てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ルネサンスから現代へ(31)

2013年07月30日 | 美術随想
スペインの光のもとで その5


アントニオ・ロペス『トーレス・ブランカスからのマドリード』(1974-1982年)

 『トーレス・ブランカスからのマドリード』は、『グラン・ビア』と並行して描かれた風景画である。ただ、こちらのほうが仕上がるまでに一年長くかかっている。

 前作が地面に立った人間の視点で描かれたマドリードだったのに比べて、同じ街を高層建築の上から俯瞰したアングルでとらえた絵である。時間帯は夕暮れ近く、ビルの狭間にはすでに薄闇がただよい出すころだろうか。この絵でも通行人や自動車の姿は大胆に省略されていて、普段のマドリードとは異質の静寂が支配している。

 だが、『グラン・ビア』ではどことなくゴーストタウンのような寂しさを感じさせた無人の都市風景も、こちらは空の明るみのためか、それとも高みから見下ろしているせいか、さほど違和感を覚えない。思えば誰しも、高いところにのぼって下界を見下ろしたことがあるはずである。都市空間を埋め尽くす無数の窓と、そのひとつひとつには数えきれないほどの人々の営みが秘められているのだという認識は、現代人にとって親しいものにちがいない。

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 けれどもロペスにとって、そんな感慨は何の意味ももたなかったことだろう。彼はこの作品について、マドリードの基本的なものを描いた、と述懐している。いったい何が基本的なものなのか、現地を知らぬぼくにはわかりようがないが、おそらくはベラスケス、ゴヤ以降多くの芸術家たちを惹きつけてきたこの国の光であり、影であり、温度であり、乾いた空気なのではなかろうか。

 それを都会の風景のなかに表現しようとしたのは、逆説的に聞こえるかもしれないが、ロペスが現代人だったからだとしかいえない。ただ、8年間もの画家の営為に辛抱強く付き合ってくれたマドリードは、本当に素晴らしいところだと思う。

 この街に一種の威厳のようなものを付与しているのは、その“変わらなさ”である。日本の都市など、たった数か月のあいだ眼を離した隙に新しい建物が建ち、看板が増え、色彩が塗り替えられ、めまぐるしく変貌してしまうではないか。

 ただ、ロペスがこの作品を仕上げたときからでも、すでに30年余りの歳月が経過している。今のマドリードがどんな姿をしているか、それはわからない。しかし、画家を魅了してやまなかった美しい夕焼けは、今でも変わらずこの都市の空を彩ることがあるだろうと思いたい。

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