東京に着くまで その1
〔上野公園から見た完成間近の東京スカイツリー〕
手元不如意ながら、無理算段して東京への旅を敢行したのは、1月も末のことである。ひとえに、ゴヤの絵が観たかったからだった。
是非とも高速バスに乗って低料金で収めようと主張するぼくと、絶対に新幹線は譲れないという妻とのあいだでカンカンガクガクの協議の結果、新幹線を使うかわりに宿泊費をなくして安く上げることになった。東京旅行では初の日帰りである。日程を調整したあげく、実行することになったのは28日の土曜日。ゴヤ展が終了する1日前の、滑り込みでの観覧となった。
けれども、別に夫婦揃ってゴヤ好きというわけではない。展覧会の目玉ともなっている『着衣のマハ』は、実に40年ぶりの来日というから、まるで40年ごとに地球にめぐってくる彗星を見逃すまいとするような気分だ。
この絵が次に日本にお目見得するときには、こちらはもう生きてはいまい。運よく生きていても、人ごみで揉みくちゃにされながら展覧会を観るほどの体力は残っていないにちがいない。試みにぼくの今の年齢に40をプラスすると、ゴヤが没した82歳という年齢とあまりちがわないのである(これには、自分でもぞっとしたが)。
***
ところで、40年前のゴヤ展はどんなものだったか。会場は今回と同じ上野の国立西洋美術館のほかに、京都市美術館にも巡回した。
前にも書いたが、この関西一の老舗美術館はかつて『モナリザ』や『ミロのヴィーナス』も展示されたという、歴史的な場所である。けれども今回は一か所のみでの開催ということで、どうしても東京へ行かなくてはならなかったのだ(もちろんプラドへ行けばいつでも観られるのだが、今の経済状態では残念ながら限りなく不可能に近い)。
しかも40年前には、今回は不出品の『裸のマハ』や、鮮烈な『我が子を食らうサトゥルヌス』なども一緒に来日したというから、単純に比較すれば今回より観ごたえのある展覧会がおこなわれたといってもいいかもしれない。
調べてみると、今回のゴヤ展はのべ34万人以上もの観客を集めたということだが、前回は東京の会場だけで57万4千人が入場したという記録がある。この数字を超えることができるのは、現在ではフェルメールだけではなかろうか。
***
作家の安岡章太郎は、40年前の西洋美術館でゴヤ展を観たときの印象をこう書き残している。
《とにかくゴヤ、とくに『裸のマハ』、『着衣のマハ』などは、ほとんど国外に持ち出されたことのない秘宝であり、それがアジアの東の果ての島国のわがくにに送られて一般に展示されたわけだから、単なる美術品の貸し出しという以上の熱気や意気ごみのようなものが会場に漂ったのは、当然だといえば言える。ただ、それにしても『裸のマハ』のそばに三角帽子をかぶったスペイン兵が護衛に立っていたのには、やはり驚いた。》「ゴヤと応挙 その一」(世界文化社刊『でこぼこの名月』所収)
これを読んで、さすがにぼくも少し怖じ気づいてしまった。だが、40年前というとあのフランコ政権のころだから、こんな物騒なことにもなったのだろう(ゴヤには戦争の悲惨さを描いたり、市民が銃殺されたりする絵もあるのだが、そういった作品が並んでいるところに本物の兵隊がいたら、これはもう冗談では済まない)。
今は世紀も改まり、もっと平和的な環境でゴヤの絵が鑑賞できるはずだ。そう信じて、東京へ旅立つことにしたのである。
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〔上野公園から見た完成間近の東京スカイツリー〕
手元不如意ながら、無理算段して東京への旅を敢行したのは、1月も末のことである。ひとえに、ゴヤの絵が観たかったからだった。
是非とも高速バスに乗って低料金で収めようと主張するぼくと、絶対に新幹線は譲れないという妻とのあいだでカンカンガクガクの協議の結果、新幹線を使うかわりに宿泊費をなくして安く上げることになった。東京旅行では初の日帰りである。日程を調整したあげく、実行することになったのは28日の土曜日。ゴヤ展が終了する1日前の、滑り込みでの観覧となった。
けれども、別に夫婦揃ってゴヤ好きというわけではない。展覧会の目玉ともなっている『着衣のマハ』は、実に40年ぶりの来日というから、まるで40年ごとに地球にめぐってくる彗星を見逃すまいとするような気分だ。
この絵が次に日本にお目見得するときには、こちらはもう生きてはいまい。運よく生きていても、人ごみで揉みくちゃにされながら展覧会を観るほどの体力は残っていないにちがいない。試みにぼくの今の年齢に40をプラスすると、ゴヤが没した82歳という年齢とあまりちがわないのである(これには、自分でもぞっとしたが)。
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ところで、40年前のゴヤ展はどんなものだったか。会場は今回と同じ上野の国立西洋美術館のほかに、京都市美術館にも巡回した。
前にも書いたが、この関西一の老舗美術館はかつて『モナリザ』や『ミロのヴィーナス』も展示されたという、歴史的な場所である。けれども今回は一か所のみでの開催ということで、どうしても東京へ行かなくてはならなかったのだ(もちろんプラドへ行けばいつでも観られるのだが、今の経済状態では残念ながら限りなく不可能に近い)。
しかも40年前には、今回は不出品の『裸のマハ』や、鮮烈な『我が子を食らうサトゥルヌス』なども一緒に来日したというから、単純に比較すれば今回より観ごたえのある展覧会がおこなわれたといってもいいかもしれない。
調べてみると、今回のゴヤ展はのべ34万人以上もの観客を集めたということだが、前回は東京の会場だけで57万4千人が入場したという記録がある。この数字を超えることができるのは、現在ではフェルメールだけではなかろうか。
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作家の安岡章太郎は、40年前の西洋美術館でゴヤ展を観たときの印象をこう書き残している。
《とにかくゴヤ、とくに『裸のマハ』、『着衣のマハ』などは、ほとんど国外に持ち出されたことのない秘宝であり、それがアジアの東の果ての島国のわがくにに送られて一般に展示されたわけだから、単なる美術品の貸し出しという以上の熱気や意気ごみのようなものが会場に漂ったのは、当然だといえば言える。ただ、それにしても『裸のマハ』のそばに三角帽子をかぶったスペイン兵が護衛に立っていたのには、やはり驚いた。》「ゴヤと応挙 その一」(世界文化社刊『でこぼこの名月』所収)
これを読んで、さすがにぼくも少し怖じ気づいてしまった。だが、40年前というとあのフランコ政権のころだから、こんな物騒なことにもなったのだろう(ゴヤには戦争の悲惨さを描いたり、市民が銃殺されたりする絵もあるのだが、そういった作品が並んでいるところに本物の兵隊がいたら、これはもう冗談では済まない)。
今は世紀も改まり、もっと平和的な環境でゴヤの絵が鑑賞できるはずだ。そう信じて、東京へ旅立つことにしたのである。
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