初めて島倉千代子の生歌を聞いたのは、中学一年生の夏だった記憶が有る。 祖母と共に公会堂で聞いたのが初めてだった。 前から十列目あたりの席だった記憶が有る。 特等席と言ってもよい席だった。 ラジオでは当時大ヒット中の歌手の歌声は聴きおぼえていたが、姿かたち等は広島のようなド田舎で見る事は無かった時代だ。 伊藤久雄等、合計四人ほどの歌手が歌ったことだけは覚えているが、この二人以外は記憶にない。 その中で、島倉千代子の歌声の美しさに聞き惚れた。 聞き惚れて居ながら、いつの間にか眼がしらに涙が浮かんだ事をはっきりと覚えている。 周りを見渡すと、老人たちがそろって涙を流していた。 それもそうなのだ。 このコンサートは、遺族会が招かれた会だった気がする。 戦争犠牲者の親たちを招いてのコンサートであった。 私は祖母の付き添いで同行したのだった。 「イヨマンテの夜」はその時初めて生で聞いたが、その歌声に圧倒されたことも事実だが。 しかし、最後に歌われた、島倉千代子の「東京だよおっかさん」は秀逸だった。 美しい歌声に魅了された。 と共に、心を揺さぶられたのだった。 歌謡曲を聞いて、涙が出たのは、この時ばかりである。 確かに、遺族会という、特殊な場所だったことも影響していたが、それ以上に、天使の歌声ではなかろうかと思える美声に、思わず涙があふれてきた。 周りの遺族は、東京など行けない貧乏人だったから、余計に感動したのだろう。 と、こんな話を何故ここで書き始めたかというと、昨夜祖母の夢を見たからだ。 その夢が、島倉千代子の歌を聞きに行った時の夢だったのだ。 いま一度聞きたいと思い始めて、ネットで探し、スマホで聞きながら、感慨に浸った一夜だった。 終戦から七十四年、「戦争で竹島を取り返す」などと宣う、馬鹿国会議員を見るにつけ、薄れゆく戦争被害の悲惨さを記録、伝承していかなければいけない時代になった様だ。 「負けても地獄、勝っても地獄」、それが戦争だ。
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「負けても地獄、勝っても地獄」戦争はいけません。戦争の怖さ惨めさが分かる年齢の人たちが少なくなり行く先が不安ですね。