藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

ほぼろをうる(広島の方言)

2019-09-12 06:56:59 | 日記・エッセイ・コラム

 私が生まれ育った、安芸の国(広島県西部)では、嫁が勝手に里へ帰る事を「ほぼろをうる」という。 夫と喧嘩して、ほぼろをうったげな 夫と喧嘩して〈嫁が〉勝手に里へ帰ったそうだ。と使う。 私は未だに、その経験は無いが、周りには結構多い。 その理由は大体に旦那の浮気、はたまた大柄さだ。 優しい私などは、その心配は無かろうとは思うが、どんな事が奥様の気に障っているのかを感じられない無頓着さが有る。 要するに気が利かないのだ。 気が利かないと、優しさを発揮できないので、ダメ男と一緒なのだ。 以前、島根県の西部地方で、民俗資料館の中に、「ほぼろ」という道具を見つけたことが有る。 ネットで探したら「写真」が有った。

       

 

 渋柿の収穫や、ハゼの実の収穫に使ったらしい。 そうした資料を読んでいて、なるほどっと思い始めた。 「ほぼろ」という言葉は、島根県の西部、津和野地方から津和野街道を通って、広島県の佐伯郡に伝わり、重宝がられていたが、奥様と同様こき使った結果、失うことになったのではと思い始めた。 子供の頃、田舎に行くと、駄家の中に「ほぼろ」に似た藁で作ったかごが有った記憶が有る。 それが「ほぼろ」だったのかと、思い出している。 その「ほぼろ」に当面の着替えなどを詰めて、プチ家出を敢行した奥様連中を想像して、心が和んできた。 近頃では、私の方が、ほぼろを売りたくなることが有る。 何処か静かな河原で、二、三日「ボーッ」としてみたい気がするのだ。 家の中で十分に「ボー」としてはいるのだが、満天の星空の下で「ボー」・・・。 憧れだ。

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