てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

『叫び』あれこれ

2012年05月04日 | 美術随想

エドヴァルド・ムンク『叫び』(1895年、ムンク美術館蔵)

 美術品が報道で取り上げられるのは、高額で落札されたときと、盗難されたときぐらいのようである。つまり美の本質と何の関係もないところに、人々の注目は集まるのだ。

 有名なムンクの『叫び』は、その両方でニュースとなった。ノルウェーの美術館はよほど警備が手薄なのか、1994年と2004年の2回、『叫び』が盗難に遭っている(ただしそれらは別バージョンの絵で、盗まれた美術館も別である)。どちらも戻ってきたが、かなりの損傷があったなどと報じられ、どの程度修復されたのか、ぼくは観ていないのでわからない。

 そしてつい先日、また別の一枚がニューヨークで競売にかけられ、史上最高額で落札されたというニュースがたちまち日本を駆け巡った。落札者が誰なのか、どこの国の人なのかも公表されていないが、よほど厳重に保管しないことには、泥棒どもの標的にされることは眼に見えているだろう。

 この絵は日本でも広く周知されていて、グッズもたくさん出回っているし、顔真似ができる人もたくさんいる。ムンクの何たるかを知らない人でも、『叫び』のことは知っている。いろいろな意味で、通俗化した名画の頂点に君臨する作品である。

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 ぼくが『叫び』をはじめて知ったのはまだ子供のころで、家にあった百科事典の図版を観たときであった。

 そのときはもちろん作者について何もわからず、この絵がそれほど有名なものだということも知らなかったが、子供心に不気味なものだと思ったことを覚えている。というのも、そのとき観たのはよく知られているカラーの『叫び』ではなく、リトグラフで制作されたモノクロのものだったからだ(マスコミでは『叫び』は4点あるなどと報じられているが、おそらくこの版画バージョンを除いた件数で、実際にはもっとあると思う)。

 『叫び』というと、うねりながら空を覆う血のような赤色が鮮烈な印象を残すが、リトグラフにはもちろんその色は再現されていない。ただ、カラー版では明確でない“黒目”がはっきり描かれていて、その眼球が少し斜視のようだったので、ぼくには強烈な記憶として刻まれているのである(上図)。

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エドヴァルド・ムンク『叫び』(1893年、オスロ国立美術館蔵)

 カラーの『叫び』にも、お眼にかかったことがある。1993年、今はなき大阪の出光美術館でのことだ。一か月足らずの会期中に二度も足を運ぶほど、ぼくはムンクに熱中した。

 そのとき展示された『叫び』は、今回売りに出されたものとは別の絵だが、画集などでもっともよく取り上げられているのはこれだ(なおこの展覧会の翌年、この絵は盗まれた)。油彩画だと書かれた資料もあるが、当時の図録によるとテンペラとパステルで、しかも厚紙に描かれているそうである。非常に傷みやすい状態だと思う。

 ムンクの他の絵を観ても、彼が絵の表面を引っかいたりして、あえて傷をつけるような技法を用いていたのではないかと思われるふしがある。しかもムンクは作品を売りさばこうとはせず、いつも自作に囲まれて生活していたといわれているので、絵がかなりダメージを受けていることはまちがいない。

 今回売られた『叫び』は観たことがないが、出光で展示された『叫び』は、満身創痍だという印象を受けた。丸く開けられた男の口を横切るように、深い傷がある。まるで刃物で切りつけられたように見える。男の右側には、白い液体のようなものがかけられた痕跡が残っている。

 さらに驚くべきは、天にかかった赤い雲の狭間に鉛筆で落書きがあることだ。どうやら「狂人だけが描き得る」などと書かれているらしいが、展覧会でこの絵を観た人が書き付けたという話もある(なぜ修復されなかったのかはわからない)。


『叫び』に書かれた落書き

 このように、かつては激しい拒絶反応を示されたこの絵が今では広く知られるようになり、おまけに高値で競り落とされることになろうとは、ムンクが知ったら腰を抜かすことだろう。

(了)


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