藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

本郷雑話・・4 と、「カボチャ三兄弟」

2017-09-20 13:37:02 | 日記・エッセイ・コラム

 私のお頭が停滞しているようだ。 台風のせいと思っていたが、どうも違うようである。天神さんの階段下写真の説明が、中途半端なようである。 

 階段を降りたところが、江戸時代の山陽道で、その道路向かいの鼠色の建物は嘗ては海の中だったそうだ。 建物と山陽道の間に、大きな灯明が有って、嘗ての灯台の代わりだった。 視力4.0がざらだった時代、十分に灯台の役をしていたそうだ。 その向こうに見える山並みとの間が入り江になっていて、入り江側が、北方(きたかた)。 山から向こう側が南方(みなみかた)と呼ばれ、北方を西に進めば、多万里の峠を越えて、現在の東広島市西条(酒どころで有名)になる。 多万里(たまり)の峠は難所で、この峠を避けるために、山陽本線は大きく北に迂回している。 山向こうの南方を南に向かえば、テレビドラマで有名になった「ニッカウイスキー」の創設者の生まれ故郷、竹原市だ。竹原は、頼一族の出身地でもある。 多くの旅人は、超えやすい竹原道を行ったという説もある。

さて、山陽道を本郷の町中に進むと、開基450年以上の「寂靜寺」の山門が誇らしげに出迎えてくれる。

嘗て長州征伐の軍勢がこの門前を西に向かってい進んでいったそうだが・・・・・。

その隣にこれまた江戸時代の風情を残す醤油屋がある。

 間口の広さで、冥加金(商家にかけられた税金)を払わされた時代、間口七間のこのたたずまい、堂々としている。 まさに他を圧倒していた。 また明日お会いしましょう。……追記、我が家の松の木の上に登ったカボチャ、台風のため撤去収穫。

名付けて、「カボチャ三兄弟」

 風情から言って、右が奥様。 堂々として居座っている。 隣が少しひねた、私のように感じるのは「ひがみ」だろうか。


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