄と奥さんは、ふたりして山伏にも似た白装束を身にまとっていたように覚えているが、気のせいだろうか。もちろん絵の具がかなり飛び散るので、服が汚れるのを防ぐためもあるのだろうが、どうもそれだけとは思われない。まっさらな気持ちで、新しい絵に取り組もうという気概のあらわれのようでもある。
バケツからぼとりぼとりと、絵の具がキャンバスにぶつけられると、やおらその上に仁王立ちになった白髪は、ロープにぶら下がってうんうん唸りながら激しく動きはじめた。まるで不器用なターザンよろしく、体をなかば浮かせながら、両足を使って絵の具のかたまりと格闘するのだ。真っ白だったキャンバスにはみるみるうちに色がほとばしり、ぶ厚い絵の具の層が築かれ、白髪の足の指の跡が刻印されていく。
途中で何度かキャンバスから下り、新しい顔料を追加する。このとき画家に絵の具の入ったバケツを手渡すのが、奥さんの仕事である。夫の足は絵の具まみれになっているので、容易に動くことができないからだ。
こうして白髪一雄の作品は、全身全霊を傾けて、一気呵成に描き上げられる。まるで荒行みたいだというのが、正直なぼくの印象だ。描かれた後は数日間かけて乾かすのだという。
***
白髪一雄の自宅兼アトリエは、尼崎にある。世界的な前衛芸術家は、意外と近くに住んでいたのだ。
いずれまた改めて、白髪一雄の画業を取り上げる機会があればと思うが、何しろついさっき訃報を知ったばかりなので、今はとりいそぎ思い出話を書いて、画家を偲ぶこととした。
(8日午前7時35分、敗血症のため死去。83歳)
***

小川国夫
作家の小川国夫は、敬虔なクリスチャンでもあった。中央文壇からは距離を置き、有名になってからも生まれ故郷の静岡県藤枝市を離れなかった。
実は、ぼくは彼の文学のよき読者とはいえない。出世作となった『アポロンの島』という短編集はもうかなり前に読んだことがあったが、あまりピンとこなかった。彼の小説は明解なストーリーがあるわけではなく、散文詩ともいいたいような透明感をもっているように思う。粘着質のドロドロした文体を愛好していた当時のぼくには、少し物足りなかったのだろう。
しかし、彼の作品を読もうという意欲だけはあった。そのころはまだ文庫化された作品がほとんどなく、大枚はたいてぶ厚いハードカバーの本を何冊か買ったし、その中には本人の直筆のサインが書かれているものもあったが、結局読まないままに古本屋に売ってしまった。今となっては、惜しいことをしたと思う。
***
でも、ぼくは小川国夫本人を見たことがある。かつて籍を置いていた大阪の文学塾のようなところで、彼の講演会があったのだ。おそらく静岡から駆けつけてくれた小川氏は、もうかなり年を取っておられたが、彫りの深い日本人離れした顔をしていた。
そのときの講演の内容は、残念ながらまったく覚えていない。しかし印象に残っているのは、彼の訥々とした話しぶりである。
今では小説家ともなるとマスコミに登場することが多く、コメンテーターとしてよどみない口調でベラベラしゃべる作家がいたり、(最近芥川賞を受けた人みたいに)ラジオのパーソナリティーをやり遂げてしまう人もいたりするが、そういうのを見るとぼくは違和感を覚える。口では伝えきれないことを書くために作家になったのではないのか、と思うのだ。言葉でしゃべってしまうより前に、文章に紡いで世間に伝えることが彼らの仕事のはずではないか?
小川国夫は、これで講演が成立するのかと思うぐらいゆっくりと慎重に、言葉を選びながらしゃべった。講演には聴衆の笑いを誘うようなエピソードを挟んだりするのが普通だが、彼はそのようなこともなく、終始くそ真面目に、まるで宗教の語り部のように話しつづけた。
***
その後のことだと思うが、今度はNHKの教育テレビで、小川氏が聖書の舞台となった場所を訪れ、その地で聖書について語る、という番組が放送された。たしか12回ぐらいに及ぶ長いシリーズだったはずだ。
小川氏はすでに70歳近かったのではないかと思うし、聖書に出てくる土地は決して温暖な過ごしやすい地域ではなく、草木も生えない砂漠だったりすることも何となく知っていたので、ぼくは正直にいうと小川氏の体が心配でならなかった。だが実際に例の訥々とした口調で、聖書の意味をかみしめながら語りつづける小川氏の姿を毎週見ていると、信仰の気高さというのが身にしみて感じられるような気もするのだった。
ぼくはクリスチャンではないし、聖書ももちろん読んではいないが、いま一度彼の文学に帰って、あのときの気高さにふたたび触れてみたくなった。小川国夫の突然の訃報は、ぼくの心の奥深くに眠っていた彼の面影を鮮明に思い出させてくれたのである。
(8日午後1時57分、肺炎のため死去。80歳)
目次を見る