藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

本日もただ寝るだけ

2015-09-18 12:58:16 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日突然にツバメが姿を消した。 例年ならば、この頃より電線に集団で止まり、渡りの相談を始めるのだがなぜか今年は、二日ほど電線で集会を開いていたが突然に姿を消した。

例年より二週間以上早い渡りの開始である。 急に朝晩の鳥の声が少なくなって、今朝はスズメの鳴き声ばかりである。 私の静養生活も一週間を過ぎたが、元気が出てこない。 ただただ寝て暮らす状態である。 ご近所さんから頂いた野菜の煮物と、入院前に買い置いたイカやはまちのカマの塩焼きで何とか食事の準備をしている。 ただただ体の不調は背中と肩を攻めてくる。 神経細胞が攻撃された後遺症だそうである。 深呼吸もままならず、背筋を伸ばすと「いたい」状態が続いている。

それにしても急な冷え込みである。 不思議に気温が低下して、夜具を冬用にした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこか落着けない

2015-09-13 17:59:44 | 日記・エッセイ・コラム

 退院してきて丸一日過ぎたが、どこか落ち着かない。 なにかしら不安感がある。 点滴の抗生物質と、服薬の抗生物質は同じだが、体の受け止め方が違うようだ。 今朝は食事が出来なかった。 食事を見ると吐き気が起きる。 胃の負担が相当に大きいのであろう。

 今少し入院して居れば良かったのかと思うが、医師の判断は悪くなればまた来ればよいとの判断だったのである。 原生虫が脊髄に入り込んでいなかったのが幸いしたが、今年私の住む近郊で「マダニ」の被害者は入院したもの人だけで両手の指が塞がるそうである。

 その内、二名が亡くなられた。 脾臓に原生中が入り込み、血小板が破壊されて出血が止まらず亡くなられたそうである。 私と前後して入院された方も、病院の懸命の治療に関わらず亡くなられた。 まだ若いご婦人だったようである。 看護士が夜間の見回りに、一時間おきにやって来たことだけは記憶にあるが、余り重大に感じていなかった。

 二日目に脊髄液を抜いて検査されたときに初めて危機感を感じた。 と同時に医師の先生方は検査の結果に安堵されたらしい。 私の為に、四名の医師のチームが編成されての治療を行っていただいた。 ありがたいことであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電撃入院、本日退院

2015-09-11 18:24:00 | 日記・エッセイ・コラム

 八月二十日以来、ブログの更新が出来なかった。 五月五日、白木町荒谷山で「マダニ」に取り付かれて以来、体調不良が続き、先月二十日以降はタダタダ疲労感と、関節の痛み、皮膚の痛み、・・・・あらゆる痛みに悩ませられていた。

 九月一日、今までの病院を変えて、古くから可部町内にある「野村医院」を訪ね、この四ヶ月の経過と現状を話すと、水疱の状態や、体調から直ちに「安佐市民病院」を紹介するとの事、「今日の今日は無理であろうから、自宅にて待機してください」と言われて自宅に帰り着くと、電話機が鳴り直ちに「安佐市民病院」に行くようにとの事、駆けつけたのは良いが、そのまま「緊急入院」。  病名「ライム病の疑い」。 

 いかなる病気かと説明を聞いたら、過去日本で「200数例」しかない病気で、その大半が東日本で発見されており、「広島県」というより、西日本では極めて稀だそうである。 そんな事情で、「ライム病の疑い」と、「疑い」が付いたところが何処と無くかっこ良いと思いながら、直ちに抗生物質の点滴が始められて、二日目にはあの忌まわしい「倦怠感」が軽くなり、合わせて「体全体の痛み」や、「痺れ」等 「点滴一本」毎に軽くなって、本日退院となりました。

 五月五日以来の体の変調が、元道理になるのは今少し先のようですが、自宅に帰ると気持ちが楽になり、よりいっそう「元気」が出てきた様に感じます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする