藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

メダカのつぶやき 6 

2012-06-09 12:39:34 | 日記・エッセイ・コラム

064 我が家の主人は近々入院する。

それでも今朝早くから見えない目で私を観察しているらしい。お腹にくっついている卵を見つけられた。孵化した子供たちは、毎朝毎晩餌を頂いている。メダカの餌を磨り潰した物らしい。よく食べている。私の餌は一日一回。少しえこひいきな気もする。それに私は今産卵の時期で、毎週5個位の卵を産んでいるのだから、餌を増やして欲しいが、その気がないらしい。餌が豊富だと、ボウフラを食べなくなるからだと思い込んでいるようだ。そんな事はない。生きた餌が美味しいに決まっている。現にこの龜の中には、一匹のボウフラもいない。偏見をやめて、人口の美味しい餌も、増やしてほしいものだ。ところでまた、ヌマエビが増えた。2mm位の小さなやつが、やたらと私の周りで蠢くのが、目障りである。この主人、未だにこのヌマエビの正式名称が解らず、イライラしているのが手に取るようにわかる。この人間の、性格がすぐわかる。自分に解らない事や、理解できないことがあると、イライラするのである。その結果、一日に何度もこの龜を覗きに来る。その他の時間は、なにをしているのか、皆目見当がつかない。要するに変人であることに違いは無い。左目が見えないのに、ブログとやらを続けていることからして、紛れもない変人である。

写真に映ると私美人でしょ。それに偶然、長男と末の娘が映っている。私に瓜二つである。

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三笠宮様の訃報に接して。

2012-06-09 03:28:58 | 日記・エッセイ・コラム

昭和44年8月、広島市青少年センターの玄関で、一人のヒゲの人間と出くわした。どこかで見た顔である。一瞬「んー」考え込んで、出た声が、「宮様ではありませんか」と声をかけると、ニコリとされた。リュックサックひとつの気軽な旅を楽しんでおられた。確か留学前であったか、夏休みの帰国のように記憶している。8月5日の事であった。館内騒然、館長以下緊張が走り、先ずは館長室へ、案内。しかし、殿下は気さくに接していただき、当時160円の素うどんを一緒に食しながら接していただいた。その内、館長が市長に連絡したので秘書課長が飛んできた。この課長は、私の母校の先輩であったが、いつも私が市長室に怒鳴り込むので、その対策上秘書課長になったと噂され、嫌がっていた。事実は違い、若くして秘書課長になった後、私が怒鳴り込み始めたのである。何れにしても、殿下の突然の来広に市の幹部は相当に慌てたようである。殿下の目的は、翌日の原爆記念式典に一私人として参加したいという望みであった。今考えると、三笠宮殿下の人間性は、若くしてその片鱗を表していたのである。同年の一人として、殿下の冥福を心から祈念する。 黙祷。

追記 その夜青少年センターで若者と歓談された殿下の顔は、一人の夢見る青年であった。常ににこやかであった事が印象として残っている。

当時の青少年センター館長は、「広島平和の歌」の作詞者 鈴木 正道氏であった。これも何かの縁であったのであろう。ちなみに、その前年、現在の天皇陛下ご夫妻も広島市青少年センターを訪問いただき、広島県下の青年たちの代表と親しく歓談頂いた。

その後、私がこっそり準備していた記念植樹をお願いしたところ、当時の皇太子ご夫妻は、快く引き受けていただき青年たちと記念植樹していただいた。

その後、広島市の幹部から、私が大目玉をくらったのは、今になると良き思い出である。その頃から、私は他人より何かひとつ、余分なことを考えつく性格であったようだ。この性格は、今日も治らない。「広島きってのへそ曲がり」と云われる所以である。

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入院まで54時間

2012-06-09 02:55:32 | 日記・エッセイ・コラム

入院まで54時間になったが、久しぶりに主夫から離れるので、帰宅した時の食料の買いだめを深夜思案している。昨夜早くにとこに入ると寝入ってしまい、丑三つ時に目が覚め、PCの前に座っている。ゆっくり皆さんのブログを眺めながら、(深く考えもせず眺めている)、こういう見方もいいなーと思う。かえって、皆さんの語りたいことが見えてくる気がした。居ながらにして、南の端から北の端まで否、地球上のどこでも行けるとは、十年前まで思いもよらなかった。世の中にインターネットが存在するとは知っていたが、昨年十月まで自らがこれを始めるとは思いもよらなかった。

入院準備は完了したが、入院中の最大で3週間、一体何をして過ごせば良いのか、未だ思いつかぬ。俯せ生活では読書もできず、さぞかし退屈であろう。今から先が思いやられる。七十に近い老人には、さぞかし退屈な日々がやってきそうである。それと共に心配なのが、メダカと、ヌマエビである。主人無き後、果たして誰が面倒を見てくれるかである。餓死の危険性がある。我が家の奥様も餓死の危険性がある。食より読書の方なので、大丈夫であろうか。

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石綿がなぜ「癌」を引き起こすか。

2012-06-07 12:45:23 | 社会・経済

石綿が体内に取り込まれると何が起こるのか、入院までの日にちを使って、みなさんに少しでも理解できるよう説明したいと思う。

そもそも人間には、防衛本能として免疫機能が存在する。それは、NK細胞であったり、白血球であったりする訳であるが、そのほかの機能として、異物が体内に入りこむと、異物を体外に出してしまおうとする機能が働く。その機能の中に、蜘蛛と同じような繊維質を創りだす細胞が存在し、まず侵入してきた異物を繊維質で覆い隠そうとする。つまり異物は、繊維膜で包まれ隔離される。原爆被爆者が、体内に入ったガラス片が、何十年後に皮膚から出てくる現象はこのような免疫機能が働いた結果である。

さて石綿であるが、体内に侵入するとこの免疫機能により、繊維膜で覆われ始める。次の石綿が侵入するとまた同じ現象が起こる。この繰り返しが日日繰り返される結果、これらのものが積み重なり、肥厚と呼ばれる状態になる。この状態になると、弾力性が失われていく、こうして長年にわたり石綿暴露が続くと、その肥厚が厚さを増し、その肥厚の出来た部位によりいろいろな支障が発生する。心膜にできると心臓の機能低下、胸膜にできると、肺機能が低下する。このような肥厚は、胸膜、心膜だけではなく、腹膜、腸間膜、横隔膜、等不思議に、内蔵を支える膜類に発生する。

経口により、胃や腸に侵入した石綿は胃壁や腸壁を突き破り、細胞に突き刺さる。すると、体はこの異物を体外に出そうとし、腹膜や、腸間膜へと追いやる。そしてそこに蓄積が生じ、加えて免疫作用で肥厚が始まる。嘗ては、こうした蓄積された石綿自体の毒性により、癌に変性すると考えられていたが、今日では違う考えが主流になってきた。石綿自体には毒性はなく、その性質に問題があるという考え方である。つまり石綿には、アルファー線を発生させる放射性物質と結合しやすいという性質が有り、そこに問題があるという考え方である。アルファー線の力は非常に小さいが、しかし常に直近の細胞に放射線を浴びせ続ける。そのことが発癌を促進するのである。つまり、どの放射線より体内被曝は、アルファー線の被爆こそ一番恐ろしいのである。ここに、広島や長崎の被爆者と同じメカニズムが見えてくる。原爆投下直後は、急性の放射能暴露による障害により死亡した。一方原爆被爆者が、数十年の後、未だに発癌率が、一般人より高い現実は、石綿被害者に共通する現象に似ている。つまり、体内に蓄積されている放射能による発癌である。

スマくろさんのブログの中で体内被曝の危険性を指摘されている。「http://blog.livedoor.jp/smakuro/」ぜひご一読されたい。

今回の福島原発の水蒸気爆発は、そうした状況を検証してみると、大変危険な結果を招く事が予想される。

原子力発電所は大量の石綿を各種の目的のために使用している。その量は、数十トンと予想される。私自身が嘗て、島根原発1号機、2号機の建設に携わったので、目撃している。その石綿と、今回の水素爆発による飛散した放射能物質が結合し、広範囲に飛び散った結果、それを吸入されて方たちは、従来の石渡暴露者とは違った形体の石綿暴露となった。つまり蓄積された石綿に長年自然界に存在する放射能物質が結合するのではなく、結合したものを吸入することになったのである。

このことは、従来の石綿患者とは違い、潜伏期間が短縮された形での中皮腫の発症が考えられるのである。国は放射能濃度のみ公表し、石綿についての情報を発信していない。いやあえて発信しないのであろう。なぜなら、石綿含有検査基準ですら、国際的に批判を受けている中、うかつな数値を発表すると、その数字が国際社会から批判されるからである。

国は、原発再稼働の前に、最低限の原発の基準の見直しをすべきである。第一に原発からの石綿の一掃。おそらく出来ないと思う。心臓の周りの血管を止めるようなものだからである。断熱、不燃、遮音、耐摩耗、等々変わるものがない。無いなら廃炉にすべきである。同じ過ちを二度繰り返すべきでない。

夏は暑いもの。昭和三十年代にクーラーはなかった。各家庭に風呂などなかった。それでも熱中症でなくなることはなかったように思う。各家庭に風呂が完備された現代、暑ければ風呂場で水浴びをすれば良いくらいな気概を持ちたいと思う。原発再稼働を許さぬために。

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悲しいお知らせ。

2012-06-06 12:40:47 | 社会・経済

悲しい記事を、記載せねばならなくなった。中皮腫で闘病中の友人が、今朝なくなった。労災認定まで、半年以上期間を要したが、先日認定が降りたばかりであった。本格的な治療方法も無く、6月1日ケアーハウスに移って、一週間もたたぬ早い旅立ちであった。同じ二十年生まれの、まして同じ石綿疾患を抱えている私の悔しさは、石綿を危険な物として認識しながら、野放しにしてきた国への怒りと共に、心の底からこみ上がてくる。

石綿の発がん性について、これまでにもこの画面上で報告してきたが、昨夜素晴らしいブログに出会った。。まさに私が情報発信したかった、アルファー線発生物質に関する情報を提供されている、「スマくろさん」のブログである。アルファー線が、なぜ危険なのかを、学問的に紹介されていて、参考としていただきたい。また脱原発をかかげ、努力していただいているみなさんにも大変参考になるブログです。http://blog.livedoor.jp/smakuro/を是非一度ご訪問ください。

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