藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

静かになった家の周り

2021-09-20 12:42:12 | 日記・エッセイ・コラム

 静かな秋とはよく言ったものだ。 ツクツクボウシが鳴か無くなったら、部屋の中が急に寂しくなってきた。 鳥の声も、雀の声だけである。 いつの間にか燕が旅立って行ったようだ。 かと言って、秋の虫はまだ鳴いていないのが不思議である。 不思議と言えば、九月半ば過ぎても、28℃を超えた気温とは、・・・・。 子供の頃の夏休みの気温である。 子供たちが可哀そうに感じてきた。 この暑さの中で、マスクをして授業を受けて、・・・・。 私なら、とっくにさぼって神社で一人、自習して居るだろう。 ‥‥そんな過去を思い出した。 なぜさぼったかはいずれの機会に書くとして、さぼっても怒られなかったのが不思議だった。 他の子供なら、怒られたはずだがと、今では思うのだが。 そんな子供の頃を思い出させる、秋晴れの日である。 空は澄み切って、深い空色の中に雲が掠れて、風に遊ばれている。 静かな里の秋と言う童謡を思い出した。 九月と言えば、終戦後、兵隊さんたちが復員し始めた頃だ。 将にそれを詠ったのが、里の秋だった。 私の叔母は、満州から昭和24年三月に帰国してきた。 初代宗谷が、当時復員船に使われていた史実も、今は一部の人間しか、知らない事に成って来た。 隔離施設がある宇品港が、帰還事業に使われ始めたのは、20年の暮れからだそうである。 当時のその記録を残すべきではなかろうかと思い始めた。 引き上げと言えば、「舞鶴港」が思い出されるが、そこばかりが引き上げ船の、寄港地ではなかったのだ。 多くの兵士は病気に罹患していたので、隔離施設が必要であった。 そんな事を、当時四歳の私が覚えて居る事こそ、戦争の恐ろしさなのだ。

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