藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

広島県安芸郡府中町の体質

2016-03-10 09:12:09 | 日記・エッセイ・コラム

 広島市の東隣に位置する安芸郡府中町。 「マツダ」の本社をはじめ、下請けが犇めく街である。 当然に財政黒字の町で、広島市との統合に幾度となく「ノー」と言ってきた。 その町の中学校で起きた教職員による、差別的進路指導が国まで巻き込んでの騒動に発展してきた。 そもそもが、生徒の犯罪歴を記した記録が存在したことが原因である。 記録があればそれを利用として、生徒を教職員の支配下に置きコントロールできると思ったところが大きな間違いである。 

 教職員には、「現行犯以外」には犯罪を取り締まる権利は存在しない。 逆に存在するのはそうした生徒を「善導」する義務である。 つまり、その行為こそが「教育」であり、そういった生徒に寄り添うことが「教育なのではないでしょうか。 皆さんのお考えはどうでしょうか。

 私学の経営者に苦言を呈したい。 子供の受験地獄からの解放を理由に、「推薦入学制度」導入した事を非難するつもりはないが、入学試験の中学校への強制的下請け化を行っているのではなかろうか。 中学校の教員の好みで推薦者が決められ、真に求める生徒が応募しているのか等、疑わしい物である。 他の学校より「問題行動」のない子供を確保し、学校経営の確保を目的とするだけの「推薦入学制度」になってはいないだろうか?。

 そもそも戦後の日本の教育現場は、昭和五十年代からおかしな方向に向かい始めた。 一つには戦後の「ベビーブーム」とその子供たちの教育の場を、「公教育」が放棄したところから始まったと思われる。 私学の乱立があり、生徒数の減少と共に、生徒確保が「教育」の大義を掲げた私学の金儲けの為の戦略として、「推薦入学」制度が始まり、入学試験の中学校の下請け化を推し進め、自らが判断しない高等学校が存在し始めた。 その現象の裏には、「一発入試」による入学試験を批判した、間違った「人権」教育の問題提起が存在したことは事実である。

 高等学校経営者は、推薦入学制度で生徒を確保でき、かつ入学試験の経費削減が出来る事のメリットにすがる経営を行ってきた。

 真の人間教育などそこには存在しない。そうした教育環境で育った偽エリートの一部が教員の中にも存在しており、マニアルなしでの教育行動が出来ないことは実在している。 その為の「生徒記録」と称する記録頼りの教育現場が存在するに至り、校長をはじめすべての教職員がその「落とし穴」に嵌り、その結果が一人の生徒の命を奪う事に成ったのであろう。

 一昨年、地元の小学校の教職員の問題で教育委員会と渡り合った。 内容はここには記さないが、結果は教員の再教育指導を行政は行ったが、最終的には自ら退職して行かれた。 その時の教員の発した言葉を忘れる事は出来ない。 「そのような指導をしろとは指導要領に書いてない」の一言であった。 生徒の痛みなど関係なく「指導要領」がその先生には全てであったのである。

 教育の本質から逸脱した教育現場で育った者が、案外に教員採用試験に受かってくるのである。 マニアル道理の回答を書き、面接を通過してくる。 試用期間も、マニアル道理・・・・・。 自らの心を育てる教員など役所は必要としないのである。 安倍総理の答弁を聞いていると、国のトップすら・・・・・同じように思えてくる。

 「内申書制度」は廃止すべきである。 「個人情報漏えい」であると私は考える。 幼少期の問題行動を記載した文章が全て心眼を持った人間によって記載されたとは思えない。

 因みに「国家資格試験」に内申書などない。 全て一発試験である。 教育者の皆さん、単位を取れば成れる「教員資格」とは違い、他の国家資格は合格しなければ取得できない事実を肝に銘じるべきである。

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