藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

白い狐の襟巻

2020-01-11 11:01:59 | 日記・エッセイ・コラム

「natu」様からコメントをいただいた。 そこでふと思い出したのが、「狐の襟巻」である。 以前「natu」様が、狐の襟巻についてブログに書かれたことを思い出したのだ。 と同時に、我が家の奥様を最初に見かけたとき、「白い狐の襟巻」をしていたことを思い出した。 まだ名前も素性も知ら無い頃の事だ。 高校出だしの色黒の、妙に鼻だけが高い女の子が、真っ白い狐の襟巻をしていた。 広島市青少年センターでの事である。 確か昭和42年の事だと思う。 噂では料理教室に通っていて、それを三人の男が取り合っているとの事だった。 私からはただの「がき」にしか見えなかったのが、後々結婚するとは思いも拠らなかったことだ。 当時の私は、自分でも不思議なくらいもてていた。 完全なバンカラで、青少年センターへ、ヘルメット、安全靴、作業着で大きな顔尾をして出入りしていた。 誰にも媚びる事なく、言いたい事を言って、遣りたいことをやっていた時代だ。 仕事で西日本を飛び回り、今考えると、その当時の事が夢の世界のように思えてくる。 それから五年後まさかの再開で、奥様と結婚したが、友人からはただ一言、「えー」と言う言葉以外なかったことは確かである。 今朝奥様に聞いてみた。 昔ししていた、「白い狐の襟巻」はどうしたのかと。 広島そごうの喫茶店に忘れて、そのまま行方不明になったそうだ。 そんな奥様と結婚して今年で50年に成る。 あっという間の50年だった。 あの「白い狐の襟巻」は何処に行ったのだろうか‥… 

コメント
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