伊藤若冲『果蔬涅槃図』
(部分)
『動植綵絵』が若冲のオモテの代表作だとしたら、ウラの代表作はこの『果蔬涅槃図』ではなかろうか。
鮮烈な色彩を駆使し、鳥や動物たちが密集して描かれた息づまるような絵もいいが、どこか飄々として肩の力の抜けたような水墨画にも、独特の魅力がある。いったいどっちの若冲が本当の若冲なのか、という疑問はぼくの頭をときどきよぎるが、両方をバランスよく描きわけることで、うまく吊り合いがとれていたのかもしれない。
若冲は何も、ニワトリばっかり描いていたわけではないのだ。絵師としての間口は、おそらく世間が想像しているよりも、ずっと広かった。彼は現代でいうところのアマチュア画家だという位置付けがされることもあるが、ぼくはかなりプロ意識の高い画家だったのではないかと思う。
***
描かれているのは、釈迦が入滅する場面、つまり死ぬところである。仏教絵画のなかでもきわめて重要な画題で、各地の寺には荘厳な涅槃図がたくさん伝わっており、文化財の指定を受けているものも多い。法隆寺の五重塔内にある塑像のように、立体であらわされたものもある。
ただ若冲は、見てのとおり、登場人物を野菜や果物たちに置き換えて描いた。擬人化ならぬ、“擬菜化”とでもいおうか。猿などの動物が人間の服装をして、俗世間を風刺してみせるような絵は、かなり以前から西洋でも描かれているが、野菜に扮した絵というのはちょっと聞いたことがない。
伊藤若冲はなぜ、こんな風変わりな絵を描いたのだろうか。若冲というと、自邸の庭に生きたニワトリを放ち、日がな一日それを眺め暮らしていたというような、写生の画家というイメージが流布している。でも、ただ野菜を眺めていただけでは、こういう絵にはならなかったはずだ。若冲は、柔軟な想像力の持ち主でもあったにちがいない。
***
籠をひっくり返した上に横たわっているのは、釈迦になぞらえられた大根である。それもごていねいに、二股の大根だ。たしかにその形状は人体によく似ているが、最近では大根もアスファルトのなかから生えてきたりして、かなりのど根性ぶりが注目されてきているので、死の床の釈迦をあらわすにしては少々元気すぎるかもしれない。
ぼくがもっとも感心するのは、大根の足もと(?)にいる蕪である。さかさまになって、長い葉を地面にくたりと寝かせているさまは、まさに人が嘆き悲しんでいる姿さながらではないか。これぞ“擬菜化”の究極の表現であろう。
ほかにも実にさまざまな野菜や果物が描かれていて、ぼくたちにもおなじみのカボチャやシイタケやナガイモがあるかと思えば、ライチやランブータンやチョロギといった、かなり珍しい種類もある。亡くなった釈迦のまわりには、弟子たちをはじめとしてありとあらゆる動物たちが集まり、その死を悲しんだということだが、ここにも当時の江戸で手に入り得るありったけの野菜が集まっているといっても過言ではない。
そしてそれらが、実に多彩な筆致で明確に描き分けられていることに、ぼくは素直に感動を覚えてしまう。ここで若冲が用いたのは、極彩色の顔料などではなく、墨だけだ。墨に五彩あり、とはよく聞く言葉だが、ただ色だけではなく、無限ともいえる筆づかいを駆使して野菜の質感を巧みにとらえてみせる手腕は、至芸と呼びたくもなってくるのである。
***
伊藤若冲がこれほどさまざまな野菜を知り尽くしていたのは、やはり彼が京都の青物問屋の息子だったからだろう。しかし商売っ気がほとんどなく、画業に専念するためにはやばやと家督を譲ってしまったということだが、この絵をみるかぎり、野菜や果物に何の関心ももてなかったわけではなさそうだ。むしろ彼は嬉々として、かつての自分の商売道具を描いているようにも思われる。
また彼は、非常に信心深い人物でもあった。伏見の石峰寺の境内には、若冲が下絵を描いたといわれる石仏群があることは以前の記事でも触れたことがあるが、そこにも釈迦入滅の場面はちゃんと用意されている。
野菜と仏教は、浮世離れした奇想の絵師のプライベートな部分を大きく占めていたはずだ。それらを大胆に取り合わせて描いたこの一幅の軸は、ある意味で彼の自画像だったのではないか、という気もしきりにするのである。
(全体図、京都国立博物館蔵)
五十点美術館 No.6を読む
(部分)
『動植綵絵』が若冲のオモテの代表作だとしたら、ウラの代表作はこの『果蔬涅槃図』ではなかろうか。
鮮烈な色彩を駆使し、鳥や動物たちが密集して描かれた息づまるような絵もいいが、どこか飄々として肩の力の抜けたような水墨画にも、独特の魅力がある。いったいどっちの若冲が本当の若冲なのか、という疑問はぼくの頭をときどきよぎるが、両方をバランスよく描きわけることで、うまく吊り合いがとれていたのかもしれない。
若冲は何も、ニワトリばっかり描いていたわけではないのだ。絵師としての間口は、おそらく世間が想像しているよりも、ずっと広かった。彼は現代でいうところのアマチュア画家だという位置付けがされることもあるが、ぼくはかなりプロ意識の高い画家だったのではないかと思う。
***
描かれているのは、釈迦が入滅する場面、つまり死ぬところである。仏教絵画のなかでもきわめて重要な画題で、各地の寺には荘厳な涅槃図がたくさん伝わっており、文化財の指定を受けているものも多い。法隆寺の五重塔内にある塑像のように、立体であらわされたものもある。
ただ若冲は、見てのとおり、登場人物を野菜や果物たちに置き換えて描いた。擬人化ならぬ、“擬菜化”とでもいおうか。猿などの動物が人間の服装をして、俗世間を風刺してみせるような絵は、かなり以前から西洋でも描かれているが、野菜に扮した絵というのはちょっと聞いたことがない。
伊藤若冲はなぜ、こんな風変わりな絵を描いたのだろうか。若冲というと、自邸の庭に生きたニワトリを放ち、日がな一日それを眺め暮らしていたというような、写生の画家というイメージが流布している。でも、ただ野菜を眺めていただけでは、こういう絵にはならなかったはずだ。若冲は、柔軟な想像力の持ち主でもあったにちがいない。
***
籠をひっくり返した上に横たわっているのは、釈迦になぞらえられた大根である。それもごていねいに、二股の大根だ。たしかにその形状は人体によく似ているが、最近では大根もアスファルトのなかから生えてきたりして、かなりのど根性ぶりが注目されてきているので、死の床の釈迦をあらわすにしては少々元気すぎるかもしれない。
ぼくがもっとも感心するのは、大根の足もと(?)にいる蕪である。さかさまになって、長い葉を地面にくたりと寝かせているさまは、まさに人が嘆き悲しんでいる姿さながらではないか。これぞ“擬菜化”の究極の表現であろう。
ほかにも実にさまざまな野菜や果物が描かれていて、ぼくたちにもおなじみのカボチャやシイタケやナガイモがあるかと思えば、ライチやランブータンやチョロギといった、かなり珍しい種類もある。亡くなった釈迦のまわりには、弟子たちをはじめとしてありとあらゆる動物たちが集まり、その死を悲しんだということだが、ここにも当時の江戸で手に入り得るありったけの野菜が集まっているといっても過言ではない。
そしてそれらが、実に多彩な筆致で明確に描き分けられていることに、ぼくは素直に感動を覚えてしまう。ここで若冲が用いたのは、極彩色の顔料などではなく、墨だけだ。墨に五彩あり、とはよく聞く言葉だが、ただ色だけではなく、無限ともいえる筆づかいを駆使して野菜の質感を巧みにとらえてみせる手腕は、至芸と呼びたくもなってくるのである。
***
伊藤若冲がこれほどさまざまな野菜を知り尽くしていたのは、やはり彼が京都の青物問屋の息子だったからだろう。しかし商売っ気がほとんどなく、画業に専念するためにはやばやと家督を譲ってしまったということだが、この絵をみるかぎり、野菜や果物に何の関心ももてなかったわけではなさそうだ。むしろ彼は嬉々として、かつての自分の商売道具を描いているようにも思われる。
また彼は、非常に信心深い人物でもあった。伏見の石峰寺の境内には、若冲が下絵を描いたといわれる石仏群があることは以前の記事でも触れたことがあるが、そこにも釈迦入滅の場面はちゃんと用意されている。
野菜と仏教は、浮世離れした奇想の絵師のプライベートな部分を大きく占めていたはずだ。それらを大胆に取り合わせて描いたこの一幅の軸は、ある意味で彼の自画像だったのではないか、という気もしきりにするのである。
(全体図、京都国立博物館蔵)
五十点美術館 No.6を読む
わたし、この絵と「伊勢物語」の見立涅槃図とを続けさまに見まして、
「業平はやっぱりイロばかり、こっちはさすがに色もなし」とヘンな感慨にふけっておりました。
蕪の転がり方からその随想、楽しすぎます(笑)。
わたしも若冲には「実は」プロ意識が高かったような気がします。好きな絵も多く描いた一方で、応需が多かったような。
若冲は一生、女気がなかっただけに、色もなしとは。正鵠を射た寸評、おそれいりました。