藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

本郷雑話・・3

2017-09-19 09:47:23 | しごとの思い出

昨日のこの写真、説明不足でした。

 階段下の三角に小さく見えるのは、常夜灯で嘗ての港の名残です。

トコトコと半病人が本郷の町中目指して帰りかけると、

 

「第八十八番」の看板付のお地蔵さんに出会った。そこからすぐそばの橋のたもとでは、

 

茲にもお地蔵様。 しかしここは、その他「錦山神社」や、倒壊寸前の「壺坂寺」その他石碑が集まっている。

 

 

 

どうもこの場所は、神仏合祀の形を残した、何やらゆかしいところらしい。 大和国壺坂寺をここに勧進したいわれがありそうだ。 玉垣の右門柱に「土肥六郎」と読める。 土肥氏は、小早川氏の旧姓である。 さすが小早川一族いわれの地・・・・・と思いながら橋を渡った。

嘗て、国道二号線は本郷の町中を通ることはなかった。 本郷の町は、仏通寺川と沼田川に挟まれていて、何れも天井川である。 嘗ての海の底が開拓により田となり町となっている。 山陽道は土手下に降りていくが、明治十三年に国道整備が始まった時、本郷の町を水害から守るために、あえて国道を土手の上にしたそうである。 多くの人が歩けば、土手道が踏み固められて強度が増すと考えた人がいるらしい。 京都と鎮台広島を結ぶ重要道路は、こうして補強されたのがどことなく可笑しさを呼ぶ。

 ウダツノ上がった家が幾軒か山陽道の面影を残している。

その中でも、寂靜寺は、四百五十数年前から、山陽道の往来を眺めていたようである。

 

 本日はここまで。・・・・・・

 なのですが、この幼虫が何の幼虫かご存知の方お教えください。

 

 

 

 

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