志村建世 「政治大震災の年になるかもしれない」を読んで
そもそも日本は、多宗教(神道が宗教といえるとすれば)国家である。その国家が、「二大政党になる」と思う幻想に、取り付かれているのでは、なかろうか。 元来日本民族自体、 多民族の混血の繰り返しにより、成立した国家である事を忘れている。 いな、現在の国家形態の変革を、望まない人々にとって、その事は、教育現場から削除されてきた。 日本民族純血論がそうさせて来た。 敗戦により、国民の意識が、大きく変わることが無かった事自体に、日本という国家の不思議さを見る思いがする。 多民族ゆえに、独特の文化が花開いたように思えるのは、私だけなのであろうか。 単一民族、あるいは、単一宗教国家には、二大政党政治が定着している。 イギリス、アメリカ等々。 しかし、共通価値観を持たない日本に、二大政党を望むこと自体、無理がある様に思う。
また、共通価値観の存在しない事により、教育の普遍性が存在せず、教育の空洞化が起こり、それは政治の現場でも起こっているのではなかろうか。 心より物質重視の社会は、ある面若者たちに、底の浅さを看破され、新しい文化が、闊歩し始めたのではないだろうか。 コスプレや、アニメ 日本の若者文化が、世界を席巻し始めている。 この若者たちが、この日本の危機に対し、どの様な行動を起こしていくのか、今年はゆっくり観察することにしたい。 案外、無党派層と呼ばれる若者の、爆発的力が、見られるかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます