藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

皇太子殿下(現天皇陛下)と美智子妃殿下逸話

2012-06-10 12:41:58 | 日記・エッセイ・コラム

皇太子殿下(現天皇陛下)と美智子妃殿下には、昭和43年、広島を訪問いただいた。その時、広島市青少年センターで、広島県下の青年と親しく歓談頂いた。選ばれたのは、県下で活躍していた青年たちで、広島県の社会教育課が、人選にあたった。当然市町村に推薦させる方法によりなされたが、広島市は当然に商工会議所や、大企業、青年諸団体に推薦を依頼しその中から選ぶことになっていた。しかし、そう成無かった。人選方法にイチャモンを付けたのである。言いだしっぺは、当時広島市職員であった、水野 文隆氏である。彼曰く、「平素中心的存在に位置する人間は、自然にいろいろな人間と関わりを持つ。自然と他人よりいろんな経験をし、自然と知識が加わる。しかし、組織の底辺で日夜組織を支えている人間は、なかなか今回のようなチャンスがあっても回ってこない。不公平だ。そこで、青年諸団体に呼びかけて、平素底辺で支え続けている青年に、チャンスを与えて欲しい旨の、要望書を市長宛に出そう。ついては、自分は市の職員なのでできないから、ここは一番力になって欲しい。」と、頭を下げられた。先輩から頭を下げられると、断れないのが私の性格である。彼は、そこを突いてきた。数日後、私は、青年団体の代表として市長に直談判に出かけた。それが、初めて市長室に押しかけた最初である。当時の市長は、浜井  信三氏で、名市長として今日まで語り継がれている市長であった。約30分、十分にかつ真剣に話を聞いていただき、その結果、困惑したのは広島市の社会教育課であった。ありとあらゆる職種から八方手を尽くし、その人選をしたのである。

当日、私が両陛下に植樹のお願いをすることを彼に事前に彼に相談したところ、彼は快諾してくれた上に、「みずえい緑地」の社長に相談し、黒松と桜の苗木を無償で貰い受けてくれた。この記念すべき植樹が15年後、一大事件を引き起こし地方紙の二面の半分を飾ることとなり、私は一躍広島市役所、広島市議会にその名が知れ渡ることとなる。人生面白き哉である。

その事件は、退院後この画面でまた、皆様に紹介するつもりである。

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