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 藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  福島のライブ映像(東京電力)

2014-04-13 22:40:25 | インポート

ふくしま原発の現状が、ライブカメラで放映されています。

土曜、日曜と作業はお休みのようですが、こんな非常時に何とのんびりしている事か気が抜けてしまいました。

休日返上でがんばっているのかと思いきや、のんびりした物です。

そりゃそうでしょうね「人事だから」。

福島の原発の現状が垣にて24時間見る事が出来ます。

http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index-j.html

皆さん一度ご覧ください。

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深山 霞の「霞的心」  STAP細胞裁判?

2014-04-11 17:45:13 | インポート

 小保方 晴子氏の記者会見や、その他の一連の騒動をベットの中から眺めていたら、「ガリレオ・ガリレイ」の地動説裁判を連想させられた。

 どうもこの世の中、他人の成功を信じようとしないようである。 先ごろ天皇陛下の心臓手術を担当した医師など、私から見れば「左 甚五郎」医師版と呼びたい。 医師である前に、心臓手術の「名工」なのだと思えてならない。

 STAP細胞を作り出すのも、何処か似通った所があるように思えて成らない。 文字で書いたりするような事ではなく、物づくりの範疇ではなかろうかと思えてならないのだ。

 元々が技術屋の私は「理論物理学」を始、「理論なになに」と呼ばれる類をあまり信用していない。 「原発の論理」も現実の事故の前には、どの様な理論や手立ても通用しないでいる。 

 「ガリレオ・ガリレイ」 は、裁判の行われた教会を出る時、階段に立ち止まり、「やっぱり地球は動いている」 と語ったとされるが、今回の騒動も幾年かすると「語り草」となり、「やっぱりSTAP細胞は存在した」、になるのでなければ良いがとおもわず思ってしまう。

 「カーボン・ナノチューブ」と言う物質が、NECの実験室で出来てしまった。 「本当に出来てしまった」。 一人の研究員が間違った薬剤を混入させた結果であった。         

 一時期 「石綿」 に変わる「万能物質」として取り上げられたが 、アメリカの研究で「発がん性」が疑われると、発表されて以来あまり取り上げられなくなった。 其れに引換へ「石綿」は、アメリカでは自由に使用できるようになった。 使用禁止物質から除外された。 「製造物責任法」で、製造者の賠償責任が明記され、市民の権利が保障された為である。

 

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深山 霞の「霞的心」  奥様が頂いた「送別の品々」

2014-04-06 21:12:30 | 社会・経済

 先月31日を以って奥様は定年退職された。 退職の前日、職場の同僚の皆さんに送別会を開いていただいた。

 送別会を開いていただいた皆さんに、少しばかりビックリしていただこうと三日前から「パウンドケーキ」を作る準備をして、個別に包装して当日私が会場に持参する事とした。

 参加して頂いた同僚の皆さんがビックリする中、「パウンドケーキ」を配って歩いた。その会場に行く前に、広島市議会で最年少の議員の後援会の役員会があり、物はついでと同行させたので皆さん二度「?」。

Photo_2「父さんも

   ケーキものろけも

          ご馳走さん」

当日奥様が皆さんから頂いた一句である。

粋な女性がいたものだと感心した。

Photo_4 この「エプロン」も皆様から頂いてきた。

メッセージには「主婦の座を取り戻せ」という激励の言葉が添えてあったが、皆さんの期待は残念ながらお応え出来ない。

主婦の座を私は明け渡す気など無い。

明日の食事の献立は・・・・・。

奥様は明日、「臨時の指導員」として半日応援勤務に出かける。

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深山 霞の「霞的心」  日本人の心とは?

2014-04-05 14:35:22 | 社会・経済

ブログの更新が滞っていた。

意識的更新しなかったわけではない。 一つには、裁判資料の作成に疲れた事と、いま一つはNHKのBSで、福島の被災地を訪れた二人の韓国人のドキメント番組を見て、昭和40年から48年にかけて読んだ「住井 すゑ」著「橋のない川」全六巻を再度読み直していたからです。

この事は、「阪神淡路大震災」後にも一度は思ったのですが、仕事が忙しくそうした時間が取れなかった。

なぜ「橋のない川」を、再度読み直してみたかったのかは次の事がその理由です。

この作品は、「」運動の発生から発展を一見描いた作品のようですが、私の感性では、「明治封建社会」、「台湾割譲」、「朝鮮併合」間もない頃から、「関東大震災」後までの日本の姿を、奈良県の片田舎から見据えた作品だと感じていたからです。

私の生まれ育った「町」は、正にその「橋のない川」の川向こう(大田川放水路を挟んで)には、西日本で最大級の被差別が存在していました。

正にその被差別は、「軍都広島」を水害から守ると称して、戦前から強制的に立ち退かされ、小学校すら無くなり、私の通った小学校と他の二校に振り分けられて、子供たちは通学していました。

「関東大震災」では、軍や一部の群衆により「朝鮮人」の大量虐殺や、「大杉 栄」等の多くの左翼運動家が暗殺されましたが、「阪神淡路大震災」時や、「3.11大震災」時には、こうした民衆争乱は発生しませんでした。

「その差がどこにあるのだろうか?」その答えを探していたからです。

その答えは、NHKの「3.11」関連番組の中に登場された二人の韓国人が語られた言葉の中に潜んでいました。

「流言飛語」は、我々に「負い目」が有る時に発生する。そして「流言飛語」が、人間の尊厳を大きく傷つける事と成る事に気付きました。

原爆が広島に投下された時も、広島の中心地「相生橋」の上で「アメリカ兵」が殺害され、「さらし者」にされた事を、今や誰も語ろうとはしない。

まして、戦後「平和都市建設法」が作られ、広島と長崎がその対象となり街づくりが行われましたが、戦前から国が行ってきた、「被差別の抹消」の政策は、「広島平和都市建設」時にも引き継がれ「平和大通り」建設計画で「根こそぎ被差別の抹消」が行われましたが、しかしながら「根こそぎ」政策は失敗に終わりました。

本質的解決策でない物が、成功する事は有り得ない事を、日本人はこの世界大戦で学んだのではなかったのか。

残念ながらその様ではなさそうです。 日本人の最大の欠点は、「水に流す」という「古来」からの風習が、未だに息づいている事ではなかろうかと思い始めています。

私の妻も良く口にしますが、「そんな古い事を持ち出して」と言う言葉も、その中の一つではないでしょうか。

明治維新以来、昭和20年の敗戦に至る日本の取って来た行動は、決して中国や韓国を始めとする、世界の国々の歴史からは抹殺される事は無い事を、日本人は自覚し行動すべきなのではないでしょうか。

志村 建世氏のブログで紹介いただいたDVDは、ご希望があれば焼き付けてお送りいたします。 ただし、ご覧頂くにはブルーレイの、DVDプレイアーが必要です。

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