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てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

顔、それぞれ ― 京博の肖像画をめぐって(8)

2006年09月13日 | 美術随想
 京博で観た肖像画についてだらだらと書き綴ってきたが、最後に脇道にそれるのを許していただかなければならない。まずそれは木彫であるので、肖像“画”のくくりには当てはまらない。ましてや半分は仏像であるので、“肖像”の範疇にもおさまらないだろう。仏像は確かに人の形をしてはいるけれども、それを肖像と呼ぶのは適切ではないにちがいない。理由は至極簡単で、誰も本物の仏を見たことはない(はず)だからだ。しかし“顔”というキーワードで考えたときに、これほど興味をそそられる作例は他にないかもしれない。

 それは『宝誌(ほうし)和尚立像』という平安時代の木像で、西往寺という寺から京博に寄託されているものだ(この寺のことは、寡聞にしてまったく聞いたことがなかった)。ぼくはさっき“半分は仏像”といったけれども、それはほとんど仏となるまで修行を積んだ人の像、という意味ではない。宝誌和尚の顔が、ちょうど鼻梁のてっぺんから裂けるように真っ二つに割れて、あろうことか、その裂け目から十一面観音の顔がのぞいているのである。もちろん十一面あるすべての顔があらわれているわけではないが、額の上のほうに小さく、もう一つの顔がわずかにのぞいているようである。

 この像を初めて観たときの衝撃は、あまりに大きかった。背筋を寒いものが走るような気さえしたものである。それは今まで想像したこともない、実に異様な顔だった。ぼく以外にも多くの人が、あっけにとられたように口をあんぐり開けて、彫像のおさめられたガラスケースの前に立ちつくしていたのを思い出す。

   *

 なぜこのような奇妙な像が作られたかというと、それは宝誌和尚にまつわる伝説に由来する。つまり彼は十一面観音の化身なのであって、ある絵師が宝誌の肖像を描こうとしたところ、宝誌の顔の中から観音の顔があらわれたため、描くことができなかったということらしい。

 しかしこの話を聞くと、ぼくはちょっと待てよと思う。絵師はそのとき、確かに宝誌の顔を描くことができなかったかもしれないが、その顔の様子は後世の誰かによって、現にこのように彫像に作られているからである。絵師もこれと同じように、宝誌の顔がまるで熟した果物のように半分に割れて、その下からもうひとつの顔が出現するありさまを、そのまま描きとめればよかったのではないか?

 もちろんこれは伝説であるから、ぼくのいっているのは屁理屈というものだろう。しかしこのあたりに、肖像と仏像の境界線がさりげなく横たわっているような気がするのだ。ぼくは先ほど、仏像は人の形をしているが肖像ではない、と書いた。それを証拠立てるのに最もふさわしいのが、この『宝誌和尚立像』であるかもしれない。

 ここまで書いてきてふと思い当たったことだが、ぼくはどうやらこの彫像を、仏像として鑑賞していたようなのである。名前が『宝誌和尚立像』である以上、それは人間の像であるはずだが、ぼくはてんから仏像だと思い込んで疑わなかった。いや、決してぼくひとりではなく、ガラスケースの前で一緒に口をあんぐり開けていた人たちの中にも、これを仏像だと受け止めていた人が少なからずいたにちがいない。

 このことにはもちろん、それなりの理由がある。この彫像の、左手に水瓶(すいびょう)らしきものを下げたポーズは、明らかに観音像を連想させるからだ。つまりこの像は宝誌和尚の像であると同時に、彼の内側にひそんでいて今まさに姿をあらわそうとしている「十一面観音立像」でもあったのである。

   *

 ずいぶん理屈っぽいことを書いてしまったけれども、実際のところ、この像の中の肖像と仏像の境目はどこか、と考えてみると、わけがわからなくなってくる。それはあたかも、世界一有名な肖像画であるところの『モナリザ』の正体について、あれこれ考えをめぐらすようなものであろう。これにはさまざまな説があるようだが、ぼくのシロウト考えからすると、『モナリザ』はおそらく誰にも似ていないのではあるまいか。

 たとえ真のモデルの存在が明らかになったところで、『モナリザ』が彼女と瓜ふたつであることなど誰も望んでいないにちがいない。『モナリザ』という絵はそれだけで500年もの間存在しつづけ、いわば一種の神性を獲得してしまった。今やそのイメージは世界中に拡散していて、それをもう一度ひとりの人間に収斂することなど、とうてい不可能なことだといわなければならないだろう。

 『宝誌和尚立像』の作者も、ひょっとしたら似たようなことを考えていたかもしれない。宝誌の生きた中国南北朝時代から、この像が作られたとされる平安後期まではおよそ500年が経過していて、その長い歳月の間に宝誌の上に降り積もった神性ならぬ仏性(ぶっしょう)が、彼の姿を観音像に似せて彫らせたのではなかろうか。宝誌和尚と十一面観音とを切り離して考えることは、もはやできないのである。そして21世紀の京博において、まるで仏像を拝するような気持ちで宝誌の像を眺めていたぼくにとっても、そのことはやはり、できないのである。


DATA:
 「美のかけはし ― 名品が語る京博の歴史 ―」
 2006年7月15日~8月27日
 京都国立博物館

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (遊行七恵)
2006-09-13 14:49:48
こういう切り口から『美のかけはし』を読めて楽しかったです。

あの和尚を見たとき、円谷プロの特撮をなんとなく思い出していた私と大違いです(恥)

明恵上人については白州さんのそれからではなく、私は澁澤龍彦から入ったので、視線が違って面白いなと思いました。

ああした展覧会が出来るところが京博の底力ですね。

値上がりが痛いけれど、やっぱり行き続けるでしょうね。
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こんばんは (テツ)
2006-09-13 22:22:33
ご愛読ありがとうございました。



京博は、まさに美の宝庫ですね。これまでは特別展のあるときぐらいしか行かなかったのですが、もっと行く機会を増やさねばと思いました。いつ何時、どんな名品に遭遇できるかわかりませんから。

値上がりはしますが、月2回の無料観覧日は継続されるようなので、せいぜい利用したいと思っています。



澁澤龍彦にも、明恵上人についての著作があるのですか。それは知りませんでした。いかにも彼が好きそうな感じはしましたが(笑)。
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はじめまして、お邪魔致します。 (あべまつ)
2006-10-20 16:27:19
青山二郎と白洲正子にすっかり蛸壺状態で、検索していたら、こちらにたどり着き、遊行さんがいらしているので、また驚きです。



東京の下町のおばさんですが、にわか日本美術追っかけしております。

これから東博に渡岸寺の十一面観音さんがお出ましになる日を待っております。



キーワードに反応する随筆が満載のようで、しっかりこれから拝読させて頂きます。
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はじめまして (テツ)
2006-10-21 11:58:45
はるばるご来訪いただきありがとうございます。



白洲正子のことは、ほんのちょっとかじりかけていますが、青山二郎のことはほとんど知りません。まだまだ未熟者です。



渡岸寺の十一面観音も、実物を拝見したことはまだないのです。しかし東京に出張されるとは思いませんでした(笑)。お戻りになったら、ぜひ滋賀のお寺まで会いに行ってみたいものです。



遊行さんは、ときどき拙ブログに熱心なコメントをくださいます。その旺盛な行動力や知識には、いつも敬服しているのですが、あべまつさんもかなりの行動派のようですね。これからもよろしくお願いします。



(ぼくも負けないように頑張らなくちゃ・・・)
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