藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

株式会社 倉本産業

2018-09-10 13:58:04 | 日記・エッセイ・コラム

 宇品の港は、日清戦争で大陸へと進出を図る日本の最前線でした。 何故かと言うと、鉄道が広島までしか伸びていなかったのです。 其の為すべての物資はここ広島へ集まったのです。 皆さんがご存じの「みなと」という唱歌は、この宇品を歌ったと言われていますが、本当は三原港ではなかろうかと言う説もあるのです。 何故かと言ううと作詞者の故郷は三原なのです。 この歌詞の二番は難しく、唱歌としてうたわれたのは、勝手に改作された方で、元歌詞は、

 林なしたるほばしらに(はやし なしたる ほばしらに)

 花と見まごう船旗章(はなと みまごう ふなじるし)

 積荷の歌のにぎわいて(つみにの うたの にぎわいて)

 港はいつも春なれや(みなとは いつも はるなれや)

こんな余談は必要なかったですね。 宇品と言えば、先日紹介した 「カルビー」発祥の地。その地から 歩いて三分。 昭和25年、倉本産業が誕生しました。 と言っても、皆さんはピンとこないはずです。 でも毎日見かける商品を作り、世界へと羽ばたきました。 「スコッチテープ」と呼ばれた反射テープを世に出したのがこの会社なのです。 小学生や自転車に貼っている反射テープです。 始めこのテープは、「マツダ三輪トラック」のうしろに、 マツダ と貼られていたのです。

今では至る所で見かけるでしょう。 日本の事故防止に取り組む会社なのです。 夜間に反射する交通標識は全てこのテープでできています。 これだけではありません。

こんなのや

こんなものまで(熱を反射)

日頃皆さんが目にされていると思います。 この会社も広島出身だったのです。

横川の町に並んで、宇品の町恐るべし。

次回は、福留ハムのお仲間を紹介。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする