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 藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

クラスター

2020-09-28 15:32:04 | 日記・エッセイ・コラム

 広島市の演芸場が発信地のクラスターが、呉に迄お出かけしたのだろうか、昨日は14名の患者が発見された。 広島市は2名、ついでに岡山まで1名患者を送り出したそうである。 こちらは、飲食店がその中心となった様だ。 何れにしても、足が進まない原因だろうか、理容院はガラガラ、待つまでもなくやって頂けた。 昨日は日曜日なので、嘸かし多かろうと思って一日伸ばしたが、昨日もお客様はガラガラだったそうだ。 年中無休の理容院は、「安かろう早かろう」がもっとうで、髭剃り、洗髪はなし。 家に帰ってシャワーで頭を洗いながら、つくづく活気のない内閣にうんざりし始めた。 若かりし頃「社会教育」に関係した活動していた関係で、自民党、社会党、共産党の皆さんと議論することが多々あったので、私の感性は、一番に「人権」と言う意識に成ってしまった。 会、解放同盟、全解連の方々と、夜をっ徹して議論した昔が懐かしく思い出される。 その感覚から、コロナ発症者家族が、地域で肩身の狭い思いをしておられるのではなかろうかと、思われてならない。 浅野家が広島城に入城して400年だが、その記念事業もコロナで霞んでしまった感じである。 浅野家が広島に来る前は、福島正紀が広島にいた。 その正則が、武器甲冑を作る集団を住まわしたのが、現在福島町として残っている。 西日本最大の「被差別」で、この問題を解決する為、広島市は再開発や100m道路の設置、場の移転など手を尽くしてきたが、その社会的実態は変わってはいない。 私はその隣り町で生まれ育ったので、友人知人が多くそこに住んでいる。 高田 静雄(たかだ しずお、1909年明治42年)3月5日 - 1963年昭和38年)12月10日)は、日本の砲丸投げ選手を「ウキペディア」で検索してみていただきたいが、彼もこの街の生まれで(1945年の東京オリンピックの砲丸投げの選手に選ばれていた、当時アジア記録保持者)、その娘さんが私の小学校の同級生なのだ。 美人で聡明な女性だった。 日大の芸術学部に進学して、写真家として活躍したが、26歳の時 脳腫瘍で亡くなった。 彼女も被爆者だったが、今思えば小学校時代から病弱だったことは確かだ。 そんな事が、妙に脳裏に 「浮かんでは消え又浮かぶ」 の季節に成って来た様だ。 森 重昭  Mori  Shigeaki 1937年生まれ。アマチュア歴史家。広島原子爆弾を経験。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版。 オバマ元大統領と、原爆祈念式典で抱擁した彼の妹もまた、同じクラスで3年間過ごした仲間だ。 戦後75年、世界中が大きなうねりの中で、苦しみ藻掻いている、このパンデミックの時、政府の発信力の無さに、些かがっかりいている一人だが、中曽根康弘元総理の葬儀に、1億円に近いお金を税金でお出しになる実行力を、藻掻き苦しむ国民の為に使って欲しい物だ。

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