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 藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  日本人の心とは?

2014-04-05 14:35:22 | 社会・経済

ブログの更新が滞っていた。

意識的更新しなかったわけではない。 一つには、裁判資料の作成に疲れた事と、いま一つはNHKのBSで、福島の被災地を訪れた二人の韓国人のドキメント番組を見て、昭和40年から48年にかけて読んだ「住井 すゑ」著「橋のない川」全六巻を再度読み直していたからです。

この事は、「阪神淡路大震災」後にも一度は思ったのですが、仕事が忙しくそうした時間が取れなかった。

なぜ「橋のない川」を、再度読み直してみたかったのかは次の事がその理由です。

この作品は、「」運動の発生から発展を一見描いた作品のようですが、私の感性では、「明治封建社会」、「台湾割譲」、「朝鮮併合」間もない頃から、「関東大震災」後までの日本の姿を、奈良県の片田舎から見据えた作品だと感じていたからです。

私の生まれ育った「町」は、正にその「橋のない川」の川向こう(大田川放水路を挟んで)には、西日本で最大級の被差別が存在していました。

正にその被差別は、「軍都広島」を水害から守ると称して、戦前から強制的に立ち退かされ、小学校すら無くなり、私の通った小学校と他の二校に振り分けられて、子供たちは通学していました。

「関東大震災」では、軍や一部の群衆により「朝鮮人」の大量虐殺や、「大杉 栄」等の多くの左翼運動家が暗殺されましたが、「阪神淡路大震災」時や、「3.11大震災」時には、こうした民衆争乱は発生しませんでした。

「その差がどこにあるのだろうか?」その答えを探していたからです。

その答えは、NHKの「3.11」関連番組の中に登場された二人の韓国人が語られた言葉の中に潜んでいました。

「流言飛語」は、我々に「負い目」が有る時に発生する。そして「流言飛語」が、人間の尊厳を大きく傷つける事と成る事に気付きました。

原爆が広島に投下された時も、広島の中心地「相生橋」の上で「アメリカ兵」が殺害され、「さらし者」にされた事を、今や誰も語ろうとはしない。

まして、戦後「平和都市建設法」が作られ、広島と長崎がその対象となり街づくりが行われましたが、戦前から国が行ってきた、「被差別の抹消」の政策は、「広島平和都市建設」時にも引き継がれ「平和大通り」建設計画で「根こそぎ被差別の抹消」が行われましたが、しかしながら「根こそぎ」政策は失敗に終わりました。

本質的解決策でない物が、成功する事は有り得ない事を、日本人はこの世界大戦で学んだのではなかったのか。

残念ながらその様ではなさそうです。 日本人の最大の欠点は、「水に流す」という「古来」からの風習が、未だに息づいている事ではなかろうかと思い始めています。

私の妻も良く口にしますが、「そんな古い事を持ち出して」と言う言葉も、その中の一つではないでしょうか。

明治維新以来、昭和20年の敗戦に至る日本の取って来た行動は、決して中国や韓国を始めとする、世界の国々の歴史からは抹殺される事は無い事を、日本人は自覚し行動すべきなのではないでしょうか。

志村 建世氏のブログで紹介いただいたDVDは、ご希望があれば焼き付けてお送りいたします。 ただし、ご覧頂くにはブルーレイの、DVDプレイアーが必要です。

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